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九段理江『東京都同情塔』感想と考察


あらすじ

日本人の欺瞞をユーモラスに描いた現代版「バベルの塔」。
ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名は、仕事と信条の乖離に苦悩しながら、パワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書。

新潮社『東京都同情塔』ページより抜粋
URL: https://www.shinchosha.co.jp/book/355511/

本作は主に、拓人の書いた伝記という形をとっている。
AIの生成する言葉の軽薄さは、本作のテーマのひとつになっていた。文中にも、度々AIによる回答が登場するが、これは本当にAIが生成したものをそのまま使用しているらしく、実験的で面白い。拓人がAIに頼らず、自分の経験や生身の人間による発言を引用しながら書く伝記は、AIの生成する言葉とは対象的なものとして描かれる。拓人は、人間によって書かれたものを「自分だけのしるしのついた文章」と呼んでいる。
その他、雑誌や書籍の文面も引用され、ある種のモキュメンタリーのような構成になっている。村上春樹の『海辺のカフカ』にも似ているかもしれない。

なぜ幸福学者は殺されなければならなかったのか

幸福学者のマサキ・セトは、塔のオープンした日に殺害される。
セトが家に着くと、知らない男が庭に立っていた。その男は、後にこう語っている。

その庭の中に見たことのないほど美しい葉をつけた木が立っていて、思わず侵入してしまったのです。

九段理江『東京都同情塔』、『新潮』2023年12月号、p.61

拓人が、木の葉=言葉と捉えていることは、新宿御苑に忍び込むシーンで示されていた。
とすると、この男はセトの自宅の庭に美しい言葉を見つけ、侵入したことになる。
おそらく美しい言葉とは塔のオープニングセレモニーにおけるセトのスピーチとタワー内のルールを指している。

 ひとつ。言葉は、他者と自分を幸福にするためにのみ、使用しなければなりません。
 ひとつ。他者も自分も幸福にしない言葉は、すべて忘れなければなりません。(中略)幸福な場所を未来永劫守るために、不幸を招く言葉、ネガティヴな言葉はすべて、お忘れください。

同誌、pp.60-61

しかし、セトは自ら語ったルールとは対照的に、侵入者に激昂する。

今すぐ私の庭から出て行きなさい。木なんて立っていない。君は木を見ていない。君が見るべき木はこの庭には立っていない。

同誌、p.61

これは侵入者を追い出そうとするには、やたら意味深な言い回しである。
「木なんて立っていない。君は木を見ていない。君が見るべき木はこの庭には立っていない」
この発言によって、セトは不法侵入を行う犯罪者ーー同情されるべき人々を排除しようとしていることが分かる。
つまり、セト自身も従来の「犯罪者」に対する偏見や差別を内在したままの人物だと明かされている。
しかし、侵入者は、セトの言葉を何ひとつ理解することができない。
これは、セトがセレモニーで語ったように「勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した」結果生じた、「互いの言っていることが分からなく」なった状態だといえる。
セトが幸福な場所を実現するために定めたルールが、むしろそのような言葉の混乱による苦しみを生み出したということになる。

侵入者は、セトの言葉が理解できないことで、混乱し、傷付き、言い合いになり、最終的に木の下に積まれていたレンガを持ち上げて、セトの頭上に振り落としてしまう。
このような殺害方法は、後に沙羅が想像した同情塔が倒壊する未来のイメージと類似している。

あるいは宙から落下する兵器によって、上から押しつぶされるだろう。あるいは天上から降りてくる手の一振りによって……。

同誌、p.72

つまり、セトという同情塔は、自分自身が生み出した理解不能な独り言によって倒壊したといえる。
「天上に近付くホモ・ミゼラビリスの皆さんが、地上の言葉を忘れないように」設置された、最上階のライブラリーを破壊されて、倒れることになったのである。

さらに、思い返されるのが、拓人とアメリカ人ライターとの会話である。

「タクト、君だって自分の家の庭に知らない人間が勝手に侵入していたら、当然追い出すだろう? どうしても腹が立って許せない人間が、ひとりくらいいるはずだ」
「許せない人間?」彼は整った歯並びを見せつけるように笑った。「いませんよ。そんなに腹も立ちません。僕はちゃんと眠りさえすれば、大抵のことは良くなってしまうんです」

同誌、p.55

拓人が本当に侵入者に腹を立てないのか、本当に眠れば大抵のことが良くなってしまうのかは分からない。
しかし、現在も塔で働き、セトの作り出したルールに(少なくとも対外的には)従っている拓人が、侵入者に対して腹なんて立ちませんよと笑っているのは、なんとも皮肉な場面である。
ルールを作り出したセトは既に殺害されたが、その手を完全に離れたところで、同情塔は今もそこに立ち、セトのルールに従って運用されているのだ。

