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日本の田舎から学ぶ「シンプル」の心地よさ。CMCの自己紹介③~フィールド編~

今回で3回目になる「CMCの自己紹介シリーズ」
CMCの哲学や想いはいろんなところでお話ししていますが、具体的にはどういうことをしているの?という疑問を参加者の視点からお伝えしています。

前回の記事はこちら↓



今回は、CMCの基盤となっている広田町ついて紹介します。
広田町は岩手県陸前高田市にある海も山も豊かな地域である一方、住民の高齢化や東日本大震災からの復興といった日本の問題を抱えている地域でもあります。
基本情報はこちらから↓


この広田という町はいろんな側面がありますが、一言で表すと「シンプルな町」です。


広田という町はいい意味で何もありません。場所も時間も最低限しかないので、生活に必要なものが自然とキラキラして見えるような町です。
だから、ここに住んでいる人たちも、自分に必要なものを見極め、シンプルに心地よく暮らしているように見えます。

今回はその「シンプル」をキーワードに広田の魅力に迫ります。



何にもなくて、何でもある場所。

私がCMC生として、初めて広田町に来た時、「ここ本当に何もないな。」と思いました。
何もないというのは、

・スーパーは車で20分。町内にはない。
・コンビニも車で10分行かないとない。
・バスなどの公共交通機関がない(厳密にいえばあるけれど、ほとんど使っていない路線)

つまり自家用車がないと、からあげクンはおろか、トイレットペーパーすら買えないというレベル。
スーパーでさえも遠いので、買い物は基本週に一回くらいしかいけない。だから、スーパーへの買い物ですら本当に1大イベントで、シェアメイトの中で何を買うのか?が非常に大きな議論になります(笑)。
まさに便利という観点からすると「本当に何もなくて、不便な町」です。

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(町にはこういう田園風景が広がっている)


でも、ここまでなにもない町にいると「本当に必要なものは何か?」を無意識に考えるようになるんです。

例えば、さっきスーパーに買い物に行く時は「何を買ってくるのか?」が一大議論になると書きましたが、この疑問って普段はあまり考えないですよね。
なんとなくコンビニに行っていろいろ購入する。気が付いたら、いらないものまで買っていまう。たまにふと、「あれ、私なんでこんなものまで買っているんだろう」と思い出すくらい。
でも、その買い物って本当に自分の意志で買ったものなのか?

広田町の場合、そんなことが出来る場所もあまりないので(笑)、買い物に行く時「本当に必要なもの」を本気で考える癖がつきます。
すると、生活していても「自分に本当に必要なものはなんだろう?」と無意識に考えて、気が付いたらあまりお金を使わなくなっていることに気づく。

何もない場所だからこそ、自分にとって本当に必要なものが分かる場所でもある。
そして、実は自分に必要なものは自分の身の回りにちゃんとあることを知る。その有難さを感じることが出来る。
広田町は「足るを知る」ことが出来る場所なのです。


消費に頼るのではなく、信頼に頼る場所。

広田町にいると、すごく不思議なことが起きます。
よくおこる順番で紹介すると、

①町の人とたまたま会ったら、その人が持っていた袋ごと「もってけ!」と渡される。(もはや何のために買い物に行ったんだろう。笑)
②漁師さんのお手伝いをすると、大量のご飯と何千円相当のカキや魚をさらっとくれる(笑)。
③ついには、朝玄関を開けるとなぜが大根がおいてある。(「いや、ごんぎつねの世界かよ…。」とツッコミを入れたくなる。笑)


こんな風に、広田町ではお金を使わずに食材を調達する物々交換のようなことが日常茶飯事。この関係性になれていない私は慣れるまで、「これ本当に食べても大丈夫なのかな…?」と疑心暗鬼になってしまうこともしばしば。

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(漁師さんからいただいたカキ。これがバケツ1杯分くらいある。)

でも、まちの人の文化でこういうことをしていると知ってからは、「私もその関係に入れたらな…」と近所に住んでいる人の片付けを手伝ったり、自分に出来る範囲で、お返しするようになっていきました。


こんな生活を経験すると、私たちは何かにつけて私たちはなんでも「消費」に頼ろうとしてしまっていたことに気づきます。

自分に出来ないことを数えてそれを補填しようといろいろ買い物をする。すると、自分に出来ることがどんどんなくなっていき、依存するようになっていく。すると、その補填のためにもっとお金が必要になる…。こうした悪循環が続いてしまっているんだなと。

だから、一旦なんでもお金や消費に頼るのではなく、自分に出来ることや持っているものを見つめてみる。それで、何かできないか考えてみる。そしてそれをお金を使ってお願いする。
それが健康で、居心地のいいお金の使い方で生き方なんだろうなと、広田町から学んだように思います。


シンプルに生きることは一人で生きることと同じではない。

シンプルに生きるってそんなに単純なことではないと思います。

巷では、ミニマリストのようにモノを極端に減らす方法や、自然派インフルエンサーの方が紹介するライフスタイルとか、様々な方法が紹介されています。

でも、それに憧れてモノを減らそうと片づけても、テレビに出ている人のようになることは出来ない。むしろ、なんだか常に自分で何とかしないといけないような気がして、悩みはずっと尽きなくてなんだか寂しいし、全然自然になれない。
「シンプルに生きるって結局どういうことなの?」と東北に行く前の私は思っていました。

そんな中で、東北の田舎暮らしを通して、
シンプルに生きることって「自分で出来ることと人に頼ることのバランスを保つ」ことなんじゃないかなと思います。

自分の身の回りをすべて「消費」に頼るのではなく、自分でできることはやってみる。
自分の不得意なことや、時間的にできないことは誰かに頼る。
そして頼った時には感謝を尽くす。

そうすると、自分でしっかり地に足を着けている実感があるし、何かあった時は誰かに聞ける安心した関係が作れる。
自分に出来ることがあるので、過度な依存にもならず、ゆるやかに繋がることが出来る。
この生き方が「シンプルに生きる」ことなんじゃないかと今は思います。

シンプルに、自然に、生きる。
その生き方はおしゃれな海外だけでなく、この小さな田舎にたくさん眠っているかもしれません。


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