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知性とは何か

知性の本質的な作用は,機能的な幻(=functional fantasm)を見ることだとおもう。この幻は所謂それと対蹠的で,「違ったようだ」として抛擲されるほうを現象に還元して,「本当らしい」ほうをその内に取り込む。「本当」という説明原理は,それぞれの関心に応じて機能するものをそう讃える。 パン生地を膨らませる「本当」はある社会においては精霊の働きであり,それと別の社会においては酵母による発酵でありうる。ふつうの微生物学者にとってこの精霊とは世界を説明する要素ではないために

    • 問いとは何か

      問いの本質とは un-gestalt ではないか。 問うことが何かしらの命題の取得を目的とすべきものであれば,例えば「あなたの体重は50kg以上かつ50kg未満ですか?」とか,「パンを食べた人は何かを食べたことがありますか?」などの問いは,尠くも一次的にはナンセンスだろう。* このような副次的用法を除けば,すでに矛盾した未ゲシュタルト(ungestalt)** をもった問いは whatability を持たないだろう。実はトートロジーも然り。 問いの本質としての未ゲシュ

      • 理解の形

        ある一を理解する仕方において、其のよく馴染むこと(しっくり)に感じる価値は、むしろ其の一をとり込まんとする機構を暴露することにあるのではないか。 「ある一を理解する仕方」とは其の理解の形にほかならないから、其の穏当さは其の嵌入するところを照らすだろう。 じぶんの拵えた形は其れが世間の形と合わずに難儀をしたときなどには得てして変形され、ともすれば一にとどまらず世界の凡そを変える。

        • 本当に頭の良い人

          その抵触を感じたとき,信念体系と事象内容のいずれを修正するのかの比較であれば,これは頭の良し悪しに本質的な事情ではないという私見がある。 例えば, ①つい先ほど脚を切られた私 ②今、昨日寝た記憶のある自室のベッドで起床した私 ③いま脚のある私 という私にまつわる事象①を(切られた脚は刹那に再生しない等の)諸信念から夢だと見做した人を,頭が悪いとただちには思わない。むしろ知性を巧く活用しているとさえ評価できる。 知識とは事象という堅固な足場のうえにリフォームを繰り返せば

        知性とは何か

          推論形式

          演繹法 α₁ ∀x.A(x)→B(x) α₂ A[x,e] β B[x,e] 帰納法 α₁ A[x,e] α₂ B[x,e] β ∀x.A(x)→B(x) 遡測法 α₁ ∀x.A(x)→B(x) α₂ B[x,e] β A[x,e] 類推 α₁ A[x,e] α₂ B[x,e] α₃ A[x,e'] β B[x,e']

          推論形式

          記号化の陥穽①

          「すべての A は B である」といった言明に対して、 ∀x(Ax→Bx) といった記号化が適訳であるのは、わかり易い。 そこで、「ある A は B である」といった言明は、 ∃x(Ax→Bx) と記すのが適訳に見えるかも知れないが、これは、かなり危険な誤訳になる。 ニュアンスを考えると、「ある A は B である」は、∃x(Ax∧Bx) と訳するのが適当である。 ∃x(Ax→Bx) は、「性質 A を満たすとき、必ず性質 B も満たすような個体が存在する。」といったよう

          記号化の陥穽①

          論益

          本書では,論争の完成によってそのコミュニティに得られる利益の一般を【論益】と称ぶ。 (論争に参与するアバター間において,そのトピックの命題に与えられる真理値一致の確認を以て,その論争は完成するものとする) 論争の一般に,そのトピックに静謐する益を認めることが出来るように思われるが,論争すること自体を利得に設定すべきコミュニティを俎上に乗せたときは混乱が生じ易いように思われる。 アバターの内部には,その主張を通すことの利益が必然に予定されている。(プレイヤーが不本意な主張

          論述債務の発生事由

          論述は議論の本質的構成要素であるが,これを恒に誰にでも請求できる(或は,我々はみんな,誰に対しても恒に論述を加える義務を負っている)と考えるのは不合理であろう。 本書では,論述をしなくてはならないという義務を【論述債務】と称ぶことにして,その発生事由や消滅事由なども考えていきたい。そこで,本項では取り急ぎその発生事由を簡単に述べる。 AのBに対する主張aの論述債務は,【Bの論理体系にAがaによって対抗しようとするとき】に生じるのだと考えられる。端的に,論述債務は【外部への

          論述債務の発生事由

          間テクスト性の諸性質

          間テクスト性(intertextuality)は,クリステヴァが1966年に造語をした,哲学の術語である。 同時期にはデリダの散種(Dissémination)など,テクスト読解における無視できない振盪が認められる。次項ではこの事態を批判することで,現在われわれの立たされている哲学的座標を把捉し,それによってこれから向かうべき場所についての検討を予定している為,本項ではその準備として,間テクスト性に内在するであろう二種のテクスチュアリティと,それにしたがった類別を考える。き

          有料
          500

          間テクスト性の諸性質

          現象報告のパラドクス

          現象報告のパラドクスが某界隈で少し話題になっていたようなので,私的なまとめを置こう。 物的世界に寄与できない神秘的領域がある…① 神秘的領域を報告できる…② 報告できるものは物的世界に寄与できる…③ ①:¬Ga ②:Fa ③:∀x(Fx→Gx) ②,③より,Ga が導出されて(つまり、神秘的領域が物的世界に寄与できる,という属性を獲得してしまった!)これが①と矛盾する。 ここまでの論証に問題は無いが,この帰謬法がおかしいのは前提群の否定 ¬((①∧②)∧③) から,①

          現象報告のパラドクス

          Question and Induction

           命題 A における───それが述語記号であれ,個体記号であれ──定項を変項 x に置き換えて得られる ?xA(x) を,A の un-gestalt と呼ぶ。そして,本書の考える「問い」の本質とはそれである。  当然だが,A はその un-gestalt の答えの一つたり得ることになる。  ? はこれを疑問子と呼び,疑問子はそれが係る変項にたいして前置記法で記す。(たとえば,?yB(y)∧C ではその疑問子は y に係り,作用域は B となる。?y(B(y)∧C(y))

          Question and Induction