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対話の出発点としての「文章」

こんにちは、ありぱんこと高尾有沙です(そしてnote上場おめでとうございます🎉)。

さて、今回は12月といえばなAdvent Calendar(「【blanks with】ライター Advent Calendar 2022」)のバトンを頂きましたので、「対話の口火を切るきっかけとしての文章」というテーマついて考えていきたいと思います(遅くなってごめんなさい…orz)。

そんなこと突然言われてもなんのこっちゃ、と思われる方もいらっしゃると思うので、何個か自分の経験した事例を出してみようと思います。

事例1:自己紹介が苦手なとき

突然ですが、私はオンラインと比べるとオフラインが出不精なので、私をTwitterなどオンライン世界でのみ知ってくださっている方は私がリアルで絡んだことのある方よりも相対的に多いと思います。そんななかで、オンライン世界で知ってくださっている方から最も「読んだよ」と言っていただけるのは、これらの記事です。

私には苦手なことがたくさんあるのですが、最も苦手なのが「自己紹介」。自分をなんと眼差してもらいたいかを考えるのがあまり得意でない私について、事前に情報を知ってもらえるのは、特に新しく出会う人との会話の糸口として、非常にありがたいなと思います。

(パンの話だと比較的ライトになりますが、それ以外にも習い事のnoteや親子関係のnoteを読んでくださった方とは、こういった話から比較的仲良くなりやすかったり、逆にこちらも予め記事を読んでおくことで、親近感を持って接しやすい、という経験もしています。一気に深い関係まで落とし込める可能性を持っているのが、文章の魅力なのではないでしょうか)

事例2:ちょっと言いづらいことを文章にしたとき

前提として、私はあまりコミュニケーションが上手ではなく、その割に重たいテーマを取り扱いたがりです。また、考えていることを書くことで整理したりまとめたりするのが好きで、特にTwitterをそのフィールドとしています(そしてその思考をまとめるためにnoteを使う、という方法で最近は文章を書いています)。

というのも、先日公開したこちらのnote。

このnoteは、出すにはそれなりの勇気が要りましたが、これまでにないくらい(特に友人・知人から)色々な反響をいただきました。これが自分の考えを深めることだけでなく、その人たち同士との関わりにも影響を及ぼしたのではないか、と考えています。

所属するコミュニティ内で記事を読んでいただいた諸先輩方から意見をいただきました。(※以下、各コメントには性別とお子さんの有無のみ記載をしています。今回のテーマではこの2点がメインのテーマだったからです。属性の一部を切り取ったに過ぎませんが、匿名性を保ちながらコメントの背景をなるべくわかりやすくするため、そのような記載を行っています)

まずはお子様を持つ親御さんの感想から。

・たぶん多くの人が、子供を育てる側になるにせよ、子供がいない立場になったにせよ感じられて、でうまく言葉にできなかった気持ちをダイベンしてくれているのでは
・ご友人も、複雑な思いを持って接してこられると思いますが、ありぱんさんらしさを必要とされる方も間違いなくいるかと思いますので、ありぱんさんがありぱんさんらしくいることでしかないのかなと思います
・フェーズ刻一刻と変わるのが子育て世代の親なので、あるときは子育ての大変さに共感してもらうこと癒やされたり、子供とばかり過ごしてきた中で大人同士の会話に癒やされたりすることも有ると思います
・どちらを優劣つけるでもないけど、葛藤しているんだよっていうのが伝わります

同じコミュニティにいらっしゃる先輩(男性・子あり)

(→フェーズ刻一刻と変わるのは、独身or子なし以上なのだろうなと思うので、相手の求めるものを理解したり、うまく振る舞えるといいなと思いました。)

