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『人に甘える勇気』(私自身の課題だった)

私はタイトルの通り人に甘えれない性格だった。

いつの日も一人で頑張ってしまう自分が居た。
お願いはされても、人にお願いをすることはなく、というよりどうお願いをしたらいいのか、なかなか出来ない人でいた。

甘えられない理由としては、

・お願いをして嫌な顔されたらどうしょう?
・お願いをして嫌な気分にさせたらとうしょう?
・お願いをすることによってその人の時間を奪ってしまうのではないか?
・断られた後の雰囲気が気まずくなったら嫌だな…。

人に甘えるのは単なるわがまま?!なのでは?!と思うように…

極論、一人でやる方が気が楽!!

例えば、レントランとかでのシェアとかも苦手😂
「私食べすぎてない?相手さんは食べてる?」とか色々考えてたら、どんなけ食べたらいいか分からなくなる。だから一人1品を頼んで気兼ねなくゆっくり気を遣わず味を堪能しながら食べたい🍽って思ってた。
無駄に気を遣いすぎて疲れちゃうやつだな😅

お願いをしたい気持ちの一方で、


・お願いをしてもなかなかやってもらえず…自分でやったほうが早いんじゃん!速攻性を求めてしまう。
・自分が思ってるイメージと違うと最初から自分でやればよかったと残念な気持ちになる。
 (頼んどいていちゃもんつける自分…)
そんな気持ちになってる自分がまた嫌になる。
だったら最初から自分で満足するまでやったらいいやんって、単なる我がままなのかもですが…😅

そもそも、嫌な事(やりたくない事)をやるのと好きな事をやるのとでも違ってくるのにね。 

自分がやらなくてもいい事だって沢山あって、他者がやっても何ら問題もなく、変わらない事だってある。色んな思考がごっちゃまぜになってたのも一時ある。


少年期、

「己の欲せざる所は人に施す勿れ」

この言葉が私の根底にあったのかもしれない。

「自分が人からされて嫌なことは人にはしない。」
中学校の国語の授業だったかな?そこで学校の先生が1つあなたの座右の銘というのを持つといいと言われて選んだ言葉の1つである。
そこから人がされて嬉しいことが抜け落ちている?!でも、それは頼りにされて嬉しい場合と迷惑な場合と時と場合によっては…まぁそれはさて置き。

話は変わりますが、

昔々、1分間ただジーと目を合わせて見つめるだけで、台紙に詩を書いてくれる人がいた。

たまたま道路脇でやってのを見て、いったい私はどんな風に見えるのだろう?面白そう!と二十歳の頃にやってもらった時の詩が↓これ

20歳の私に向けた詩

これを手にしたその当時は、えっ?!
私人に甘えてないの?甘えてもいいの?甘えるって?

甘えるのはわがままだと思っていたから、ふ〜ん…。私ってそんな風に見えるんだって思った。

同僚との出会い

親しくなったお友達と買い物に行ってる時とか、トイレに行きたくても変な気を遣って我慢しちゃうときが多々あった。
(トイレに行くことで楽しい時間を潰しちゃうのではないか?という思いになって)
でもある日、苦楽を共にした同僚にそのことを打ち明けたら「それは言ってー、言ってくれた方がこっちも嬉しいし言えずに我慢してるっていうことがなんだか悲しい。だから何でも言って欲しい」って。
その言葉を聞いて確かにそうだよな…
逆の立場になれば「我慢せず言ってよー!」ってなる。
それに「うちらそんな気を遣う者同士じゃないやん」って言われて確かに…
相手の立場になれば寂しくなる。
それからは心が許せる人には少しずつ言えるようになっていった。

あれから20年!!

今の私から20歳の私に向けて言える言葉。
「いや〜そんなに気を遣わなくてもいいのにね〜」「もっと人に甘えるんだよ。」ってね😁

今は包み隠さず正直に言えている自分がいる。
そして、助けて欲しいときは「助けて」と周りに甘えれるになった
同一人物かな〜?っていうぐらい😆笑

やっぱり母親になってからグッと変わったなー。
守るものが出来たら強くった!
子どもたちに支えながらも色んな経験を経て
確実に神経が図太くなったよ🌻


所で、

あの詩人は今どこにいるんだろ?


また今の私に向けた詩を書いて欲しいな〜☺️

全国各地を飛び回って詩をかいてるのかな〜?
どなたか知りませんか?笑


「自分の最大の課題(人に甘える)を乗り越えた」記事もあるので、良かったらお時間がある時に読んでいただけると嬉しいです♡

長々と最後まで読んでいただきありがとうございました🍀

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