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結局「気にしない」が勝ちな気がした

私はアセクシャル・アロマンティックと定義できるかは分からないがそれに限りなく近い人間で、好きな本や漫画(二次元と一括りにしていいものかは迷うところ…)の中のキャラクター等への恋愛感情は感じることがある、いわゆる「夢女子」というタイプのオタクの側面もあり、そういった意味ではフィクトロマンティックに近いのかもしれない。

とにかくいずれにせよそんな私は現実世界での恋愛に興味がない。異性にも、同性にも。明日のことや未来のことは分からないのでいつか急に恋愛に目覚めるかもしれないが、とりあえず現時点では恋愛したいとも思わないし、結婚願望や出産願望もない。
現在は病気の理由で働けていないが、それなりに働きながら自分の趣味に没頭し、友達と時間の合う時にお茶したり遊んだらする…そんな日々が好きだし満足しているのだ。


そんな私は大学生時代に一人暮らしの経験があり、私にとっては自分の自由に日々のスケジュールを組むことができる生活はとても魅力的であった反面、体調を崩した時に頼れる人がいないこと(体調を崩しても自力で薬を買いに行ったり病院に行ったりしなければならないこと)等の不便・不安も感じた。

その経験から私は、将来的にはお笑い芸人の阿佐ヶ谷姉妹さんのような、気の合う同性の友達同士での同居(あるいは経済的に自立できるのであれば近所暮らし)を夢見ている。
…という話を家族にしたら、返ってきた返事は「でも所詮は他人同士だから衝突するよ」であった。


この返事があったとき、ああ、結局どう生きても周りには何か言われるんだな、と改めて思った。
これが仮に私に恋愛感情があり、なおかつパートナーがいたとした場合でも、"そのパートナー(異性・同性問わず)との結婚"という形での話だったとしても同じことを言われただろうし、ずっと実家暮らしだったら「いつまで実家にいるつもりか」と言われる未来が来るかもしれない。

また、家族にそう言われなくても、これまでの職場でも私の性的指向のことなど丸無視…というよりそもそも性的マイノリティの人の存在を「いない・知らない・興味ない」ものとして扱うようなノリで恋バナを一方的にされたり、恋愛は、結婚は良いものだぞ〜あなたには恋人はいないの〜?と、正直言って「余計なお世話」すぎる話をされたことだってある。


結局、
恋してても、していなくても、
性的指向や性自認がストレートでも、性的マイノリティでも、
誰かと一緒に暮らしていこうとしても、一人暮らしで生涯を過ごそうとしても、
それらの考えに具体性や計画性があっても、なくても
他人は何かにつけて難癖をつけてくるのだ。


うちの家族は両親の離婚があったため、「他人との同居生活」や「結婚」に難色を示されることはなんとなく予想していたが、私の人生は私のものだ。それは家族であろうと、知り合いであろうと、私の人生の理想や希望に横槍を入れて冷めた気持ちにさせていいものではない。


だから結局気にしないのが勝ちだと今回改めて思ったし、結婚する・しない、友達と同居する・しない、一人暮らしする・しない……その決定によって他人に迷惑をかけていないのであれば他人に口出しされても、当人達は堂々としていれば良いのだ。
周りの目や社会の圧力というのは、実態が無いくせに図体だけは無駄に大きく見えるから、「気にしない」ことが難しい、という部分も大いにあるけれど、とにかく今を生きる私たち一人ひとりが、それぞれに合った生活をしながらささやかな幸せを感じられるようになる未来が一分一秒でも早く来ることを祈り、ここに記しておく。


「良い暮らし」を夢見ることは自由だし、その「良い暮らし」を他人とおくっていきたい時はもちろんその相手達の気持ちも尊重しながら、一人で、あるいはみんなで夢を見て、少しずつそれを実現して形にしていけますように。

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