・これの逆バージョンの寂しさを感じた実体験があるので、なんとなくわかる気がする。
・自分は学生時代のほぼ全てを子育てと学業・バイトの両立に追われる生活に投じることになったのだけど、それは誰かに選ばされた不本意な道ではなく、自ら望んで選んだ道。にもかかわらず、周囲(地元の友達・高校の同級生・大学の友人すべて)に同じ問題に取り組んでいる仲間は当然いなくて、ほぼ例外なく学生らしい学生生活(サークルやら合コンやら飲み会やら旅行やら)を謳歌していて、普段は忙しすぎてそんなこと考える余裕すらないんだけど、ふとした瞬間にものすごい孤独感と疎外感に襲われることがあった。
・この「自分が圧倒的マイノリティであるがゆえの孤独感と疎外感」は社会人になってからもしばらくは続いた(同世代が結婚したり出産したりしはじめる20代後半くらいまでかな?)けど、時間の経過とともにその状態に慣れたこともあって、あまり悩むことはなくなったかな。

同じコミュニティにいらっしゃる先輩(男性・子あり)より

(→「自分で選んだんじゃんと言われたら否定はできないけど、とはいえ寂しいんだ・・・」というのって、子育てに限らないな、と気づきました。忙しい仕事をする、とかもそうだし、それがゆえ、元々のつながりが薄れていくのはどんな立場でも悲しいことだし、一旦「悲しい」気持ちを自分や、周囲の人で受け入れるプロセスが人生には必要だと感じました。)

・どうコメントしようか悩むところですが「子育てについて、ここまで深く考えられる、ありぱんってスゴい!」って思いました
・自分は単純に「子どもが欲しい!」って思って、いろいろ頑張った末に子どもができて、毎日大変だけど、喜びもあります。自分にとって、子育てはスターウォーズみたいなもので、エピソード4から始まった映画が、エピソード1に戻るように、物心ついてからの記憶しか無い自分にとって、物心つかないときの自分を、子育てを通じて見ている感じです。「あー、親は自分に、こういうことをしてくれていたんだなぁ」と毎日発見があります。だから、自分は子育てできて良かったと思っています
・それを他人に押し付けるほど、おこがましいことは言えませんが「子育て、めっちゃ楽しいのになぁ」とは思います

同じコミュニティにいらっしゃる先輩(男性・子あり)より

(→自分を内省する機会として子育てを捉えている視座に頭が下がります。子育てを通じて親も磨かれるとはよく言いますが、仕事など以外で自分を研鑽していく方法は多くないと思うので、その点での魅力を感じました)

・らしさが溢れとると感じてしまいました!答えがないから更なる深海へダイブするのかなぁ、と。まさにありぱんちゃん、withoutジャッジメント案件だねっ!
・終わりのない、思考の旅はまだまだ続く。僕は子供が1人いるけど、考えてなかったかも。個人的には子供を授かったからって親にはならんな、と。理想は村で子供を育てる、そんなシステムが仕上がったら、素敵だなぁ、と。産んだら育てないと行けないルールも全く理解できないし、得意な人が育てたら、もっと解放されるかもナァーって。ちなみに僕は子育てにほとんどストレスないし、怒らないし、てきとーに放置スタイル。たぶん、きっちりとこうである!的な人とは相容れないだろうって。
・フカイフカイテーマ、思考を巡らす機会をありがとう!

同じコミュニティにいらっしゃる先輩(男性・子あり)より

(→一概に「ママ」「パパ」と見えていても、その背景とか思想はひとりひとり違うから、色んな人に理想の子育てとか、社会に対する眼差しとか、聞いてみるのは大事だなぁと思ったのでした。)

また、お子さまのいらっしゃる女性の方も、コメントしづらい部分もあるのではと思いつつ、思ったことをフィードバックしてくださいました。

・こういう事は、子どもがいる人にも共感できることだと私も思います。子どもを産み育てることに、かなりの計画性ないとできない世の中なんだなとずっと前から思っていたし、計画が立てられないなら産むな的な雰囲気はどこかにある。(ちなみに私は無計画です)
・まぁ確かにそれも大事だけど、計画してその通りになるわけでは無い事だらけで、自分の人生でできなかったことや失敗した事を子どもにはちゃんと・・・と言うのも違うし、計画(コントロール)が仇になっている家庭もよくある訳で。そういうのも全部ひっくるめて、子育てって考える要素がたくさんで、子供の有無にかかわらず、みんなで考えると面白いジャンルだと思います
・結局、今どうしたいか?今どう感じているか?大人も子どももそれに尽きます。それらを否定されたり肯定されたりで、右往左往しながら進んでいくのかなぁ・・・。

