偏差値50-60の普通の高校生に見てほしい。

皆さん初めまして!クラウド先生でコーチを務めている茅根悠椰(チノネユウヤ)です。

私は起業したこともないし、高校を中退したこともない本当に普通の高校生でした。
しかし特異な経験がないからこそ、多くの高校生の受験生活の参考になるのではないかと思い記事を書かせていただきます。

今回はTHE普通高校生だった私が現役で早慶W合格を果たした経験をお話しさせていただきます。

この記事が早稲田や慶應に入ってみたい!という高校生の役に立つことを願っています。

自己紹介

私は早稲田大学政治経済学部政治学科に通っていて、現在2年生です。

出身高校は神奈川県の山手学院高等学校です。そうです。神奈川県の方ならこの高校を知っていると思いますが、私は中学受験で市川高校、早稲田、慶應、公立高校を全落ちして滑り止めであった山手学院に入学することになりました。

そんな早稲田、慶應どころか公立高校にまでも見放された私がどうやって早慶に門を開かせたのかお話していきます。

自称進学校での高校生活

私の通う高校は校則が厳しく、偏差値60程度で文武両道を掲げる典型的な自称進学校でした。(でも部活とかは楽しくて今思えばいい学校でした!)

高校受験に失敗した人が集まる私の学校では多くの人が落ちこぼれというコンプレックスを抱えていたと思います。私もその友人もそうでした。
そんな高校でも次第に高校生活をそれなりに楽しむ人が増え、私はテニス部に入りました。
ところがテニス部は練習が厳しく、メンタルが貧弱であった私は1年持たずに退部してしまいました。
それでも部活はやりたかったので、陸上部に編入しました。大した結果は残せませんでしたが、高校3年生の引退まで友人と切磋琢磨できたので部活はやっていてよかったと大学に入ってから実感しています。

私の勉強面はというと、英語は好きだったので平均よりできていたと思います。しかし国語が苦手で受験の最後の模試まで克服できないままでした。

また全体の成績は微妙で家庭科では1を取り留年しそうになり、職員室まで頭を下げて交渉しに行ったこともありました。(笑)
めちゃめちゃ落ちこぼれでもないけど、かといって優秀かと言われたらそうじゃないほんと普通の学生でした(笑)

受験勉強を始めた時期

そんな私でしたが、高校2年生の秋、最後の文化祭が終わったころ(3年生で文化祭はありませんでした)なんとなく周りも受験勉強を始めるかあ、という雰囲気になってきたので、そこから大学について調べ始めました。
特に将来したいことも明確ではなかったので、とりあえず学費が安いし、最初は国立大学を目指していました。
基本的に怠惰な生活を送っていたので、オープンキャンパスも何かと言い訳をして行きませんでした。
上智大学だけ友達に誘われていった記憶があります(笑)
と大学に関して全く知識もなかったので、勉強のモチベーションも続かず、なんとなく勉強する日々が続いていました。
最終的に志望校を絞ったのは高3の夏前で旧帝大など目指して地方には出たくないという理由で首都圏の私立大学を第一志望にすると決めました。
あとは政治経済に関心があったので、学部もこのころ社会科学系に絞りました。

受験期で一番辛かった時

こんな私ですが、高校3年生の夏は文字通り死ぬほど勉強しました。

というのも当時の担任の先生がとても熱血な先生で、ある日受験を頑張るぞという気合を込める意味で髪の毛を全部剃ってきました。 これは嘘みたいな本当の話(笑)
私はその時は驚いて、若干ひいていましたが、先生は受験をするわけでもないのに生徒のためにここまで体を張れるのか、とかなり心を動かされていたのだと思います。

そんなこともあって気合が入り、夏は全教科基礎的な部分を徹底的に勉強しなおしました。
30日くらい夏休みはあったと思いますが、毎日朝8時には自習室に行き、自習室が閉まる21時に帰って23時までには寝るという生活をしていました。

予備校には通っていましたが、自習室を利用したいだけだったので講座等は一切取りませんでした。
(予備校に関する話はクラウド先生で働くきっかけと一緒に最後のほうでします)
というのも有名カリスマ講師の授業を受けたところで自分の頭がよくなるとは到底思えなかったからです。なので「自分のやるべきことは自分にしかわからない!」と自分に言い聞かせながらなんとか乗り切りました。
とはいっても友人とほとんど会わず、一人で勉強することは本当につらかったです。

夏休み後半は少し病んで、公園で夜空を眺めながら泣いていたこともあります(笑)

