【短編小説】"神"の恋愛は悩ましい。3/5 (2396字)
「神、私です、大臣ですー! 失礼ですが入りますぞ」
返事がないので嫌な予感はしたのだが、もぬけの殻の私室に愕然とした。
床にはビリビリに破り捨てられた「平等」の文字。あれほど大事にしていた信条だったのに。……まさか!
最悪の事態が頭に浮かんで目の前が真っ暗になる。その瞬間、扉がバタンと開いて、入ってきた神と目があった。
おそらく一睡もしてないのだろう。目が赤い。色白の端正な顔は蒼白だ。
「神……! 私はてっきり今回の責任を取ってご自害されたのかと……!」
思わずガシっと抱きしめる。神は目を白黒させてから、なぜかばつが悪そうな顔で、「大臣、心配かけて申し訳なかった」と言った。
「謝らないでください! 先代の神の時代もこのようなことは時折ありました。すでに臣下を対応にあたらせています。ここは私どもに任せて、どうか休まれてください!」
神の固かった表情が少しだけ柔らかくなった。
「そうか……偉大な先代の時にもこのようなことはあったのか……」
「もちろんです! 神だって全てを思い通りにできるわけではないのです。むしろ、あなたが神になってからの方が安定してますよ!」
「……そうなのか」
神が驚愕の表情で私を見る。……あぁ、やっぱり自覚がなかったか。
「そうですとも!! 貴方は今のままでもう十分なんですから! 根を詰めすぎなんです。いい加減、もっと自分を大事にして、ご自身と仕事を切り離してお考え下さい!」
「お、おぉ……」
神が私の剣幕に気圧されたように後ずさるのを見て、ハッとした。
「申し訳ありません! 言いすぎました……」
「いや、いい。……そうか、我が身まで否定する必要はないのだな」
神はどこか遠くを見て何かを考えた後、怪訝そうな顔をしている私に、ふっと微笑んだ。
「大臣、ありがとう。私は大丈夫だ。もう逃げぬ。最後まで責任を取らせてくれ」
「……かしこまりました! では、支度を整えたら、ともに下界に降りましょう」
◇
洪水はひいていた。
植物たちは無残に折り重なって倒れ、呻いていた。葉が破れたり、茎や枝が折れているものもいる。みな満身創痍だった。
「……私のせいだ」
目を伏せ、肩を震わせる神に私は声をかけた。
「神、あれをご覧ください」
私が指さした場所では、臣下たちが泥だらけになりながら、倒れた植物たちを必死でおこし、その根に土をかぶせて立たせていた。
植物はボロボロになりながらも、確かに立っていた。立てる力がないものには、支柱を添わせてやっていた。彼らは皆、生きようと懸命だった。
「……なんと植物の強靭なことか」
神が驚いたように目を見開いて言った。
「えぇ。彼らはたくましいのです。葉や茎が傷ついても、根は生きているのです」
「……そうか。……私もやる」
いうなり神は靴を脱ぎ捨て、衣の裾をたくし上げると臣下たちの方に走っていった。
「……! なりません! 汚れます!」
「かまわぬ」
彼は自らその手で植物たちを起こし始めた。神に助け起こされた植物たちは目を潤ませて彼を見ていた。しかし、そんな植物ばかりではなかった。
「今さら偽善者ぶりやがって! なんで昨日雨を止めてくれなかったんだ!」
倒れたまま喚いているのは、セイタカアワダチソウの族長だ。今回特に被害がひどかった一族だ。
「せっかくここに移ったのに……散々じゃないか! お前なんて最低の神だ!」
神がグッと歯を食いしばったのが見えた。……なんと無礼な。こいつらなんて助けなくていい! 私がそう口を開きかけたとき。
「……すまぬ」
そういって神は静かにセイタカアワダチソウを起こして、その根に土をかぶせ始めた。罵られても、その美しい顔に泥がはねても、神は手を止めなかった。その手つきは、ただただ優しかった。
私は唖然としてその様子を見ていた。神はセイタカアワダチソウの一族を助けた後も、つぎつぎと他の植物を助け起こしていった。罵倒されることもあったが、彼は「すまぬ」とだけ言って黙々と作業を続けた。植物たちは次第に何も文句を言わなくなった。
目頭が熱くなった。……やはりあなたは生粋の神だ。
日が傾いてくると、神は作業をやめ、私のもとに戻ってきて、照れくさそうに言った。
「こんなに泥だらけになってしまった。威厳が保てぬな」
「……とんでもありません。私は神の無償の愛を感じました。『万物を愛す』をこれほどまでに体現した神を、歴代の中で私は知りません」
私は深々と頭を下げて言葉を発した。
「愛……? いや、私はただ必死で……」
神は虚をつかれたようにそう言いかけた後、「……そうか、これが愛か……」と静かにつぶやいた。何かを悟ったようだった。
「大臣、これからが正念場だ。彼らが元通り育つよう、光や水を適切に与えねば。強い風が吹かぬよう注意も払わねばならない。ここの復旧は臣下に任せる。私は私のやるべきことをやろう」
「さすがは神! もう私が出る幕はありませんね」
わざとおどけたように言うと、神は微笑んだ。
「……神、今まで文句ばかりですまなかった。俺ら、今日の神を見て反省したわ」
その声に神がハッと振り返ると、西方一帯に暮らす植物の族長たちが跪いていた。
「……この地域では定期的に洪水が起こるんだが、今回は被害が少ない方だ。あらかじめ神が十分な光と水を与えてくれていたからだよ。おそらく、ほぼ全員が生き延びられるはずだ」
「……まことか?」
神の声が弾んでいる。
「あぁ。神を非難した者が大勢いたこと、許してくれ。……あの者もな」
と、隅で不服そうにしているセイタカアワダチソウの族長を指す。
「もちろんだ。……私の方こそ、至らなかったのだ」
神は柔らかく微笑んだ。今朝の死人のような顔とは大違いだ。お強い方だ、と心の底から思った。
◇
……長い一日だった。
私室に戻り、僕は今日の出来事を振り返る。
……愛か。少しは分かってきたかもしれない。
机の上に置いてあった、月見草が残した花びらを見つめる。
彼女は今、どこにいるのだろう?
(つづく)
第3話、お読みいただきありがとうございます!
第4話は、9/21(土)頃公開予定です。どうぞよろしくお願いいたします!
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