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理系女と文系男/第1話;屁理屈男と性悪女

これは、私【まりか】が同級生の男子である【ケイ】との思い出を綴った話である。

最初に言っておくが、私はケイと結婚したいと思っていた。本気だった。

だけど、ケイは私以外の女性と結婚した。そして私は、まだ結婚していない。

つまりこれは、惨めな負け犬が書いた失恋節である。


話は私が中学生だった時まで遡る。
私は地元の公立中学ではなく、私立の中高一貫校に進学した。共学だった。
ケイと出会ったのは、私が中一の時。同じクラスだった。

ケイの席は私の席の隣だったが、最初は殆ど言葉を交わすことが無かった。
いや、それ以前の問題だった。当時から私は饒舌だったが、ケイはそれと対照的で無口。いつも一人で本を読んでいた。

この時は全く想像もしていなかった。
まさかこんな無口で暗い奴に対して、結婚したいという感情を抱くまでになるなんて…。


私とケイの最初の会話は喧嘩だった。ケイが先生に怒られたことが切欠だ。

「こら! 廊下を走るな!」

廊下を小走りしていたケイは、擦れ違った先生に注意された。
私はその時、たまたますぐ近くに居た。どういう訳か、立ち止まってケイと先生のやり取りを眺めた。
普通の子なら、先生に注意されたら平謝りするだろう。だけどケイは違った。

「僕は走ってませんよ。早歩きしてただけです。走る場合、両足が同時に地面から離れることがあります。だけど、僕は必ずどっちかの足を床に付けていました。だから走ってません。早歩きです」

ケイは先生にそう言い返した。そう。ケイはこういう奴だった。
このケイの反論を聞いて、私は思わず吹き出した。

(何、こいつ? めっちゃウケるんだけど!!)

勿論、先生は私と同じようには思わなかったらしい。
「ふざけるな!」と、ケイが先生に怒鳴られるのは当然の流れだった。
そこまで含めて、めちゃくちゃ面白かった。私はバカ笑いした。
ケイは先生に叱られながら、傍らでバカ笑いする私を横目で見ていた。


ケイが廊下で叱られた直後の授業を、私は集中して受けられなかった。

「走っていたのではなく、早歩きだ」

ケイが屁理屈を言って先生に怒鳴られる光景が、暫く私の脳裏を占拠していたからだ。

私は数分に一回、隣のケイに目を向け、その度に先の光景を思い出してクスクス笑っていた。
それこそ、先生に注意される程度には。
そんな私に対して、ケイは明らかに不愉快そうな顔をしていた。

その授業が終わった時だった。ケイは私に文句を言ってきた。

「まりかさん。俺に言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれるかな?」

ケイはまだ座っていた私の横に迫ってきて、威圧するように私を見下ろしながらそう言った。
私は席に座ったままケイの顔を見上げたが、彼の顔を見るとまた笑ってしまった。

「ごめん。休み時間にさ、“走ってない、早歩きだ”って言い訳してたのが、めっちゃ面白かったから……」

私は正直に言った。笑いながら。そんな私に、ケイは溜息を吐いた。

「人の顔を見て笑うの、感じ悪いと思うよ」

ケイはそう言った。これは屁理屈でも変なことでもなかった。
さすがに私も申し訳なかったと思い、顔から笑いを消して「ごめん」と言った。
だけど、この屁理屈男に屈するのも、なんか癪だ。
と言うか、ケイは私の癇に障る単語を平気で使っていた。

「ところでさ。いつ私のこと、名前で呼んでいいって許可した?」

私は全身から苛つきを放出しつつ、立ち上がった。
この頃、私の方がケイより10 cmくらい背が高かった。
今度は私がケイを見下ろす形になった訳だが、ケイはあんまり動じていなかった。

