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死刑囚。ゾッとした。

ある日ふと旦那に聞かれた。
「日本ってどうやって死刑囚を処刑するの?」

はっきりと知らないので答えられなかった。
ので調べてみると絞首刑であることを知った。

関連記事で日本の死刑囚をまとめた記事があったので
興味本位で読んでみた。

知っている事件、知らない事件が半々だった。
知らない事件の詳細を読んでゾッとした。
おぞましい。病気だ。
誰がなんと言おうとこの世で1番恐ろしいものは人間だ。

ニュースで殺人事件があった、遺体がバラバラにされていた
と聞くと誰もが、どうやったらそんな残酷なことができるのかと思うはずだ。
でも人間はそれと同じ行為、もしくはもっともっと残酷なことを毎日大量の動物に対して行なっている。

なぜ動物となると話が違うのか。
厳密にいえばなぜ牛、豚、鶏だけは哀れに思われないのだろうか。
もしそれが犬や猫だったら大問題となるのに。

もしナイフで喉をかっ切ったり、腹を割いたり、手足を切断するという
残虐な行為を限りなく減らすことができるのであれば
人々は怯えることなく平和に暮らすことができるはずだ。

つまり人々が植物性の食べ物をベースに生きていけば
肉の消費量も減り、そういった残虐な行為自体が減るのではないだろうか。
肉を食べる人がいる限り、誰かが必ず屠殺しなければならないのだから。

そう頭では分かっていてもなかなか動物性食品から離れられないのが人間だ。

そんな人たちに私がよく考える例え話を伝えたい。

私は過度なお酒は人を不幸にすると思っている。
酒を売ってお金を儲けている人がいたとしよう。
その人もお酒が人をダメにすることは知っている。
でもお金が稼げるから決して販売をやめない。
そんなある日、自分の家族の誰かが飲酒運転をしていた見ず知らずの人に轢かれ大怪我をしてしまった。
もしかしたらその運転手が飲んでいたお酒は自分が売っていたお酒かもしれない。

つまり自分の行為はいつかどこかで自分に返ってくることがあるのだ。
例え話ではあるが有り得ない話ではない。

結局私が言いたいのは、動物性ではなく植物性を選ぶようにすれば
残虐な行為そのものが世界から減り、自分の大切な誰かが被害者になる可能性も減るかもしれないということだ。

別に日本に限ったことではないが、特に日本は突然気が狂った人が現れ無差別に人を襲う事件が多いように思う。
そんな人たちが私たちが知らないだけでうようよ潜んでいると思うと恐ろしくてたまらない。

極端な話かもしれないが、食を見直すことがそういったことにも繋がってくるんじゃないかなあと、日本の死刑について調べた時にふと思った。

最後に話がめちゃくちゃ変わりますが、
Netflixの「トラベラーズ」というSFドラマを見ていて印象に残っているセリフがある。
未来から現代へとタイムトラベルする話なのだが
現代の人が肉を食べているのを見て
「この時代の人はまだ肉を食べているのか」
と未来から来た人が言ったのだった。

いつか本当に誰も肉を食べない時代が来るのかなと思えた一言だった。



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