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5ヶ月と13日

わにゃにゃにゃにゃ、わにゃにゃにゃにゃ。息子が可愛すぎて、私はよくこう表現する。お手てやあんよ、ほっぺに両手で触れながら。今は夏。簾越しに近所のこどもの声が聞こえる、この田舎のとある一軒家。私の実家である。そういえば、今年は暑さのわりにセミの声が聞こえない。暑すぎて集団でどこかへ行っちゃったのかな。昨年の春、父方のおばあちゃんが亡くなった、その翌月に、私のお腹にやどった彼。ちなみに去年のセミの声も覚えていない。おばあちゃんと同じ兎年なので、赤ちゃんはおばあちゃんの生まれ変わりかと思ったけど、厳密にはその命の誕生は一回こっきりで、人生も一回こっきりと聞いている。大きなサイクルの中でとてもご縁はあるかもしれないけど、彼はおばあちゃんの生まれ変わりではなく、彼自身だ。

 愛や希望を書きたいと感じるようになったのはここ最近の話。辻邦生先生のエッセイと、おざわゆきさんの『傘寿まりこ』に影響を受けて、言葉を大切にした内面に忠実な文章と、希望在る落としどころのストーリーを、書きたくなった。窪美澄先生の、『水やりはいつも深夜だけど』『ふがいない僕は空を見た』を読んで、とくに『ふがいない〜』を読んで、引き込まれるストーリーとそのいたたまれなさに、なんだかじっとしていられなくなった。

 私と息子は今、東北にある私の実家にお世話になっている。赤ちゃんのパパは、たぶん、江東区にいる。江東区の古い下町で、とっても楽しく明るい数ヶ月を過ごした。

 今日は広島に原爆の落ちた日。8時15分に黙祷を捧げた。

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