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私のこれまでのキャリア - ポジション編

株式会社ゆめみ という企業でフロントエンドチームのサーヴァントリーダーやテックリード、今年の3月より取締役をしている Keeth こと桑原と申します。

本記事は私のキャリアの変遷について改めて書き残したものとなりますが、今回は特にポジション・職種・職位にフォーカスを当てており、転職についてはあまり触れておりません。また、先に宣言しておきますが、私のキャリアには特に戦略などはなく、ただただ私が自身の経験を通して、エモい事を熱く語っているに過ぎないです。

さらに過去に私のブログでも似たようなことを書いておりますが、この記事とはなるべく差別化を図りながら書いておりますので、もしこちらを読んだことある方にも新しい情報を提供できるかと思います。

それではどうぞ💁

自分がたどったキャリアの変遷と感じていたこと

まずは自分がどういうキャリアを辿ったかをダイジェストで追っていきたい。どこから書くか悩んだが、学生時代からに決めた。どこまで自分が凡人で、苦労してきたかも背景としてお伝えしたほうがリアルかなと思った次第。

○ 学生時代

そもそも大学受験に一度失敗し、一年浪人した(代々木ゼミナールに通っていた)後に、当時の偏差値52, 3 くらいの私立大学の工学部情報システム工学科に進学。

※ 余談だが、代々木ゼミナールはちゃんと入学する形で、学生証も発行される。ただし 卒業する人は稀で、基本的には中退するらしい。私もそのクチだった。

大学進学後、生まれて始めてプログラミングの存在を知った。授業で学んだ言語は「C」と「Java」だが、自分はJavaの単位を友人に取っていただいたので、C言語しかできなかった。更に言うと、学生時代にはアドレスとポインタが理解できなかった。それくらいプログラミングが苦手だった。

学んだことの中では解析学、特に 複素解析 が好きで、大学4年生では リーマン・ゼータ の研究をして卒業論文を書いた(実態としては、ほぼ勉強しかしていない)。卒業後は大学院進学を希望していたので、いくつかの大学を受験するも他大学は全て不合格、そのまま所属大学の大学院に進学。研究室も担当教授もそのまま。

大学院生時代は 結び目理論 を勉強し、そのまま論文を書いた。卒業のためには最低1本は外部で研究発表をするという条件があり、また研究室ではいつも参加している発表会があったので、そこで発表。博士課程への進学ではなく就職を考えていたので、「就職活動・論文執筆・発表準備」のトリプルコンボで忙しさとプレッシャーが凄まじかったのを覚えている。ちなみに担当教授にもめっさ怒られた。

発表会は開催国が韓国・フランス・日本を順番に変えていくという変わった発表会だったが、私は運悪く日本開催の年だった(ある意味助かった)。海外発表もあるのでもちろん英語での発表。人生初の登壇は実はこれだったりする。この経験のおかげか、就職活動の面接は緊張はするが、それほどでもなかったような記憶がある。人生何事も経験だなと。

○ 新卒一社目

入社したのは 株式会社エスキュービズム という企業さん。EC-CUBE というECサイト構築用のパッケージソフトを独自開発したソフトウェア EC-ORANGE をベースに、受託でお客さんの EC サイトの構築が主なビジネスモデルだった。今でこそ Laravel をベースとしたもので作られているが、当時は EC-CUBE の設計に完全に乗っかったもので、ほぼオレオレフレームワークの仕様となっていた。ちなみに動作環境は LAMP。

ここでは2年と10ヶ月在籍し、一通り Web アプリケーション開発にノウハウを身に着けた。とにかく新卒時、私はほぼ全く Web エンジニアとしてのスキルがなかったので、駆け上がるがごとく学べる環境、めちゃくちゃ苦労できる環境 を求めており、ここはまさにそれを達成できたと思っている。実際に経験したことはこちら💁

ポジション、職種
・テスター(自動テストではない)
・サーバーサイドエンジニア
・開発チームリーダー(プロジェクトリーダー)
・プロジェクトマネージャー

業務内容
・要件定義、開発、テスト、納品、リリース
・顧客折衝、外部ベンダー契約、保守契約、保守チーム引き継ぎ
・要件定義書、見積書、発注書、納品書、検収書…など各種書類の扱い

