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【短編小説】記憶の編纂 (1364字)

 2010年6月8日(土曜日)
 今日、お父さんに、「ヒトは死ぬ間際、何個くらい記憶を持っているの?」と聞いてみた。お父さんは困ったように、「さあ…1000個くらいかな」と答えたわ。すごい! そんなに多いなんておどろき。私はまだ小さいから少ないのね。だって、私の記憶を数えても、20個くらいにしかならなかったもの。

 まずはこの前お父さんとお母さんと一緒に行った動物園の記憶でしょ。次は、この間の誕生日のお祝い。他にはみかちゃんにきれいな小石をもらったこととか、私が転んだとき、さとるくんがやさしくしてくれたこと! 他にもいろいろあるわ。
 私も早く大人になって、もっとたくさんの記憶を集めたいな。


2020年6月8日(月曜日)
 高校生になったら、毎日が刺激的でとてもワクワクするものだと思っていたけど、そうでもないのね。この前のテストでは悪い点をとっちゃったし、部活のテニスも上達しない。
 それに……幼馴染の美佳ちゃんと最近会話が弾まないの。美佳ちゃんは別の友達と一緒にいる方が楽しいみたい。

 最近、なんかうまくいかないな。お父さんとお母さんも喧嘩ばかりだし。


2029年6月8日(金曜日)
 昨日、仕事で大きなミスをした。就職してからミスばっかり。上司にもすごく怒られた。私なんて、小学校の頃からミスばっかりね。
 明日の同窓会が唯一の楽しみ。


2029年6月9日(土曜日)
 同窓会はすごく楽しかった。美佳ちゃんとも話が弾んだ。時間が解決してくれることもあるのね。
 聡くんもいた。イキイキとしてて、とてもかっこよかった。そしたら思いがけないことを言われた。「今、きみには何個記憶が集まった?」って。そういえば私、そんなことを言っていたっけ。

 自分の記憶を数えようとして愕然としたわ。全然思いつかないの。かろうじて思いついたのも、上司に怒られたこと、大学受験に失敗したこと、失恋したこと……そんな暗いことばかり。聡くんはもう100個集まったって。私とは大違い。
 


2029年6月20日(水曜日)
 お父さんが急に病院に運ばれた。肺に癌が見つかったって。仕事を早退して急いでお父さんに会ってきた。そしたらお父さんがこんなことをいうの。

「昔、お前が死ぬ間際の記憶について尋ねたことがあっただろう。1000個もなかった。せいぜい20個くらいだ。……別れた母さんの記憶と、仕事がキツかった記憶と、ローンで家を買った記憶と……」

 お父さんはそこでふっと笑って、
「ろくな記憶じゃないな。お前はもっといい記憶を集めろよ。でもお前のおかげで俺の中にいい記憶が増えたよ」と言って、昔みたいにぽんと私の頭に手を置いた。手術は明日。



2029年9月8日(土曜日) 
 お父さんが死んでしまってから四十九日がたった。私、決めたわ。これからはなるべく幸せな記憶を覚えて、集めていきたい。そう言ったら聡くんがとても嬉しそうにしてた。



2090年6月8日(木曜日)
 私ももう長くないわ。いろいろとあったけど、良い人生だといえるんじゃないかしら。ベッドの上で暇つぶしに、今までに私が集めた記憶を数えたら500個くらいになったわ。子どもに花をもらった、とか小さいこともあるけど、我ながらよく集めたわ。聡さんの800には負けるけど。今さら気づいたんだけど、人生って、記憶の蓄積で形づくられているのね。まるで本を編纂するみたいね。

(終わり)




何を選択して覚えるかによって人生か形づくられるとしたら、なるべくよい記憶を選択して覚えていきたいものです。

やや長い文章を、貴重な時間をいただいて最後までお読みいただいて本当にありがとうございました!
今日、みなさまが心穏やかに眠りにつけますように。







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