価値観の押し売り押し付けで心が疲弊してしまう時があるあなたへ
テレビをつければ企業の広告にまみれている。バラエティ番組は見てもらうためにどうにかして視聴者の目を引こうと躍起になっており、ドラマではドラマで使われている服や物たちのブランドの会社がこれで需要が高まると嬉々しているのが透けて見える。
YouTubeでは5年前とは比べものにならないほど広告が増えた。
電車に乗れば垂れ下がったり貼り付けられた、または画面にうつされた広告たち。
道を歩けば広告板にさまざまなお店が必死にめかしこみ通行人を消費者に変えようとする。
インスタグラムの画像たちは画像の持ち主の渾身の価値観の塊でありそれがありありと伝わってくる。
「どこに行ってもやかましくて仕方ない。もう価値観の押し付けはうんざりだ」
私にはそうやって思うことが半年に一度ほどある。
お金儲けに走りすぎた企業たち
広告たちは企業の売らんとする価値を企業の代わりにこれでもかというくらいに広告する。広告の目的は企業が元々掲げてきたような理念(例えば食を通して人に幸せを届けたい、など)を達成することからお金儲けにシフトしてしまったように感じられてならない。
「お金のために」ここまで必死になるものたちに心が疲弊してしまうという人は私だけではないだろう。
お金稼ぎが悪いわけではない。お金は生きていくうえで大切である。
「お金についてどう思う?」
以前そう尋ねられたことがある。
私はできる限りお金についての話はしたくないと思っている。お金は必要不可欠だがそれにむやみやたらに固執して生きていきたくはない。
だが企業にとってのお金とは何だろうか?
企業にとってのお金とは
企業にとってのお金とはすなわち人にとっての血液である。存続するために必要不可欠な物だ。
「世界をよくしたい」などといった大志を胸に起業しようとも、一定のお金がなければできないのである。
何かを成し遂げるためお金を稼ぐ。
やりたいことをやるためお金を稼ぐ。
会社の信念を貫くためにお金がいるため会社はお金を儲ける努力をする。
価値観の正しい渡し方と正しい受け取り方
価値観の正しい渡し方とは、上手にその価値を必要としている人に情報を届けることができその人がその価値を手に入れることができることだろう。例えば大企業の広告であれば、色から人、音楽まで全て考え尽くされた努力とお金の賜物だろう。
何事も万人受けするものはない。少数の人がその広告を価値観の押し付けであると嘆いたとしても、大多数に受け入れられ評価されているのであればそれは正しい価値観の渡し方なのだろう。
では価値観の正しい受け取り方について最後にみていく。
価値観の受け取り方というのは難しい。普通の人以上に物事を自分の中に取り込んでしまうような人(HSP)もいるためである。
広告を広告と見て受け流す人が大多数の中で、その情報と心理に否が応でも圧倒されてしまう人たち。そういったHSPの人はどうすべきだろう。
(私は心理学者ではないので心理学的に正しいこと学術上の理由とともに述べることはできないが、HSPである私個人の見解を述べる)
私はHSPにとっての正しい価値観の受け取り方とはその個人が受け取りたい情報を取捨択一いていくことだとする。
何を自分の中に入れることを許し何を入れないかを選択する余地がないのであれば、受け取りたいもの以外にはできるだけ距離をおくことをお勧めする。
電車であれば本や携帯を見ることで車内の広告は見ないですむ。道に並ぶお店たちは自分の興味のあることがそこにないかといったような視点でそれらを見るようにする。
このように自分で自分に入ってくるものを調整していくことがHSPにとっての正しい価値の受け取り方であるのではないか。
表現の自由と思想信条の自由;お好きにどうぞな世界
表現の自由について日本国憲法第二一条に以下のように記載されている。
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
一方で思想信条の自由について日本国憲法第十九条に以下のように記載されている。
第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
私たちには表現の自由がある。公共の福祉に反しない限り、自分の価値観を好きに表現して良いのだ。一方で私たちには思想信条の自由もある。何を評価し、何を選択するかは公共の福祉に反しない限り、個人の自由である。
価値観を全面にこれでもかと押し出すことと価値観の押し付けが悪いと言い切ることはできない。
だがHSPである人は自分の身を守るためにも選択といった防御策を講じていく必要があるのである。
自分本位の心無いものにあなたの心を荒らすことを許してはいけない。あなたの心を荒らすことを許したものにしかあなたの心は荒らさせてはいけない。
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cloudy
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