経験技術などを雑に
Linux、Apache、バッチ(Crontab)、PHP、HTML、CSS、JavaScript、MySQL、VMWare、Vagrant、EC-CUBE、Yii、Vim、SVN、Git、Riot.js(業務では未利用)

この様に、ただ開発者としてではなく、プロジェクトのキックオフから納品一通り経験させていただいた。ここまで身に着けたところで、おそらく他の企業でもやれるなという実感が湧いていた。また、このまま在籍しても技術者としての限界、学べるものの限界があるなと当時は感じており、転職を決意。以下は退職エントリー。

○ 二社目(転職一回目)

二社目は レプラホーン株式会社 という受託開発でお客さんの Web アプリケーション開発を手掛ける企業に就職。面接は一回、いきなり社長面接。しかもその場で内定をいただけた。決め手は LAMP 環境による Webアプリ開発の経験があり、即戦力として活躍してもらえるから、とのことだった。というのも、レプラホーンさんの主力技術スタックも LAMP だったからで、要はガッツリマッチしていたのだ。

レプラホーンさんでは完全に未経験の方でも採用することがあり、そのためのカリキュラムを専属エンジニアの方一人が実施されていた。そのため、私のように経験者で、なんならプロジェクトマネジメント経験を積んだ人間が来ることはかなり稀だった。このことから、意外と探せば自分が活躍できる場は世の中たくさんある ことを身で理解した。

ここでは1年と10ヶ月在籍し、エンジニアとして沢山の経験をさせていただいたので、こちらも箇条書きで💁業務内容は一社目とほぼ変わらないので割愛。

ポジション、職種
・フロントエンドエンジニア(一瞬)
・プロジェクトリーダー
・プロジェクトマネージャー

業務外
・社内勉強会を自分から主催
・外部の勉強会に参加
・コミュニティに参加
・外部の勉強会で登壇
・JavaScript, Node.js を本格的に勉強
・社内で有志のメンバーとプロダクト開発
・npm にパッケージを一つアップ

経験技術など
CodeIgniter v3、FuelPHP、PHPUnit、Riot.js v2、Ruby、Ruby on Rails v5.1、Node.js、Express、Mocha、Nginx、Docker、外部API、jQuery、Ajax、npm、プチスクラム、カンバン

これら沢山の経験が今の私を形作っており、転職活動にも十分に活きていると確信している。ただ感謝の思いでいっぱいではあったが、それ以上に思うところがあり、転職を決意。詳しくは、以下の人生二本目の退職エントリーに記載しているが、主な転職理由は大きく二点「技術者としての成長環境」「技術好きな人が少なすぎた」。

○ 三社目・現職(転職二回目)

三社目が現職の 株式会社ゆめみ という企業。ゆめみ社の選考は本当に不思議と言うか、あれで良かったのか?と今も疑問に思っており、後日内定の通知を聞いたときは、本当にこの企業で良かったのか?という感情が湧いた。まぁ、結果としては良かったので結果オーライということで。

ゆめみ社での経験は以下のようになっている。業務内容についてh…(ry

ポジション、職種
・サーバーサイドエンジニア(Node.js)
・フロントエンドエンジニア(色々)
・マルチベンダー案件のプロジェクトマネージャーもどき
・リードフロントエンドエンジニア
・テックリード(フロントエンドエンジニアチーム)
・取締役 ← now

業務内外
・リファラル採用
・フロントエンド委員会
・勉強会委員会
Yumemi.vue サポート
・社内勉強会開催
・外部勉強会登壇

経験技術など
Nuxt.js、Next.js、Ionic、Angular、Jasmine、AVA、Jest、CodeceptJS、AWS、Flux,Redux、Processing、p5.js

最初の1年間はプログラマーとして Node.js で既存 Web アプリの API の追加開発・保守だった。先輩エンジニアの方にみっちり鍛えていただいた後、フロントエンドをやりたい!と会社に進言したところ、別のチームのプロジェクトマネージャーさんが「〇〇という案件が有りフロントエンドもガッツリ開発するのでお願いしたい」とうお話を持ってきた。この案件をきっかけにフロントエンドの開発ができる!…と思っていたら、フロントエンドチームのリードエンジニア をやることになった。もちろん開発もするが、半分以上はリードポジションで、マネジメントもやれば客先にも一緒に行って話詰めたりもしてた。

