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理系女と文系男/第16話;襲撃のあと

ツケルに痴漢された翌日、その記憶が怖くて学校に行けなくなる…なんてことは無かった。

私は変に打たれ強かった。
両親がどちらもキレやすく、暴力や暴言が日常茶飯事だったから鍛えられていたのだろうか。はたまた、寒い国で過ごした幼少期の経験も、影響していたかもしれない。

正直、ツケルにやられたことを、当時の私はそこまで辛い体験とは認識していなかった。
まあ、今もだけど。

それでも登下校の路線バスの中で、またツケルに同じことをされるのでは? これが全く心配でない、ということは無かった。

そんな私は翌朝、ふと自室の机の上に放置されていたマイメロのぬいぐるみに気付いた。

(ああ。宗教勧誘の人からケイに助けられた後、一緒に入ったマクドナルドで食べたハッピーセットのおまけか)

もう一年前になろうとしていた事件を、私はこのマイメロから思い出した。その記憶は、私に独特な安心感を与えた。
私はマイメロを手に取った。

(これ、お守りになるかな? あの時みたいに変な人に絡まれても、ケイの代わりにこの子が助けてくれるかな?)

どういう思考回路か、私はあの時のケイに感じた頼もしさを、このマイメロに感じていた。
マイメロは携帯ストラップになるよう、耳に輪っか状の紐がついていた。私は当時使っていたガラケーに、このマイメロを括り付けた。

「頼むよ。私を守ってくれ」

私はマイメロにそう言って、これを括り付けた携帯電話を通学鞄の中に入れた。

この日以降、私は必ずこの子を連れて外出するようになった。


ツケルにやられたことは、誰にも話さなかった。
私が黙っていれば、誰にも迷惑を掛けない。
サセコに吹き込まれた通りに私は考えていたし、そもそも自分がされたことを、人に知られたくないと思っていた。
加えて、時期は一学期の中間テストの直前だ。余計なゴタゴタに時間や精神を浪費したくなかった。

私はテスト勉強に集中しようとした。
勉強していれば、他のことを考える余地は減る。ツケルに痴漢されたことも、勉強している間は忘れられた。
だから私はテスト勉強にのめり込んだ。襲撃の記憶から逃げるように。

ところで問題があった。
中間テストの最終日、テスト後に文筆部のミーティングが予定されていた。場所は私とケイの通っていた塾の談話室となっていた。

前日になって、私はそのことを思い出した。学校帰りのバスの中で私は考えた。

(私、うっかりツケルのことを話しちゃったりしないかな? そうしたら、シュー君が傷つくよね…)

ツケルがその会に乱入してくることより、何故かそんなことの方が心配になった。
そしてその心配事は、私から会に参加する気を嫌な感じに奪っていた。

(明日は休みにさせてもらおう)

私はそんな結論に至るや、すぐに鞄から携帯電話を取り出した。マイメロが括り付けられた。
そしてケイたち三人宛にメールを打っていた。

『父親が急にキレた始めたので、明日は参加できなくなった』と。
そして、そのメールを送信した。

変な理由だと普通の人は思うかもしれないけど、私はそんな理由で行動を制限されるのが普通だった。
簡単に言えば、私の両親はどちらも超絶束縛タイプで、ケイたち三人もそのことは知っていた。と言うか、彼らは私の父を恐れていた。

だからそのメールを送った後、反論のような返信は無かった。

そして翌日、私は予告通り文筆部のミーティングを欠席した。


中間テストが終わった二週間後には、修学旅行が予定されていた。採点されたテストが全部返却された後、修学旅行に臨むという素敵なスケジュールになっていた。
ついでにテストから帰って来たら、数日後に実力テストがあるという、これまた本当に素敵なスケジュールだった。

テスト後の修学旅行までの間、文筆部のミーティングは予定されていなかった。それに加えて、理系と文系でクラスが違っていたこともあり、私はケイたちと全く会話しなかった。

毎日少しずつ返却されてくるテストの点数について、クラスの子と喋るしかしなかった。

お蔭でツケルのことを思い出さずに済んだ。

あっと言う間に一週間は過ぎ、中間テストは全部返却された。


修学旅行の初日を迎えた。
学校に集合して観光バスに乗るクラスと、新幹線の前に集合してそのまま新幹線に乗るクラスに分かれていた。どちらも行き先は同じなのだけど、二通りのルートが設定されていた。

私とケイは学校で観光バスに乗る派、シュー君とタケ君は駅で新幹線に乗る派だった。

因みにツケルは駅で新幹線に乗る派。シュー君たちと同じだった。
ついでのついでに、サセコは学校で観光バスに乗る派。私たちと同じだった。

シュー君たちが少し心配、というのは心の何処かにあった。だけど、それで暗くなっているのもバカバカしい。
バスの中で、私はクラスの女の子たちと喋りっ放しだった。とにかく修学旅行を満喫しようとしていた。

バスの行き先は港。ここからカーフェリーに乗り、海を越えて目的地へ行く予定になっていた。
こう書くと、かなり遠くへ行くように思えるが、その目的地へは新幹線でも行ける。海で隔てられてはいるけど、大して遠くはない。そんな場所だったけど、大きな客船に乗るということにそれなりのワクワク感があった。

