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「コミュニティ疲れ」のないコミュニティとは?〜参加ハードルの低い「米国ポートランド」編

「コミュニティ」は確かに盛り上がってるけど「コミュニティ疲れ」を起こしてる人は少なからずいると思う。あまりそういうことは考えたことがなかったけど、ある人とZoomで話しててよく考えるとすごくありそうだなと思った。

「コミュニティ疲れ」はなぜ起こるのか?

そのZoom会話の中で、「コミュニティ疲れ」が起こる理由について、参加のための何らかの積極的なアクションが必要になるからだという一つの結論に至った。

この場合の積極的なアクションとは、オンラインコミュニティで言えば、アカウントをつくるということやオンライン上でアクティビティを持つということも含まれる。僕にもこの理由には心当たりがあって、ここ数年で盛り上がっている「コミュニティ」の多くには参加のハードルを感じることが多い。

コミュニティ疲れが起きにくい(?)米国ポートランドの事例

「積極的な参加」は必要だけど、多くの人が参加したくなるコミュニティとして米国ポートランドの例が挙げられると思う。

ポートランドには、いろんな形で「コミュニティへの参加のハードルを下げる人」が沢山いる。参加できるイベントとか機会が多いというのもあるけど、それ以上に、レベルが低くても人前で果敢にパフォーマンスする人が多いことがでかい。

ポートランドの街中にはストリートパフォーマーが沢山いて、中には「それなら自分にも出来る」と思えるような、簡単で全体のレベルを落としているパフォーマーも普通にいる。この、演技する側と見物する側の垣根の無さが最高だと感じる。

むやみにハードルを上げるとつまらなくなる

自己紹介記事で苦手なこととしてあげた以下は、どれもコミュニティへの参加のハードルを上げるものだと思う。

* 潔癖すぎること
* フェアではないこと
* 過小評価されてる雰囲気
* 上品すぎること
* 空気を読みすぎること

その他、能力の高い人ばかりのコミュニティも、高度でテンポの早いコミュニケーションに偏っているコミュニティも、完成度や華麗さ、センスなどを求めるコミュニティに関しても言える。

どれも僕の感覚だとそのコミュニティのエゴであり、自己満足の世界だと感じてしまう。それによって参加できない人が生まれてしまうと、それが良い結果を生む場合もあるけど、多様性やセレンディピティの効果が活かせず、良くて「思い通り」の結果しか得られない

積極的なアクションが必要でも参加したくなるコミュニティの特徴

ポートランドでは、みんな参加したくて参加してるので、例えそのコミュニティに参加するのに何らかの積極的な参加アクションが必要だったとしても、コミュニティ疲れのようなことは起こってないように見える。

自己紹介記事などでも書いたけど、積極的なアクションが必要でも参加したくなるポートランドの特徴はこんな感じだと思う。

ポートランドの住みやすさの特徴 殴り書き
* 日本だとイジメられそうな人も落ち着き払って自信満々
* 大学の授業でも女子生徒の方が恐いほど強かった
* 障がい者やLGBTの人たちがオープンで活発に行動
* バスの中でも知らない人同士でディスカッションし始める
* エレベーターの中ではむしろ会話をしないと不審者がられる
* ダウンタウンの広場でサブウェイのサンドイッチを食べてると、若者グループの一人から「それ一口かじらせてくれない?」と尋ねられたりする
*子供に「将来何になりたい?」と聞くと、結構な確率で「アーティストになりたい」と答える。
* アートでも音楽でも、下手くそな段階から果敢にパフォーマンスする。
* アメリカにいながら車が無くても生活できる
* 発想が自由過ぎて次に何が起こるか予測不能
* 変人が安心して変人でいられる

何がそうさせているのか?についての個人的な考察
* いい意味で他人に興味がない(他人のやりたいことを否定しないし、出る杭も打たれない。つまりニュートラルな反応)
* 公共空間でも遠慮とは無縁の世界で、迷惑だと感じることも少ない
* 「参加のハードル」が低い(アートでも音楽でも社会活動でもITでも)
* 「Keep Portland Weird」の精神が根付いていて、自分たちのまちに誇りを持っている

これを日本で再現するのは現実的に難しそうだけど、「コミュニティ疲れ」を引き起こさないコミュニティづくりの参考として意識しても良いかも。

こんな居心地の良すぎるポートランドだから、僕もポートランド滞在中にいろいろやったな〜と懐かしく回想していた。

その中でも、東日本大震災のときのPlay for Japanというチャリティ路上ライブが忘れられない。現地の日本人有志で企画・練習して、ポートランドのAlbertaストリートで行われるLast Thursdayというストリートフェアで、日本の歌を歌って募金を募った。

結果的に募金額が139ドルになり、当時ものすごく円高とはいえ、それでも日本円で1万円以上になり、日本のNPOに寄付することができた。

そんな風に、参加の積極的アクションが必要でも自分も参加したくなるコミュニティづくりは、ポートランドにヒントがあるかもしれない。

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