そのまま採用活動を勝手に一年間頑張ったり、いろんな勉強会で登壇したり、社内で色々騒いだりと好きに動かせていただいた。

ある時「チャレンジ取締役」という制度が社内にあることを知った。その年は正直ビビってしまい手を挙げなかったが、結構後悔した。翌年(今年)は一念発起して手を上げたところ就任する運びとなり、今に至る。思いだったり、色々振り返った記事も書いているので、参考までに貼っておく。

長々と書いてきたが、ここで一旦キャリアの変遷については締めたいと思う。本当はダイジェストだらけでもっと短くなる予定だったのだが、やはり書き始めると長くなってしまった…🙇

キャリアについての運による部分

ぶっちゃけると全てが運だと思っている(笑)こういう言い方をすると元も子もないため、もう少し深堀りする。

○ 決断について

私が今まで下してきた人生の決断の最後のひと押しはいつも同じで、自分が一番面白いと思える道はどれか? である。

もちろん決断には色んな要素が混じっている。この社会では歳を重ねるごとに、色んなものを背負う確率が高く、多くの社会人は何かしらを背負いながら人生を送っている。それは社会的なポジション・地位が上がるごとに重くなり、関わる人の量に比例して増えていく。

したがって、人生の決断となると考えることも多く、時間をかけて考えたり悩んだりするのは当然。それでも最後は自分で決断しなければならない。その決断に当たって、自分の核となるものを決めておく必要がある と思っている。それは、自分が道に迷ったり人生の選択をする際に決め手となるものでもあるが、立ち止まってしまったときに再度歩み出すためのものでもあるからだ。

私の核は「この人生を全力で楽しむ」である。これを満たすにはどの選択が一番面白いか?一番ネガティブを避けられるか?を考えて決断している。この核で物事を考えると、色んなことにチャレンジする方が楽しい経験ができると思っている。苦労することもあるが、後から振り返ってみると充実していた、楽しめる選択だったと確信している。

○ 運の種類

「運」と一言で言っても、それには種類がある。例えば、くじ運、信号運、タイミングにおける機運、仕事では社運、歴史においては武運という言葉もある。

さて、では人生における運には何があるだろうか?これにもいくつかあるが、個人的に一番重要視している運がある。それは、

「人の運」

だ。人の成功にも運は大きく関わってくるが、とりわけ決定打となる運は大抵が人の運である事例は多く、無視できるものではない。

ただ注意が必要なのは、運は向こうから勝手に寄ってくることはなく、自分のアクションが必要になると思っている。もっと言うと、運は自分から取りに行くことすらできるといるのではないだろうかと。その意味で人の運はとても大事なものと私は捉えている。

○ 運を引き寄せる

かの有名な、「経営の神様」こと松下幸之助氏のエピソードの一つとして「採用面接において、合否をその人の運の良さで決めた」というものがあります。どれだけ優秀でも運が悪い人は採用しなかったとか。

この話から学べることについては世の中に沢山の解説記事やブログがあるため、今回は割愛します。ここで私が言いたいことは、運を引き寄せるには 自分のアクションが必要だ ということである。

運は勝手に寄ってくることはなく、自分のこれまでの行動や戦略の結果着いてくるものだと私は考えていて、運が悪い人は、その方面でのアクションが足りていないのではないだろうか🤔

では、転職活動における「人の運」をどう引き寄せるか?

