そうだ、海外で働こう

こんにちは、今日もお疲れさまです。

今回は私がなぜ海外で働こうと思ったのか、
そのために何から始めたのか、を書いていこうと思います。
「なんで海外に行こうと思ったの?」と質問されたときに経緯をいちから説明すると必ずウケるんですよね。笑
私の中での鉄板のすべらない話のはじまりはじまり~

最初に注意しておきたいのですが、全く参考にならないと思います!
こんな人生もあるんだね~と思って頂ければ…。

日本での生活

そもそも私はMBTIではINFJ(提唱者)で社交的な性格ではないんですよ。
友達も多い方でもないし、だからと言って敵が多いわけでもない。平和主義で争いや自己主張も苦手な性格なんです。
そんな私が運よく知り合いの紹介で京都にある外資系のホテルで働き始めたわけです。ま、裏方だったので外国人のお客さんにあれこれ説明したりする機会はありませんでしたが、外資系ホテルだったおかげで日本人だけでなく世界中からスタッフが集まっていたんですね。英語は高校で平均点取れてたらいいや~と熱心に勉強してこなかった私ですが、会話はできなくともなんとなく相手が言っていることはわかるな、というくらいには耳が鍛えられたんです、ありがたいですね。
もともと洋楽や映画が好きだったのもあるかもしれません。
そんななか急にコロナ渦が始まって、皆さん覚えているでしょうか?観光業界ってあの時本当にすごかったんだから!
あんなに市バスを快適に使える日々はもう二度と来ないでしょう!笑
そんなに人がいなかったんです…、サイレントヒルみたいでした…
ホテルも休館が続き、え、これいつまで続くんだろうと不安になってましたが、もともとインドア派だったのでずっと家にいる生活に苦はなかったんですが、なんとなく新しい趣味作りたいな~と漠然と考えてました。
そんな時に友人が最近はまっているというゲームを教えてもらったんです。

ポーカーってご存じですか?

007でもおなじみのゲームですよね、ポーカーフェイスの語源にもなったカードゲームです。
手持ちの札とテーブルに並べられた札で誰が一番強い役を持っているかを競ったり、だましたり、運がよかったりするゲームですね。
これを友人と集まりなんとなく遊び始めたのをきっかけに私の人生は混沌を極めていくことになる…!
(きっかけをくれたこの人とはもう二度と会えることはないですが、感謝してているし、なにしてくれとんねんと恨んでいる気持ちもあります、苦労もいっぱいしましたから!笑)

コロナ渦がすこしづつ明けて、それでも出勤日数は減らされていたので、私はカジノバーで副業を始めました。
ホテルにはマカオ出身の方も働いていて、マカオのカジノはほんとはちゃめちゃなんだから!という旨の話は日常から聞いていたのでカジノに対する嫌悪感などはなかったんです。
それに普通のカフェや居酒屋で働くよりもまあ楽しいだろう!と、ゲームは好きだったし、ポーカーを始めた時もこれは自分がプレイするよりもこの場を支配して進行する方が自分には合ってると思っていたんですけど……。
予想以上にしんどかったです!!!!!
すぐに辞めちゃいました笑
カードゲームを覚えてアルバイトの子たちと話したり準備するのは楽しいんですけど、そもそもお客さんとの会話が苦手でした。とくにその場を楽しませるエンターテインメント性は私にはなくて、なんたってインドアのオタクですから。
でもせっかくカードゲーム教えてもらったのにもう辞めちゃうのもったいないなと思っていたところに、また出会ってしまったんです。
カジノスクールという存在に。

転機

あ、そういや大阪にカジノできるじゃん。ここでカジノディーラーの仕事を完璧に覚えたら、将来カジノができたときに一番に働けるじゃん、あわよくばアシマネくらいにはなれるかも、と。
どうなるか分からないけど、見学だけしてみるか、と決めてカジノスクールに行ったんです。すると講師の方に「エストニアで日本人ディーラーの募集が始まってるんですけど、興味ないですか?」と初日に言われたんですね。
え、エストニアですか?バルト三国……、フィンランドの真下、ロシアの隣。え、エストニアでですか?と脳内で会議が始まります。
だって観光業はしばらく好転しそうにないし、仕事でヨーロッパに行ける、しかもワーホリビザを使わないで。英語の勉強にもなる。海外旅行が規制されているこのご時世に海外に行ける、この話を聞かなかったら自分には絶対になかった選択肢だ。あ、これはまさか神様からの思し召し?と、まあなるようになるか、と会議終了して、「興味ありますね」

ホテルで勤務しつつ

それからはカジノスクールでゲームやディーリングの勉強と練習をしつつ、エストニアの面接対策をしていました。
ひたすらディーリングをするのは苦ではなかったです!新しいことを学ぶのは脳が刺激されますし、手を動かしてチップの計算をするのは老化防止になりますし。やはりお酒が入ってたり急にキレたりするお客さんがいないと楽しくゲームができますね~。
仕事をしながらスクールに通っていたので、なんだかんだで3カ月ほどカジノの勉強をしていた気がします。
あとは初のヨーロッパに行くことになるので、英語の勉強を一番したような気がします。特にエストニアはあまりメジャーな国ではないので、日本人や韓国人は他国ほどは在住してなくて…!
結局私のよわよわな英語力でもなんとか採用になり、無事にエストニアに就職、移住することが決まったのです。
ちなみにホテルを退職するときは正直に「エストニアでカジノディーラーやります!」と伝えると、「大きく出たね~笑」「そんな人生急転換する人初めて見た笑」と言ってエストニアのことを一緒に調べてくれる人たちばかりでした。応援もしてもらえて、わたしって優しくていい人たちに囲まれていたんだな~と実感しました。

初めてのヨーロッパ

ムーミンのウェルカムカードですか

そして2022年の1月にわたしはフィンランドを経由してエストニアへ飛び立ったのです。京都駅でママと別れるときは二人で号泣しました……笑
出発はフィンエアーで、噂では聞いていましたがやっぱりかわいかったです!マリメッコのナプキン、ムーミンのポストカード、オーロラを模した機内の、なに?プロジェクションマッピングっていうんですか?よくわからないですけど天井がゆらゆら色を変えながら光ってるんですよね。わ~これが北欧センス…と思いました。

オーロラのイメージらしい


13時間のフライト中、その時はまだロシアの上空を飛べていたので、うとうとしながら、今どの辺?と位置確認してまだロシア!?というのがよくありました。新幹線に乗ってるときのまだ静岡!?と似てますね。
初めての乗り換え、しかもこの乗り換えに大雪の影響だとかでコロナでまったく営業してない空港で4時間くらい待たされました。エストニアまで飛行機で30分ほど、この30分の為に私は4時間も待たされていたのか、フェリーに乗れば2時間なのに。
そんなこんなで5時間おくれで深夜にエストニアに到着して、会社の人事スタッフの方と日本人スタッフの方が迎えに来てくださり(深夜だったのに!やさしい!)寮の説明をうけて、飛行機でなかなか眠れなかったのもあり、その日はすぐに寝ました。やっぱり寒いな、骨まで響くほど冷えるな…なんて考えながら。
翌朝見事に風邪をひいて高熱がでましたね。ほんとに死ぬかと思いました。


そんな感じで私が海外で働くことになったきっかけです。
長くなりそうなのでまた次回にエストニアの仕事の記事を上げたいと思います。
いつもスキを押してくださる方、ありがとうございます。
本当に励みになります。
それではこのへんで、にこっ

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