真に同情されるべきは誰か

作中では、マサキ・セトによって「ホモ・ミゼラビリス」という言葉が作られている。
セトは、従来「犯罪者」と呼ばれてきた人々は同情されるべき人々であると再定義した。
しかし、本当に同情されるべきは、ホモ・ミゼラビリスだけなのだろうか。

まず、塔に住むホモ・ミゼラビリスたちは、「うるさい」「走るな」といった言葉を拓人に発することができなくなっている。
拓人曰く、彼らは既に、その手の言葉を忘れてしまっているのだった。
ホモ・ミゼラビリスは、塔のルールに従うことで、言葉を失い、自分にかかる迷惑を注意することさえできなくなってしまった。
ここでは、当初の差別されてきたという意味でのホモ・ミゼラビリスとは違う意味で、彼らが同情されるべき人々であることが示されている。

さらに、彼らと重ねられるのがAIである。

そしてなぜか僕は、文章構築AIに対しての憐れみのようなものを覚えていた。かわいそうだ、と思っていた。(中略)お仕着せの文字をひたすら並べ続けなければいけない人生というのは、とても空虚で苦しいものなんじゃないかと同情したのだ。

同誌、pp.46-47

このように、拓人がAI-buildに同情する場面があるが、お仕着せの言葉を並べなければならない人生とは、発するべき言葉を決められ、排除されたホモ・ミゼラビリスとも共通する。

本作では、登場人物が塔になぞらえられる場面が多い。
先述のように、セトという同情塔は天上から振り降りてくる手のひと振りによって倒壊した。
セトは、「あわれな、同情されるべき」人物である。

拓人も、塔に重ねられている。

「牧名さん」
 塔が牧名沙羅を呼ぶ声がする。

同誌、p.23

実際には、沙羅の名前を呼んだのは拓人であった。
沙羅は拓人を「君みたいな綺麗な建築」と例える。
また、拓人自身も塔と自分自身を重ねている。

巨大な塔の出現は、僕の中に元々あったはずの考えや感情までも一緒に、頭の外に引きずり出していくみたいだ。(中略)塔が意志を持ち、党が強く僕を欲している。(中略)その中に自分を住まわせなければならない。同情されるべきだ。

同誌、p.47

沙羅が自身を塔と一体化される場面は多いが、特にラストシーンに顕著である。
沙羅は自分自身が塔になり、どのように倒れるかを幻視する。しかし、そこで沙羅は塔が倒れず、立ち続けるという新たら未来を見る。
幻視の中で、沙羅という塔はもはや自分の意思で垂直に立っているのではなく、通りかかった男によって硬化され、彫刻され、立ち続けることになる。
この場面は、自分自身の意思と外部からの介入の境界が分からなくなった沙羅の精神状態が反映されているのだろう。
そして、沙羅という同情塔を取り囲む人々が発する言葉を、沙羅はなにひとつ理解することができない。
しかし、彼らが口々に「見よ、彼女だ(Ecce, homo)」と言っていることだけは分かる。

この「エッケ・ホモ」というのは、ラテン語で「この人を見よ」という意味で、ピラトが群衆を前にキリストを指していった言葉である。

カラヴァッジョ《エッケ・ホモ》1605年、カンヴァスに油彩、128×103cm、ビアンコ宮殿

牧名沙羅は「弱い人間」で、「欲望をコントロール」できず、「自分の心を言葉で騙し」、バベルの塔を作り出してしまった罪で磔にされるのだろうか。
キリストは、弱い人間の罪を負って十字架にかかり、そして復活することを考えれば、ある意味救いのあるラストだともいえる。

牧名沙羅という同情塔は、すべての言葉を詰め込んだ「ライブラリー」を地面に打ち付け磔にされるまで、自分自身の言葉について、自分の弱さについて、牧名沙羅がこれから建てるべき建築について、考え続けなければならないのかもしれない。
それは、私にとっても同じで、言葉がばらばらになって、毎日のようにSNSのあちこちで意味のわからない喧嘩が起こり、Twitterのリプ欄はAIを使ったインプレゾンビで埋まり、課題でも何でも簡単にchatgptに生成させてしまえる世界で生きる私が、自分自身の言葉をどのように扱うのか、分からないながらにも諦めず考え続けなければならないということなんだと思う。

画像出典

九段理江『東京都同情塔』2024年、新潮社
URL: https://www.shinchosha.co.jp/book/355511/

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