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「食べ物の好き嫌いがない人間は偉い」は間違っている
「好き嫌いがなくて偉いわね」
なんなんだ このことばは。
なんでも食える奴が偉いのか?じゃあ虫とかうんこ食える奴超偉いじゃん。
こんなの味覚に鈍感ゆえに何でも食える人間が作った、自分に都合の良い設定に決まってる。
▼ ピーマンを食える奴は舌が退化している
先日の彼母との食事会で 彼が予約してくれていたのは、野菜を使ったフレンチレストランのランチコースだった。
私は緑黄色野菜が食べられないので、彼は私のニガテな野菜をすべてスタッフに伝え、1人分だけ逆ベジタリアンコースみたいにしてくれてたんだけど、彼の母親の前でそれはあんまりありがたくなかった。
彼母「逆に何なら食べられるの…?」
彼母にこんなセリフを言われてしまった。
いや食えるもんの方が多いから、普通に。世の中の8割くらいの食べ物は食べられるからね私。
残りの2割が食べられないのは、私の味覚が大人になっても子供のような敏感さを持っていて、味蕾(舌にある味を感じる点)の数が多すぎる、ゆえに苦味や酸味の強い食べ物が食べられないからだと理解している。
だから自分に好き嫌いがあることを申し訳ないなんて思ってないし、むしろ誇りに思っている。
なんでピーマン食える奴が偉いみたいな風潮なんだよ、ただ味覚が退化してるだけじゃん。味蕾の数が老化で減っちゃってるだけじゃん。(実際そうらしいよ)
▼ 好き嫌いがあるのは味覚が鋭いから
私「肉、魚、穀物、根菜やキャベツなどの弱めの野菜、すべて食べられます。ピーマンや茄子のような緑黄色野菜は食べられません」
彼母「うわぁ、大変ね…何でも食べられる人間からすると不思議」
なんでも食べられる人間というのは、ときに食べられない人間を見下す。それも無意識に。
じゃああなたは昆虫食える人間より大分劣ってるからな、うんこ食える人間でも尊敬してればいいじゃん…私からするとピーマンがそのうんこだよ!とか思いながら笑顔で応対してたわけだけど、こんなことは日常茶飯事。
この世界ではピーマンを食える奴がなぜか偉くて、食えない奴は非国民扱いされる。
違うから。
逆だから。
なんでほとんどの子供がピーマンを食べられないか知ってる?
子供の味覚は大人の3倍敏感だからだよ。30代を超えた大人の味蕾の数は、子供の1/3なんだって。だからピーマンの苦味を感じない。
もちろん個人差があるから、私のように20代で子供のような鋭い味覚を持つ人間(スーパーテイスターと言う)もいれば、子供だけど苦い野菜大好きみたいな子もいるけど。
だからってどっちが偉いとか、どっちが人間的に劣ってるとか、そんなの無い。
いややっぱある、味蕾の数が多くて味覚が鋭い方がどう考えても神性能だわ。
「スーパーテイスター」って名称まであるもん。「スーパー」だよ。味蕾の数が通常よりも多いスーパーテイスターは、緑黄色野菜が苦手なケースが多い。
なんでも食べられる人間というのは、味蕾の数が通常レベルかそれよりも少ない凡人なのに、その点を勘違いしている。
▼ 「スーパーテイスター」から見える世界
私はいつものように、この記事を綺麗に(と言うと自画自賛になるけど)まとめるつもりはない。
ただただ主張したい。
20年以上、ずっとずっと見下されてきた。卑下されてきた。
食事会が終わった後、母に言われた。
「好き嫌いがあるなんて、育ちが悪い!お母さんは恥ずかしかったよ」
なんだその無茶苦茶な理論は。
母の遺伝子で生まれた私は、設計ミスでピーマンが食べられなくなったわけじゃない。
一点突破型の奇特な才能として、凡人とは違う鋭い味覚を神に与えられたんだと思っている。
だって野菜食える人間より食えない人間の方が圧倒的に少ないじゃん。スーパーテイスターは人口の25%しかいない。マイノリティは才能じゃん。五感が鋭い方がどうして悪いの?
実際私は高校時代、昼休みの教室で誰の弁当箱にピーマンが入っているか座っていても分かるほど鼻が効いたし、サビ抜きの寿司を握って貰っても職人の手に付いている僅かなワサビの味まで分かる。
嫌いな食べ物が多い分、好きな食べ物にはめちゃくちゃ固執するから、最近はパルミジャーノ・レッジャーノ(チーズの王様)を1kgの塊で買ったり、馬のたてがみ(コウネ)の刺身だけを爆食いしたり、有名な寿司屋の大トロを食べ比べて記録したりと、食については人の何十倍も楽しんでいる自信がある。
この人の3倍敏感な舌で、普通の人では分からない領域の深い味覚を味わって生きている。
だから食べ物の好き嫌いがあることを、「可哀想」とか「恥ずかしい」とか、「大変」とか「不思議」とか「ダメだ」とか、食べられる側の尺度で測らないで欲しい。
好き嫌いがあることはなにも悪くない。
舌の設計がそうなってるんだから、そんなのそのままで良い。ありのままで良い。
▼ 自分の子には野菜を食べさせる?
答えはNO。私は自分に子供ができても嫌いなものを強制的に食べさせたりしないし、無茶苦茶な理論で諭したりもしない。
そんなの「お前の味覚は敏感すぎるから、味蕾の数を減らして舌を劣化させろ」って言ってるようなもんじゃん。
私は野菜が食べられないけど、父と母の身長をともに抜き去り、日本人女性の平均身長をゆうに超える成長を遂げているし、人生で1度も病気をしたことがない。
なんなら前にテレビで見た100才超えのおばあちゃんは、長寿の秘訣を訊かれて「野菜を一切食べないこと」と答えていた。
野菜には農薬が使われてるから、逆に体に良くないとする説もある。私はその説をゴリ押ししたい。
とにかく「好き嫌いのない奴が偉い」というこの世の謎の風潮を、私は否定したい。
私はわざわざ自分が嫌いな緑黄色野菜を店で頼んで残すような失礼なことはしないし、ピーマン畑を爆破しようと思ったこともない。健康的に何の問題もなく、日々平穏に過ごしている。食べ物の好き嫌いがあっても、誰にも迷惑をかけていない。
だからもうそろそろ個性として認めて欲しい。
野菜嫌いを否定したり、責めたり、いじめるような発言をするのをやめて欲しい。
好き嫌いがない奴は偉くない。
好き嫌いがある奴は悪くない。
好き嫌いって、味蕾の数が多くて味覚が鋭い人間に起こる生理現象だから。性能がいいゆえに敏感、ということだから。
むしろ賞賛されても良い。
「えっ緑黄色野菜が嫌いなの!?すごいスーパーテイスターじゃん!4人に1人の稀有な才能じゃん!私は凡人舌で何でも食べられるから憧れるわ…」
これくらい言ってくれても良い。
いつかそんな未来になって、皆がピーマンを食べられないフリをする日が来ることを願っている。
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