1. 人の縁を増やす(様々なコミュニティに参加し、パイプを作る)
2. Twitter、ブログ、Podcast、OSS などの発信を増やす
3. エージェントを見る眼を養う(そのための情報を集める)

私はこの三つだと考えており、これまでの転職活動でもかなりの効果があったと感じている。すなわち、私がどういう人間なのか、どういうスキルを持っているのか を外に発信していくことで、私にマッチしたお話を提供してくれる確率を上げる。これは知人・友人も含まれている。その中でその情報は本当に自分に合っているか?を判断する目を養いつつ、最後はここに決めた!と決断できる基準を明確に作っていくことだ。

平たく言うと、セルフマーケティング・セルフブランディングと、自己分析を頑張りましょう、と。今までのキャリア・転職、数々のチャレンジ、会社内でのポジション、エンジニアとしてのセルフブランディングなど、どの点においても「人の運」が今の私を形成してきた。そして今後もそうだと思っているし、私も誰かのそういう存在でありたいと思う。

○ ポジションにおける考え方

私は本当に「人の運」が良かった、上手く引き寄せることができたなと思っているが、その引き寄せ方はある程度戦略とも言えるので、最後にまとめて終わりたいと思う。

会社やプロジェクトによっては、具体的に使う技術が限られていたり、職位的には動ける範囲が決まってしまっていることも多いだろう。ゆめみ社のように全員に権限を渡されており、やりたいことを自分でやれる環境を作る可能性がある企業は、限られていると思う。その中で自分のやりたいことをできるようにするにはどうしたら良いか?

大きく分けて三つだと思っていて、

 1. 地位、職位を上げる
 2. 外堀を埋める
 3. 可能性を見せる

かなと。1 は分かりやすく、権限を取りに行くこと。2 は民意を獲得し、決済者にやりたいことをやれる場を作らせに行くこと。3 は、社外等で先に実績を作り、社内でもやらせて良いかも?と決済者に思わせること。

チャンスがなければ作るしかなく、そのためのアクションと言うこともできるが、この中で一番効果が高いのはやはり 1 と考えている。具体的にどう動けが良いかも述べていこう。

1. 地位、職位を上げる
私が web デベロッパーなので、それを前提に書くと、エンジニアはコミュニケーションを避けがちである傾向を逆手に取り、自分からガンガンコミュニケーション取る用に動いた。するとリーダー職やマネジメントのお話が来るようになった。チャンスが来たら手を挙げる。

また、ハロー効果 という心理現象を皆さんは御存知であろうか?私はこれも利用したりした。説明は割愛するが、これは日本人なら特に効果が高いと思うので、もし知らない方は試してみていただくのも一つの手だと思う。

2. 外堀を埋める
これは社内でパイプをたくさん作ること、仲間と言える人を増やすことだ。極論、決済者以外の全員を仲間にしてしまえば民意を得たことと同義である。よって、決済者の方も方針を変える確率がかなり上がる。

この方法は時間と労力がかかるので根気も必要になるかもしれないが、これも効果は高いと思う。ちなみに私は、ノミュニケーション🍻でPMや営業の方と沢山本音で語り合ったので、根気はいらなかった。

3. 可能性を見せる
例えば会社の何らかのプロジェクトで Flutter を導入してみたい、機械学習のプロジェクトに参戦したい、という願望が合ったとき、独学で勉強するだけでなくそれを Qiita や note で大量に発信するとか、社外勉強会でガンガン登壇したりすることで、自分にやってみたい技術のラベルを付ける 事ができる。

これにより自分の発言に説得力が増すし、それならやらせてみても大丈夫かな、と思ってもらえる可能性が上がるので、この方法もアリだと思う。

終わりに

今回振り返ってみて分かったことは、自分はやはり凡人で爆発的な成長をしたわけでもなく、地道に一歩ずつステップアップしてきたんだなと。ただし、紆余曲折はあれど順調に成長できる環境に身を置けたと感じている。

何故これほど成長できる環境に恵まれたのか考えてみたが、50%は「人の運」で、50%は「情報収集とチャンスがあればとにかく手を挙げる」というアクションだと思う。色々苦労したり大変な経験を何度もしてきたが、それでも振り返ってみたらその時の自分に合っている壁にぶつかれていた。

この「自分に合った壁」というものは、アクションしない人間に現れることはないので、今後もしっかりチャンスがあれば手を上げ、いくつになっても、どんどんチャレンジしていきたいと思う。

続編として「転職活動編」を書いておりますので、もしご興味ある方はお読みいただけると🙏

ではでは(=゚ω゚)ノ

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