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5.5世界分割

アフリカの植民地化


・1880年初め、コンゴ地域を巡るヨーロッパ諸国の対立→コンゴ=ベルリン会議(1884~85)
⇒アフリカの植民地化の原則を定める(先占権など)
・列強がアフリカの大部分(エチオピア帝国、リベリア共和国以外)を分割
⇒現地を含めた人々の抵抗

イギリス

・1880年代初め、エジプトを事実上の保護下に(形式上はオスマン帝国領)
・1889年 スーダン征服

フランス
・1830年 アルジェリアを植民地に
・1881年 チュニジアを保護国に
⇒列強や現地民の反抗を最小限にするために保護国にとどめる

※保護国は、その国や地方の統治体勢を維持したまま、外交権や立法権などを奪う状態。

ドイツ
・1880年代半ば、カメルーン・南西アフリカ・東アフリカなどの植民地獲得
⇒これらは経済的価値に乏しい
⇒20世紀には新たな植民地獲得を目指す

イタリア
・1911-12年 イタリア=トルコ戦争を起こして、オスマン帝国からリビアを奪取

これらを通して、20世紀初頭には、エチオピア帝国とリベリア共和国を除いてアフリカは列強の支配下に

※リベリア(アメリカがバック)は列強の干渉地として、エチオピア(フランスがバック)はシンプルに強くてイタリアを返り討ちにして独立を保った。


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