フェリーの時刻を待つ間、私たちは港の近くの水族館を回った。なんか知らないけど、私はずっと担任の先生と行動していた。私ははしゃいでいたが、その様子を細かく描写する気は無い。JKお散歩っぽく思えるからだ。
因みに水族館でケイと会うことはなかった。

水族館をひとしきり満喫した後、ついにフェリーに乗った。
乗船から出港まで、かなり時間があった。その間、私はクラスの女の子たちと展望デッキに出て、取り敢えず騒ぎまくった。写真も撮りまくった。

段々風が強くなってきて、スカートが危うくなった。私たちは一度船室に退却して、ジャージに着替えてから、また展望デッキに出た。


その後、詳しい流れは憶えてないけど、何故か私はサセコと二人で行動していた。

サセコは何だかんだで、私くらいしか話せる相手がいなかった。私はノリと勢いで先日の蟠りを吹き飛ばし、サセコと一緒でも騒ぎまくった。

「この船の車輛甲板は【しゃりょうこうはん】と読むんだよ。【かんぱん】じゃないんだよ。よく、アナウンス聞いてみー」

などと、にわか知識をサセコに披露していた。

そのうち出港の時刻になって、船が動き出した。もう大騒ぎだった。その時、私とサセコは船首側の転落防止用の鉄柵の前にいた。
私は奇声を発していたが、サセコはクールだった。

ここでも私は、にわか知識を披露した。

「この船、港の岸壁に頭を付ける形で碇泊してたんだよ。だからそのうち、方向転換するよ」

私の語るにわか知識を、サセコは興味無さげに「へー」と聞き流す。
どうして私が、半端に船の知識があるのか? それは、ある男子の影響だった。

私が語った数分後、船はUターンし始めた。頭を目的地の方に向け直す為だ。
この時、サセコは納得したように頷いていた。

「なるほど。戻ってるんじゃないんだ。つまり、さっきまではバックで進んでたんだね」

サセコがそう言うと、私はしたり顔で解説を続ける。

「その通り。で、方向転換が済んで頭を向け直したら、今度は逆向きに進み始めるよ」

私の語る通りに船が動き、それにサセコが感嘆しているまさにその時だった。
私に船のにわか知識を吹き込んだ張本人が、何処からか現れた。

「方向転換とか言うな。転舵だ。それから頭じゃなくて船首と言え。用語は正しく使え」

唐突に聞こえたきた、男声のボソボソ喋り。私には馴染のある声だった。
その男声のダメ出しに、私もサセコも思わず振り返った。

「あ…。ケイ…」

そう。ケイだった。
彼は何処から現れたのか、いつの間にか私たちの後ろに居た。

いつもだったら、私は高音を口から発しながら彼に飛び付いていただろう。だけど、何故かこの日はそれができず、むしろ独特な申し訳なさすら感じていた。

サセコの反応は私よりも悪かった。怖がっていると言った方が的確か。口を半開きにして、言葉を詰まらせているのが印象的だった。

「彼氏のお出ましなら…私がいると邪魔だね。それじゃあね~」

サセコは立ち尽くすケイに背を向けないよう、彼を警戒したまま、すり足でケイを中心にした円の円周を歩き、ケイの背側に回ったタイミングでようやく背を向けて走り去っていった。

サセコが逃走し、私とケイは二人っきりになった。
ケイは徐に私に近付き、さっきまでサセコが居た場所まで来た。そして凭れるように、両腕を鉄柵に掛けて船の進む方向を見据えていた。
私は鉄柵に背を向けたまま、横目でケイの姿を見た。そしてケイは喋り始めた。

「俺から聞いた話を、さも前から知ってたみたいな顔して語るな」

そう。さっきまでサセコに語っていたにわか知識を私に吹き込んだのは、他でもないケイだった。
私が鉄柵に背を向けたまま黙っていると、ケイはそのまま言葉を続けた。

「なんてことはどうでもいい。正直、お前の交友関係に口を挟むのは野暮だとは思うが…」

今からケイに何を言われるのか、だいたい察しがついていた。だから私はケイの方を向けなかったし、鉄柵にもずっと背を向けていた。

「よく自分を売ったような奴と騒げるな。社交的とか友好的のレベルを通り越して、完全にバカの領域に入ってるぞ」

ケイの語り口は全てを物語っていた。私は思わず、鼻で笑ってしまった。

「知ってるんだ。私が何されたのか」

このせいで、私はあの日の嫌な記憶を思い出した。さっきまでのノリは、完全に何処かへ消えた。というか、さっきまでは無理やり騒いでいたのかもしれない。

「この前、ツケルとサセコが話しててな。偶然、生で聞いた。二人ともぶっ殺してやろうかと思ったけど、余計な騒ぎになるからやめておいた」

ケイは言葉選びが上手くなっていて、肝心な内容を避けつつも充分に伝わる喋り方をしていた。
私は唇を噛み締めながら、ふとポケットに入れていた携帯電話を取り出した。マイメロを括り付けた携帯電話を。

「ちょっと喋りたい。何を言えばいいのか解んないけど、喋りたい…」

私はケイにそう言った。
この流れで、私とケイは洋上を進む船の上で、暫く語り合うこととなった。船の進む先では、朱色の太陽が水平線の下に潜ろうとしていた。

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