元友人のマウンティングが今でも怖い…清算宣言。
数年前の話だが、社会人になってからも仲の良い学生時代の友人複数人とグループ通話で話していた時のことが今でも忘れられない。
その時、友人の一人(Aとする)は職場の人間関係のことで悩んでおり、退職まで視野に入れて考えていた。通話越しにもAの心苦しそうな感じが伝わってきて私まで辛かった。
そんな中でもう一人の友人(Bとする)は、「私は自分の職場では人間関係に悩んだことなどない」「私の職場でも上手くいっていない人たちはいるが、私は上手くいっている」などと、Aとは全く関係のない自分の職場での話をした挙句、「辞めないほうがいい」とAに言っていた。私はこの2人の会話に挟まれながら、恐怖と気まずさで凍りついてしまった。片や明らかに声色に元気がなく落ち込んでいて、片や自分がいかに職場に恵まれているかを自慢しているようにしか聞こえない話を何でもないように話している。
この友人Bとは学生の頃からそれなりの付き合いがあり、一緒にいて楽しいこともあったからこそ社会人になってからも交流が続いていたのだが、思い返せば学生の頃から、このように他者の気持ちを考えないで自分の恵まれた環境の話をし出すことがしばしばあった。言ってしまえばマウンティングというものかもしれない。Bはそういう人だった。
私はこの通話の時、AがBの発言によって余計に傷ついてしまわないかということも不安で怖かったし、仮に自分がAの立場だったら耐えられない…ということも考えてまた怖くなった。もし自分が辛い時に「私はそんなことで辛くならないし、なんなら今私は上手くやれてるけどね。だからあなたも頑張れば?」みたいな励ましを受けても何の励みにも慰めにもならない。
しかもお互い別々の場所で働いていて、それぞれの職場の実態がわからないからなおさらだ。いくら友人であっても、自分が置かれている状況の実態も知らない人にマウントまがいの励まし(励ましではない気がするが…)を受けても、こっちの事情も知らないのに勝手なこと言わないで!と私なら泣いて癇癪を起こしてしまうかもしれない。そう思った。
結局その通話の後は、Aの傷心度合いが深くなりすぎないようにAに個別で「あまり思い悩まないように、相当辛いのならば辞めても良いんだよ」といった主旨のメッセージを送信し、一日が終わった。
その一件からBとの友人付き合いが日に日に嫌になってきてしまった私は、この一件に加えて今度は自分の職場での人間関係に耐え難いものが生じて適応障害になってしまい、退職をした。
(私の適応障害と退職に関するnoteはマガジンにまとめてあるので、ご興味があればそちらへどうぞ)
適応障害になった私は心療内科への通院と、別の友人Cにこの一件を相談したことを契機に、Bとのありとあらゆる連絡先をブロック/削除し、Bとの関係を絶った。学生時代の友人であるがゆえに、別の友人経由でBの話を耳にしてしまうことはあるが、私自身はBとの関係を絶ったことを後悔はしていない。
ただしこれは私から一方的に無言で切った縁なので、わざわざ他の友達に「私はBと絶縁しました」「BはAにこんな酷いことを言いました」と触れて回ることはしなかった。特に後者のことはAとBの話なので、間で聞いていただけの私が他の友達にこのことを触れて回るのは良くないと思ったからだ。友達には、もし聞かれたらその時に答えればいいや、くらいに考えている。とにかくもうBの存在や記憶を私の中から抹消したかった。
それから時は経ち、私はアルバイトで仕事を始め、少しずつ社会復帰の体慣らし中である。そしてまさに今の私のバイト先が、人間関係で非常に悩ましいことがある職場なのだ。
さすがに前職での経験で人間関係の悪さには良くも悪くも慣れが出てきたのと、前職退職後から通院して取り組んだカウンセリングの成果もあってか、前職の時のように適応障害になって体調を崩す大事には至ってはいない。しかしとにかく気分屋で苦手な先輩がいて、この先輩とシフトが同じ日の仕事がしんどくて仕方ない。こう言ってしまうのは悪いが、いつ何がきっかけで機嫌を損ねるかが分からない、時限爆弾のような人なので、本当に気をつかって神経がすり減っていくのを日々感じている。
これに関しては、私がまだアルバイトの身なこともあって、もう少ししたら別の安定した職を探して転職しようと考えているので、それまでの辛抱だと言い聞かせて何とか頑張れている。
頑張れているのだが、ここで私はふいにBのことを思い出してしまうのだ。もし私が今の状況でBと今でも交流が続いていたとして、通話や、あるいはメッセージでその先輩の愚痴や悩みをこぼしたら、Bは私に何と言葉をかけるだろうか。きっとまたあのAへの時のように、「私にはそんな悩みはないけど〜まあもう少し頑張れば?」などと返されてしまったとしたら、私は今何とか受け流し・打ち消して耐えているストレスにとうとう耐えかねて爆発してしまうかもしれない…。そう思った。
決めつけるのは良くないが、Bはきっとそう言う。学生の頃からそういうところのある人だったからきっと…。本人にとってはきっと無意識なのかもしれないが、Bの「恵まれた環境マウント」にぶちのめされてしまう自分が想像できた。そして改めて、今Bとの縁を切っていて良かったと感じた。
恵まれた環境にいる人は正直羨ましいが、それ自体だけなら別に何ともない。ただ、こちらが辛い時にその立場からマウントを取るような発言をされると本当に辛い。
昔からいちいちマウントを取るような発言をしてきたBは、もしかしたらある意味では"マウントを取らないとやっていられない"、心に余裕が無い人だったのかもしれない。でも、今の私にBの事情や心情を深読みして同情する気はさらさらない。先に書いたAとBとのグループ通話の際にとても怖くなったし腹立たしかったからだ。もうこの人とは縁を切りたいと思い、それを実行するほどにBに対してストレスを感じていたからだ。
私はBの存在を、態度を、記憶を忘れたくて縁を切った。しかし、アルバイトで疲れきった私の心の中にはまだ「B」の気配があって、隙あらばまた私に過剰な無理負担をかけようとしてくる。
そういうわけで私は、縁を切った今でもBのことが怖くなるのだ。早くBのことを忘れたい。きっとこの先、たとえどこの職場に行っても気の合わない人というのはいるかもしれないけれど、その対人関係に対処する際に「Bの気配」が私に余計なストレスをかけてくる。そこから脱却し、苦手な人ともそれなりに受け流しながら仕事をできるような人間になりたい。
Bに限らず、何かとマウントを取ろうとしてくる人々…特にこの「心配するふりをしたマウント」はとても厄介だ。今後はいくら話していて楽しい時もある相手であっても、こういうマウントの取り方をしてくる相手とは深い交流は避けて距離を置くようにしたいし、「あ、この人はマウントを取ってくる、危ない人だな」とすぐ気づけるようになりたい。
Bよ、今回のnoteのこれっきりで、私の中からいなくなってくれ。お願いします。はっきり申し上げて、私はあなたが嫌いになりました。さようなら。もう会うことは、無いでしょう。