同じコミュニティにいらっしゃる先輩(女性・子あり)より

(→私が戸惑いを感じるのと同じように、当事者である親自身も当然そういうことを感じているのだというのをハッとしたし、色んな人の意見を聞く意味があるなと改めて感じました。)

・子育てした側のわたしですが、子供中心の人生ではないですね(笑)早く独り立ちしてくれないかなー、あ、なんなら全寮制の中学受験させて、そこに入学してもらえればあと子育て4-5年じゃない?!とか考えてます
・もちろん子供は可愛いし、何にも代え難いもので、目の中に入れても3秒は耐えられそうとは思っていますが、『子育て』のある『生活』は好きじゃないです(笑)なので友達とは何気ない子育て以外の会話をする事が楽しいし、息抜きになっています✨
・友達関係に関しては、子供の有り無し、結婚の有り無し関係なく、その時その時でご縁が変わると思うので、寂しいかもしれないけど、離れていく縁もあるんだと思っています、また復活するかもしれませんけどね!
・ありぱんさんのnoteのまとめにもある通り、他を気にせず自分の今の人生を淡々と生きていく事があまりモヤモヤしないのではと思っています

同じコミュニティにいらっしゃる先輩(女性・子あり)より

(→「他を気にせず自分の今の人生を淡々と生きていく」というのが、お互いに必要ななかで、それでも人間であるがゆえ、縁に惹かれ、縁に導かれる・・・という神秘さを素直に喜べる人でありたいなと思いました。お互いの戦場で頑張ろうな・・・の気持ちですね。)

・私がありぱんちゃんを見ていて思うのは、どっちでもありぱんちゃんは、後悔しないし幸せと言ってるんじゃないかな?
・子どもを産む産まないを選択できるようになった時代というのはこれはこれで大変だなと最近つくづく思います。子育てのメリットや自分の価値観から慎重に考えるというのも大事なことだけれど、世の中の人たちはそんなに考えない人もいっぱいよ(考えたらデメリットの方が多いとすら思えるし)
・正解はない問い。最後に書いていたように門戸を閉じるにはまだ少し早いかなという気がするので、ありパンちゃんがこうなりたい人だったり、価値観が近い人だったり、全く逆の人だったりたくさん話を聞いてみるのがいいかなと思いました

同じコミュニティにいらっしゃる先輩(女性・子あり)より

(→正解はない問いなのは確かで、自分でも自分の選択に自信が持てるようになる日は来ないような気もするので、それこそいろいろな人の話を聞いてみよう、と思いました。)

このように、立場の反対側から話されていることを、もやもやするところもあるかもしれないとは思いながらも、実際に読んでいただいた方にポジティブな感想をいただけたことはとても嬉しかったです。

また、自分と同じような「子なし」「女性」の立場で同じことを感じている当事者の方からは、「自分はこう捉えている」「自分はこう考えている」などのことを教えてもらいました。

・めっちゃわかります!特に想像でにないってのは、めっちゃわかる!想像することはできても、その想像があってるからよくわからんのです。ということで、私は、ちゃんと聞こうとおもってます。想像しても想像しきれないので。
・と書きながら、これって、子供がいてもいなくてもやることか?ただ、想像できないから、下手にいえないかも?!ということは、周りが独身のときよりも増えたかも
・最近はないですけど、年賀状にあったこともないこどもの写真だけはやめてよー!とはおもってました。あなたの写真がみたいよ!私は、あなたの子供の友達じゃなく、あなたの友達なんだー!って心のなかでつぶやいてました
・そして、高校の友だちと今も帰省すると会ってて、普通にしゃべってるんですけど、何の話してたってっけ?っ読みながら思い出してました。家族の話もしてるし、自分のことも話してるなと。組み合わせが、既婚子あり、既婚子なし、独身とみんなバラバラな3人だから逆にうまくいってるのかもとおもいました。

