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【まちごとホテルをやってみた】SEKAI HOTEL(セカイホテル)

SEKAI HOTELは「初めて訪れる旅先の日常(=ORDINARY)を楽しむホテル」である。

構想段階から5年、SEKAI HOTELは2017年大阪に一号店をOPEN。6月で5周年を迎える。

そりゃあもう準備に準備を重ねて…

と、言いたいところだけど、実際は妄想ばかりが先走ってしまい、一号店OPEN以降、失敗のオンパレード。

さらにコロナの追い討ちが来て、とてもじゃないけど順風満帆には程遠い事業になってしまった。笑

きっかけ

「なぜSEKAI HOTELをやろうと思ったんですか?」「まちごとホテルの仕組みを思いついたきっかけは?」と良く聞かれる。

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SEKAI HOTELは古い看板を撤去しない

正直「社会を変えてやる!」みたいなキラキラしたポジティブな動機ではなかったかもしれません、ごめんなさい。

振り返ると、2011年〜2012年ごろは毎日のように「会社を潰そうか」と悩んでいた。

“不動産業界は人の入れ替わりが激しい”ということを十分理解していたつもりだったし、自分が作った会社では「一人も辞めさせてなるか」と意気込んだものの、辞めていくスタッフが絶えなかった。

「こんなに辛い思いをしながら不動産業を続けるのか」
「自分の会社じゃなくて、どこかに勤めてもいいのでは」

などと帰り道の度に、会社を潰すプロセスを検討、検討、検討…

しかし、辞めるイメージをする度にめっちゃ怖かった。

借金もある、たくさんの人に謝りにも行かなきゃならない、家族はどうなるのか…→どうしよう。汗

そんなことから逃げるかのように“何か”を探していた。

逃げ道

そうしているうちに、2つのことが頭の中に浮かんだ。

①人が辞めない不動産業とは
②社会に必要とされる不動産業とは

この2つを達成すれば、自分はこの“会社を潰す(辞める)”という怖くてたまらないモノから逃げることができるのではないだろうか?

そう思った頃から、悩む方向が変わって「①+②=”誰もやっていない不動産業”」という少しキラキラした方向に向き出した。

すがるモノが見つかった。

点在する不動産を

最初からなんとなく「リノベーション」を活用しようと思っていた。しかし、プラスアルファがほしい。

何より自分が夢中にならなきゃ。もうスタッフがあらゆる理由を口にして会社を去っていくのは嫌だ。

他がやっていないデザインパターンを検討したり、少し変わったシェアハウスを検討したり、なかなか良い答えが見つからない。

でもそんな時だった。

スマホでニュースを見ている時に気づいた。インターネットの世界ではキュレーションサイトなるものが増えている。

ひとつのトピックに従って、オリジナル記事も他人の記事もどんどん集められていく。そしてそれはひとつのブランド(アプリやサイト名)として社会に認知されていく。

僕は、「なんで不動産の世界ではバラバラにあるものを一つのブランドにまとめることができないんだろう」と思った。

増えるばかりの空き家を、一定エリア内でいくつかリノベーションして、ひとつのブランドとして運営するのはどうだろうか?

こうしてSEKAI HOTELの構想が生まれたのは、2012年ごろだった。

計画よりも行動

僕は自分の想いに夢中になりやすい。妄想の世界に酔いやすい。そして夢中になるとびっくりするくらい楽観的なのが弱点。死ぬほど脇が甘くなる。騙されても気づかないくらい。

SEKAI HOTELの構想が生まれて、タスクが増えて、どれも自分には経験が無いことばかりだったのに、この時には立派に酔っ払っていたので、もう怖さを感じていない。

①不動産屋である自社がリノベーション会社になる
②大学生のインターンシップ受け入れ
③インターンシップからの新卒採用
④給与形態や働き方を全く違うものに変える
⑤オシャレな事務所へ移転
⑥一般のホテルと違うルールや仕組みづくり
⑦何より社会に貢献する会社を目指す

頭の中は「これらをやれば、誰もやっていない不動産業が実現する」ということで一杯だった。

当時は「とりあえずやってみよう」とひとつずつチャレンジしたけど、今こうして振り返ると随分無茶で無計画だったな。笑(悪い人にたくさん騙されました)

歓喜と落胆

そして、思いつきから5年経った2017年6月に「まちごとホテル」としてOPENしたSEKAI HOTELは、まさかの日経新聞に取り上げてもらった。

人生初の新聞掲載。会社中が盛り上がった。

「これはいける!俺の人生第2ステージ突入や!」そう思った。

インバウンドブームもあって、たくさんのお客さんが来ていた。


しかし、異変に気づく。

僕らが求めていた「地域の日常を楽しんでもらう(=ORDINARY)」というのはあまりお客さんに届いてないように思えた。

2018年には商店街モデルとして東大阪市の布施駅近くでSEKAI HOTEL Fuse(2号店)をOPENしたが、やはりお客さんの声は厳しかった。

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SEKAI HOTEL Fuseは“泊まれる町工場”がコンセプト

「部屋でテレビを楽しみたい」
「今回の旅行はUSJが目的」
「安かったから予約した」

関西弁で盛り上がるお好み焼き屋さんも、おつりとセットで冗談がついてくる商店街も、

大阪下町(旅先)の日常は、お客さんに魅力として伝わっていなかった。

求められていなかった世界観


がーん。

 …

お客様アンケートを読む度に崩れ落ちた。そしていつしかSEKAI HOTELを疑うようになった。

「仕組みが間違っている?」「お客さんは来るけど、街の日常は退屈?」いろいろ考えた。こんなところでつまづいて、大阪を出て地方で勝負できるのか?

