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【連載2/3】篠原湘南クリニックの軌跡 篠原理事長インタビュー

診療所開業から35年、来年はクローバーホスピタル開設20周年を迎えます。そして今、さらなる進化へ向かう中、これまでの道のりとこれからについてインタビューを行いました。(全3回)


診療所時代の外科の救急当番の思い出


救急当番の時、サーファーが肩関節を脱臼して搬送されてきたことがありました。厚手のウェ ットスーツを脱がすことができず、看護師が「これ切りますよ」とハサミを出したら、サーファ ーは「これ買ったばかりで、高かったんです。切らないでください」と泣きながら懇願しましたが、救急隊員に説得され、かわいそうでしたが切らせてもらい無事に整復できました(笑)。

昔 の外科は整形も診察したんですよ。本当に何でもまずは診る、まさに総合診療でした。

デイケアや訪問診療を展開した理由


転機は1996年の付き添い婦制度廃止でした。それ以前は入院患者さんの療 養中の世話を看護師ではなく「付き添い婦」にしてもらっていたのです。
廃止により看護師を増員せねばならず、19床の診療所では経営的に難しいと判断し、2階の病床をやめてデイケア(通所リハ)を始めました。 2000年に介護保険制度が始まり、医師会では介護保険制度の担当になりケアマネ第1期生で 合格。介護保険に強くなり、患者さんが相談に訪れ、クリニックは多い時で1 日200人受診する絶頂期でした。

今も整形外来を担当してくれている稲垣克記 先生がアルバイトにきてくれていましたね。この頃に昼休みの時間に訪問診療も開始。門倉充代先生との出会いがあり、在宅の患者さんは200人と当時としては大きな訪問診療でした。その礎のもとに、多くの先生やスタッフの尽力により訪問を続けてきて、現在地域の1,000人近い患者さんの在宅医療を担うようになりました。


当時の忘年会の様子


クローバーホスピタル開設への転機


そうして診療所が絶頂期を迎え、次は病院を開設しようという2003年に鈴木勇三先生(病院長)との出会いがありました。先生は30代で藤沢市民病院 の呼吸器内科で活躍されていた。私は「若いけどこいつなかなか良いな!」 と感心し、「病院をやるから、院長としてやらないか?」と声を掛けました。1週間後に「やりましょう」と返事をしてくれました。次に看護部長も 無事に決まり、こうしてクローバーホスピタルは2004年に開院することができました。(次へ続く)


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