同じコミュニティにいらっしゃる先輩(女性・子なし)より

(→「ということで、私は、ちゃんと聞こうとおもってます。想像しても想像しきれないので。」まさにこれは全部に言えることで、想像して悶々とするくらいなら聞いたほうが良いし、聞ける関係であるということそれ自体が、もう関係の盤石さを物語っている気もするので、私の「聞けない」と感じるその盤石でなさがどこから来ているのか、どんな条件で発生するのか、を考えてみたくなりました。そして私も友達と会って話しているときにいろいろな話をできるから息苦しくないんだなと気付いたり。)

さらに、既に同様の問題に対して指針を立てている友人からは、どのようなプロセスでその意思決定に至ったのかを教えてもらいました。

・私は特に身近な3人が最近立て続けに妊娠・出産し、その他、片手では収まらない数の友人および友人の妻が、2021年〜2022年に次々に妊娠し出産していったので、今回の記事をきっかけに改めて整理してみようと思いました。身近な友人の妊娠初期〜子育てを当事者にかなり近い立場で「参与観察」できていることは、ほんとうに良かったです。多くの友人が乳幼児を育てており、いろいろな家におじゃましたり話を聞いた結果、子育てに対しての当事者の向き合い方もとても様々であることがわかり、「子育て、よくわからない」に対しての恐怖感はかなりおさまりました
・子どもを観察することで「誰か大人が常に見ていないと行けない状況」が続くことも、「子供は知らないことがかなり多い、というか本当に何も知らない」ことも、「子供は人見知り・場所見知りをする」ことも、その反面、大人では考えられないくらい爆速で成長し、どんどん新機能が実装されていく姿を長期にわたって横で見守れることの喜びも、身近で関わることで知りました
また、実際にその現場に身を置くなかで「夫婦の片方にワンオペを強いることは平和な家庭を守るためにはあまりやらない方が良いこと」だと気付いたり、「子供がいることによる時間の使い方や意思決定の変化」を目の当たりにしたり、「子育てを助けようと思うと、子供にだいぶ懐かれている必要があり、子育て中の友人を助けたいと思うなら、子供のほうではなく、家事(皿洗いなど)を手伝ってあげたほうが良いこと」を「自分からやりたいと思ったら」やればいい、と気づきました
・関わっていくなかで、自分の振る舞いの方針も分かってきました。1つは「慢性的に手が足りてない」状態であることを踏まえ、自分は「猫の手」になったつもりで接すること。自分にとって全く負担ではないけど相手はやってもらえたらすごく嬉しいことを積極的にやる。2つ目は、相手は「自分<<<<子供」状態になっていると想定しつつ、その度合には濃淡があるので一人ひとりの友人に向き合いながら、自分の誘う内容を見つめ直すこと。
・正直、もとからあまり頻繁に会わない友人の場合は「疎遠になる」一択になってしまう気がする。なぜなら、「自分にとって全く負担ではないけど相手はやってもらえたらすごく嬉しいこと」ができないからだ。相手のライフスタイルが分からないので日程調整がそれなりにめんどくさかったり、子供を預けるロジなどもよくわからないし、何時間くらい放っておけるスタンスなのかもわからない(母乳しか飲まない子とかもいるし、パートナーが子育てスキルが高いかどうかなどもある)、出産後の時間とお金の価値観が分からない(何にお金を使いたいと思ってる?など)といったあたりでハードルが高くなってしまうからだ。原則「お互いあまり負担ではないことで、楽しめたらいいよね」というスタンスでやらないと、お互いにすり減ってしまう。なので、子育て中の友人はママ友・パパ友同士で遊ぶほうが彼らも気楽なのだ。こういったハードルを前にして一時的に疎遠になってしまうとしても、心だけは離れたくない場合は、たまに連絡(誕生日など)したり、出産祝いを送ったりなどするようにしています
・自分のすこやかな心を保つTipsとしては「子連れがマジョリティの場にはあまり行かない」というのが最近重要な気がしています。この文章で何度も言っているように、「子育ては24時間365日」であり、子育て中の友人は「自分<<<子供」。そして、雑事は余裕がある人がやったほうが場はうまく回る。そして「余裕があるのは常に子なしの我々」だということを考えると、お互いの無駄なすり減りをへらすためには、「余裕がある大人がマイノリティ」の場を作らないことなのかな、と思っています

