どうしてそんなところに住んでいるの?と毎回聞かれるような場所に住んでいました in サンフランシスコ。

2000年になる前の話です。私は親のスネをかじって、アメリカはサンフランシスコに留学をしていました。

当時はITバブルと言われていた時期で、サンフランシスコはとにかく家賃が高い。1週間ほどB&Bに泊まって部屋を探そう、と軽い気持ちでいたのですが、なかなかどうして住める部屋が見つからない。交通の便が悪くてやや広い部屋ただしバスルームは誰かと共有、とか、陽の当たらない地下の部屋とか、、、それでこの金額??(700ドル以上)という状態だったのです。

困ったな、しばらくB&Bかな、、、と思いつつ歩いていると、ふと入居者募集の案内が目に入りました。「ホテル」とあるけど、月に500ドル?交通の便はいいし、人通りもあるし、悪くないんじゃない?と部屋を見せてもらいました。その時は2部屋空いていて、一つは9階のサンフランシスコの夜景がきれいに見える、でもテレビの映らない部屋。もう一つは景色は全然ないけどテレビが映る部屋。

テレビが映る部屋に即決しました。一人ぼっちの留学です。誰かと夜景を楽しむ可能性も薄いし、たとえ誰かができたとしても、そんなに夜景ばっかりに注目しないよね。それよりテレビが友だちになるでしょう? それに、キッチンも冷蔵庫もないけど、クローゼットもついてる。ベッドも掛け布団もついてるし、あとは何とかなる!

翌日にはB&Bから荷物(と言っても服だけ)を移して、私はこのホテルの住人になりました。

荒っぽそうな地域だな、とは思いましたが、実はここ、かなり「ヤバイ地域」とされていました。サンフランシスコの中でも貧しいとされている地区テンダーロイン。麻薬中毒のホームレスのお兄ちゃんが叫び、立ちんぼの娼婦や男娼が並び、小汚いゲイバーは昼から酔っ払いで賑わっている。『地球の歩き方』では「行ってはいけない地域」とされていることを後に知るのですが、その地区に私のホテルはありました。

低所得者向けの住居用ホテル、だから、枯れ果てた爺さんや精神を病んだ婆さん、ヤク中の爺さんやにいちゃん、訳のわからない人たちが住む「誰でもホテル」で、ただ暮らしているだけなのに、いろんなことを経験しました。ホテルの通路にはコカインが落ちていて、それを誰かが速攻拾って、うん、なかなか上物だ!と喜んでいる。アル中のおっさんが玄関に倒れていて、その人の上をまたいで出掛ける日々。

いろんな人に話しているので、聞いたことがある人もいるかもしれません。これを読んで、ん?これは?と思った人、そうです、その私ですよ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?