「様々な地方の日常を、世に知らしめるには」

悩み続けた結果、SEKAI HOTELが生み出す世界観の“テンション”が間違っていたことに気づいたが、一号店OPENから3年が経過していた。

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SEKAI HOTEL Fuse(東大阪市)の路地裏

これまでは、街の日常(ORDINARY)をアート作品のように“眺める”ものとして発信していたが、そんなクールなテンションでは旅行客はワクワクしないということに気づいた。

「いつもなら勇気が出ないけど、旅先くらい思い切って…!」

勇気を絞り出せるほどのワクワク感を想起できるSEKAI HOTELにしたいと、あらゆるものを変える決断をした。

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”旅先の日常に飛び込もう”


写真の撮り直し、モデルの依頼、サイトの変更、フォトブックの作り直し…

出ていくお金は止まらない。笑

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フロントでのラムネサービス
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人気のお好み焼き屋でSEKAI HOTELオリジナルコースを堪能

ホテル業界とのギャップ

加えて、何も考えずにとりあえずやってみたSEKAI HOTELは、ホテル素人集団で始めたので当然多くの壁にぶつかることになる。

他のホテルから転職してきたスタッフは、業務内容が違いすぎて、一年で辞めてしまった。

地域の人たちとの立ち話も重要なSEKAI HOTELでは、話を切るタイミングがわからずに、若いスタッフが他の業務で夜遅くまで働くハメに。

代表の僕自身も、銀行やVCなどあらゆる方面で見せる事業計画が「まったくわからない」と言われてしまう。

2019年、とある大きなピッチイベントに登壇し、わけのわからないプレゼンをしたことで会場の時が一瞬止まったことは忘れられない。

「俺らは他と違うから」というプライドと、「やっぱりホテル業界のこともっと勉強した方がいいのでは」という謙遜が闘う毎日だった。

続けてよかった!

他にも書けばキリが無いけど、「とりあえずやってみよう」の精神で、山のように失敗を積み重ねてきた。

みなさんお気づきのように、儲けるどころかたくさんのお金が出ていった。笑

こうやって書けば美談に見える人もいるかもしれないけれど、経営者同士ではまぁ馬鹿にされた。(そりゃされるよね)


でも続けてよかった。

コロナで緊急事態宣言が出てからは、今までの失敗から生み出したモノをnoteに記すことも始め、今も続いている。

まちごとホテル=SEKAI HOTELというのも少し認知されてきたのかもしれない。

お客様アンケートの内容も格段に良くなっている。

「大阪らしい体験ができる素敵なホテル」
「おもちゃ屋のおじさんに『楽しんでいって!』と声をかけてもらったのがよかった」
「地元感漂う、居酒屋や喫茶店がすっごいよかったです」
「昔ながらの銭湯で、常連さんがいろいろ教えてくれた」

今のSEKAI HOTELは確実に「旅先の日常に飛び込めるまちごとホテル」であり、これから日本中の地方・地域にとびっきりのキャラクター性を持たせることができると確信している。

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SEKAI HOTEL Fuseの人気フォトスポット

これからのSEKAI HOTEL

Twitterでも投稿していますが、2022年は初のFCが富山県高岡市にOPENする。

さらに、他の地方からもありがたいことに出店オファーを頂いている状況。本当にありがとうございます。



思いつきで“やってみた”SEKAI HOTEL。

思いつきでやってみては後悔し、自前の臆病っぷりを発揮し続けて、後には引けないのでなんとか耐えるっ!…こんなことを続けてきたところ、とんでもないところまで来たように思う。

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SEKAI HOTEL Takaokaは本屋さん跡地をリノベーション
ヴィジョンイラスト
SEKAI HOTELのヴィジョンアート

ところで、SEKAI HOTELは2017年に一号店をOPENする前、プロジェクトチームを発足した2016年に「ヴィジョンを絵にするのはどうだろう」と思い、このヴィジョンアートを描いている。

世代、国籍、ハンデキャップ、地域住民&観光客、全ての人が分け隔てなく楽しんでいる”お祭りの夜”を、SEKAI HOTELが目指す世界観として表現した。

思いつきで描いたこのヴィジョンアートは、SEKAI HOTELが目指す「No Borderなセカイ」をスタッフやその他ステークホルダーに共有し、どんなことが起きても(コロナ禍になっても)決して辞めるわけにはいかない理由にもなった。

あれだけ悩んでいたスタッフの離職率も大幅に下がり(1年以内の離職率11%)、インターン採用も新卒採用も継続できている。

僕の夢は、みんなの夢になった。

2021年忘年会

思いつきでやってみたことも続けることで大きく飛躍するし、辞められない理由がはっきりしているものは社会にとってもきっと大切なモノになるんだと今は確信している。

おまけ

ちなみに「イタリアのアルベルゴ・ディフーゾ(分散型ホテル)を参考にされたのですか?」とよく聞かれる。(↓参考)

初めてアルベルゴ・ディフーゾという言葉を耳にしたときは今でも覚えている。

「ん??アル、ベ、%*&#*@!??」

全く知らなかった。汗

大きく描いた夢にノリで飛び乗ってみたら、意外にも王道な取り組みだった。笑

#やってみた大賞


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