かつて一緒に働いていた元同僚(女性・子なし)が連絡をくれました

(→先を行く先輩の意見は説得力があり、また考察もめちゃくちゃ深く、いかにこの話をしてくれた子が理知的かつ日々を洞察深く過ごしているのかを改めて理解し、尊敬を深める機会になりました。「自分が猫の手になる」でも「無理しない、嫌でない範囲で」というのは、特にこの「子あり友人との付き合い」の上で必要なことだなと思いました(私は子どもと雑に遊ぶのが苦にならないタイプなので、そういう手助けの方法とか)。)

これまでそういうことにそこまで関心がなかったという「子なし」「男性」の方からも、読み解いた感想をいただきました。

・興味深いなーと思って読みました。読んでいて、「子育てというジャンルはめっちゃ特異なジャンルなんだな」と思いました。距離を感じる理由は読んでいて2つあり
①たかおさんが「他者と同じ問題に浸るタイプのコミュニケーションを好む」(本当に同じ問題である必要はなく (共感できる)問題であればいい)
②当該ジャンルには単に興味があまりなく「今後も意図的に主体的な関心を持たない」ことを決めている
→つまり「私が同じ問題に浸れると認めていた人達が私が行かないと決めた領域の問題で奮闘している。が混ざれない」みたいな寂しさがあるのかな、と。そしてそれが私にとっては他者の大きな変化に見えてしまう。(実際にそうなんだけど。)
・僕から見ると変化というよりは興味のジャンル(環世界)の追加に見えています。instagramがわかり易い例なのかな。「本人が見ている世界と関心を他者に共有する視点」がわかりやすく可視化されるのがinstagramだと思っています。instagramを「本人が見ている世界と関心(主観)」をそのまま写像し映像化したものとすると、「本人が見ている世界と関心」が例えばネイルや食事から「我が子」にスライドするとそればかりになる。つまり環世界の重心が移動したのだろうな、と思います。ある種の「推し変」です。つまり本人からすると「本人が見ている世界と関心を他者に共有する」行動をそのまま取っているに過ぎないのかもしれません。そして、その移動した先のジャンル(環世界)がある種の機会制限があるジャンルであるのかもしれません。(私からすると一部の人間しかやらない、やり得ないという点ではナイトプールや毎日美食載せてる人とかに似てる感覚)その制約とは
  ・女性でしか踏み入れられない“体感“がある
  ・年齢的な制限がある程度存在する
  ・(暗黙的にも)ツガイを必要とする
  ・多くの女性がその選択を受け入れる
  ・時期性がある(しかも負担が次第に減退する)
こんなにも制約が多く、しかも「私にもその機会と権利がある」と捉えた状態で参加しないジャンルって多分珍しいですね(ナイトプールのほうが行けそうな気がしてきました)。そういう特異性と元々持っているコミュニケーションの性質が合致した結果が今なのだろうな、と。

同じコミュニティに所属しているお友達(男性・子なし)より

(→情緒的なコメントではなく、外の世界から見たときの分析があることで、自分の気持ちがどのようなものなのかが捉えやすくなりました。自分が「他者と同じ問題に浸るタイプのコミュニケーションを好む」のはまさにその通りであり、それによる寂しさなのだろうなというのも感じたり。)