間違いなく人生で一番つらい夏でしたが、結果は秋から冬にかけて明確に表れてきました。

夏休みに基礎を固めていたおかげで演習問題に集中して取り組むことができ、受験前の最後の河合模試では英語の偏差値が75まで伸びました。(さすがにめちゃめちゃ嬉しかったです)

それでも順風満帆ではなかった

夏休みにあんなにつらい思いをして勉強し、成績もあがったのにも関わらず、受験の神様は私に味方をしてくれませんでした。

一番最初に受けた受験は
神奈川大学 給費制試験 不合格
それから早慶オープンではD判定E判定が並びました。
またセンター利用では唯一出願していた明治大学不合格

結果を見たときはもう早稲田、慶應なんてやっぱり無理なんだなと正直感じました。

しかし1年間勉強してきたし、最後までやり遂げて、それで落ちたなら文句はない。と受験当日まで必死に勉強しました。

その結果、努力はやはり裏切らなかったようで

早稲田大学 政治経済学部、社会科学部、教育学部
慶應義塾大学 商学部 総合政策学部
明治大学 政治経済学部

と目標であった大学、学部に合格することができました!
受験の前日まで学力は伸び続けるという言葉は本当のようです。

もう模試の結果はあくまで指標なんで絶対信じちゃだめだと思いました(笑)
「良くても謙虚に、悪くても落ち込まない。」

受験において大切なもの

私の経験の中で受験において大切だと思ったことは仲間の存在自己分析です。

勉強はもちろん一人でするものであるし、受験当日も一人で試験問題を解きます。

一見自分ひとりの勝負に思えますが、私は友人と高校の先生がいなければ絶対に大学受験を乗り越えることはできなかったと断言できます。というのも友人と同じ空間で勉強しているだけで、自分も頑張らねばという気持ちに自然となります。
また各教科ごとにメンターがいたことは本当に心強かったです。
高校の先生方にとって私は一生徒でしかなかったと思いますが、私は勝手に1教科につき1人メンターを設定していました。
英語はM先生、現代文はA先生、古文はK先生、日本史はY先生、メンタルケアや不安を吐き出すのはK先生とすごく失礼な話ですが、役割を自分の中で決めていました(笑)
こうしておくことで何かにつまづいたとき、だれに相談するかと考える時間が短縮できるし、何より信頼している先生たちだったので安心して意見を聞くことができました。
私の場合全員高校の先生でしたが、予備校の講師や先輩、親でも信頼できるのなら誰でもいいと思います。

また自己分析ができるかできないかで受験の結果が大きく変わると私は思っています。

自己分析によって苦手科目を認識し、克服していくことももちろん大事です。

しかし、それ以上に私が大切だと思っていることは自分がどうしたら長時間勉強できるか分析することです。
受験勉強は多くの人にとって単調でつまらないものだと思います。そこでどうしたら楽しく勉強できるのか、長い時間自習室にいられるのかをぜひ考えてほしいです。
私は近くにあったファミマのお弁当を毎日違うものを食べて制覇するという目標を楽しみながら夏休みを乗り越えました(笑)
また何時間も座ってられないので、過去問を解いたら、立って解答・解説を見るなどして集中力を持続させていました。

受験を終えて気づいたこと

大学受験は間違いなく人生で一番つらい経験でした。(まだ20年しか生きていませんが、、)
しかし受験で身についた自己分析のノウハウや勉強法は大学でもすごく役立っていますし、将来もきっと自分を助けてくれるだろうと強く思います。

また私が受験が終わり、クラウド先生で働き始めた理由はこんな予備校が自分が高校生のころに欲しかったと思えるからです。私は高校卒業後、かたくなに予備校でのアルバイトはしてきませんでした。理由は大手の予備校で超有名講師の授業をいくつ受けようと生徒が自分でペンを持って勉強しない限り第一志望には受からないことを知っていたからです。
それをわかっていて生徒に何十万円もかかる講座を受講してみようなんて無責任なことは言えませんでした。
しかしクラウド先生では生徒と将来を考えることから始まり、勉強する動機とモチベーションを与えることができます。
これこそ予備校のあるべき姿だと考え、私は働くことを決めました。


最後に

大学受験で勉強・将来に関して悩みや不安のない人はいません。私も一人では目標を見つけ、進路を決めることはできませんでした。もしクラウド先生が将来や進路を決める手助けになれば幸いです。

いつかクラウド先生で会える日を楽しみにしています☺


最後まで読んでいただきありがとうございます。

クラウド先生 コーチ 茅根悠椰



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