さらに、記事内で取り上げた「子どもがいても関わりを持ち続けられる友人」にも、この文章をシェアしました。正直、このように真正面から思っていることを伝える(しかもテキストで)機会は初めてだったし、相手はまさに忙しい毎日を送っているので一瞬躊躇しそうにもなりましたが、いつも話すのと同じようにコメントをくれて、すごい救われたような気持ちになりました。

・優しさが溢れているね🥰私の立場からすると、正直同年代の子どもを持つ母親とは話合わなくて、全く立場が違う友達と話す方が気が楽だったりするのよね~、だから関係を維持してくれることは私にとってもすごいありがたいよ!

記事内で取り上げた「子どもがいても関わりを持ち続けられる友人」(女性・子あり)より

(→大変さから目を背けて自分のしたい話をしているのではないかと罪悪感を持ったこともあったけど、そうではなく、「楽だ」とか「ありがたい」とか思ってくれているんだと思えることで、これからも自分にできることをしたいと思えたし、ありがたいなと感じました…これは本当に。)

このように、1つの文章を通じて、色々な立場からいろいろな意見をもらい、それを通じて自分の思考が進むだけではなく、コメントをくれた方との間にあるものも、良いい意味で少し変質したのではないかと感じました。

事例3:タイムリーなことを残したいとき

先日結婚式を執り行ったのですが(その節はありがとうございました😭)、直前にあまりのタスクのパツパツっぷりに、その嘆きをnoteに(寸前の深夜に)したためました。

少しネガティブな要素も孕んでいるかな、とか、来てくれる人が見たらどう映るかな、とか、心配事も多少はあったのですが、あくまでそのときの心情を、そのまま残しておきたい、という気持ちで書き留めました(もちろん、誰かを傷つけることのない抽象的な話にするなどの配慮は一応した…つもりではありますが)。

また、大変なことや直面した出来事を割と逐一Twitterにて「#ありぱんウェディング」というハッシュタグで綴っていました。

これも賛否があるかなと思いつつ、結果的には参列した方から「ハッシュタグで経過観てたからなんか感慨深いよ!」などといった声をかけてもらえ、そのコンテクストも含め、知ってもらえていたことが嬉しかったです。

まとめ:会話が苦手でも、会話をする方法としての「文章」

これらの経験を踏まえて、「文章を残すことが、会話や対話のきっかけになるのではないか」という気づきを得たのです。誰かに役に立つ情報を伝えたり、誰かの気づきを促すだけではなく、「色々なことを考え・会話するとっかかりとしての文字列」という文章の在り方は、自分としては納得感があり、心地よいコミュニケーションの水先案内人として機能してくれるのではないか、と感じたのです。

文章を書くとなると、つい自分の手元で完結させたり、「良い文章」を書きたくなるのではないでしょうか。特に文章を書くことを仕事にしている人は、文章でお金をいただくプレッシャーがあったり、文章単体で人の心を満足させなくては、という気持ちになることはたくさんあると思います。

でも、「口火を切るような文章」とか「自分が完結させるのではなく、対話の緒としての文章」という在り方を「書く」ことの選択肢に持つことで、もっと気軽に、そして他者と痛みや喜びを分かち合えるような気がしています。

もし、少し「書く」ことに疲れてしまった方がいたら、そんな力の抜き方もあるのではないかという提案をさせていただき、一旦筆を置こうと思います。

おわりに

今回の記事は「【blanks with】ライター Advent Calendar 2022」に参加させていただきました。他の記事もぜひ読んでみてください!

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ありぱん🍞パンが好き
UXコンサル、BtoBマーケ、人事を経てコミュニケーションマネージャー(広報、マーケ、採用広報、組織開発)なう。 書くこと:パン偏愛、可愛いもの布教、働くこと、生きること、1日1考、新サービス考察、旅行、読書録、銭湯、恋愛。 頂いたサポートは、もれなくパンの研究に使われます。