「同じ名字の人がいるから、識別の為に下の名前で呼んだだけだけど。って言うか、他の奴らもそう呼んでると思うけど」

ケイはそう言った。

実際、クラスには私と同じ名字の子が居た。女の子だった。
担任の先生は区別の為に、そっちの子を名字で呼んで、私のことは【まりか】と呼んでいた。平仮名で読み易かったからだろう。
先生が【まりか】と呼ぶから、クラスも子も私のことを【まりか】と呼ぶようになっていた。正直なところ、なんか嫌だった。

「あっそう。そうだよね」

だけど、この件で言い争うのもバカバカしかった。
だから私は引き下がることにして、また席に座った。
ケイはトイレにでも行くのか、廊下に出て行った。

(陰キャの屁理屈男)

教室を出たケイの背を眺めつつ、私は心の中でそう言った。


その数日後の朝だった。朝礼前、ケイが呟いた。

「しまった! リスト失くした!!」

その日は6時間目に英語の授業があって、単語テストがあると予告されていた。
テストに出る単語は、リストにしてプリント配布されていたのだが……。
発言から、ケイがそのリストを失くしたんだとすぐに判った。
ケイの顔を見ると、確実に焦っている様子が窺えた。

「何? 今日のテストのリストが無いの?」

私はケイに声を掛けた。ケイは「ああ」とだけ返した。
「お前のプリントをコピーさせて」とでも言うのかと思ったけど、意外にケイは何も言わなかった。
私…と言うか他人に弱みを見せたくなかったのだろう。
なんだけど、私はお節介だった。

「図書館にコピー機あるじゃん。1時間目が終わったら、コピーしに行こう。私のプリント、コピーさせてあげる」

黙っているケイに、私はそう言った。
ケイはビックリした様子だったけど、やっぱり私に頼りたくなかったんだろう。

「いいって。教科書を見れば判るし」

ケイは私の提案を跳ね除けた。だけど、私にケイを放っておく気はなかった。

「そういう遠慮いいから。たかが10円だし」

私は食い下がった。ケイは暫く黙っていた。
十秒くらい後だった。ケイが「ありがとう」と小さい声で言ったのは。


と言う訳で、私とケイは1時間目が終わった後、一緒に図書館へ足を運んだ。そして、コピー機で私のプリントをコピーしてケイに渡した。

プリントをコピーした後、教室に戻るまでの間に、私とケイはいろいろ喋った。

「友達そろそろ作っときな。こういう時もあるだろうから」

私から会話を始めた。
この時点で、私はケイが他の子と喋っているのを見たことがなかった。だから、そう言った。
今思えば失礼な発言だけど、ケイはこれに怒らなかった。

「本当にありがとう。ところで、訊きたいんだけど……」

ケイが会話を膨らませるような発言をした。
これは意外だった。私が「何?」と返すと、ケイは言った。

「自分の名前、嫌いなのか?」

完全に想定外の発言で、私はすぐに返答できなかった。
しかし私が黙っていると、ケイは次の言葉を投げ掛けてきた。

「お前のこと、みんな【まりか】って読んでるけど、男子に呼ばれるのが嫌みたいな気がしててさ」

何処までも意外な発言だった。
ケイは本ばっかり読んでいたから、てっきり周りに関心が無いと思っていた。
そんな奴が、私の様子を把握していたのだ。しかも、割と的確に私の心を察していた。
私は素直に返答した。

「小学校までは、ずっと名字で呼ばれてたからね。下の名前で呼ばれるのに、違和感はある。特に、男子から呼ばれるのは」

私の回答が予想通りだったのか、ケイは頷いていた。
私の言葉を一通り聞いてから、ケイは言った。

「お前の名前、画数が凄くいいんだよね。悪い字画が一つも無い。凄くいい名前だぞ」

私は呆気に取られた。まさかこんなこと言われるなんて、全く想像してなかった。
いつも本を読んでるだけはあって、ケイはやたら知識が豊富だった。

(姓名判断の知識あるとか、キモっ…。勝手に私の名前、調べてんじゃないよ)

そう思いながらも、多分この時の私は微笑んでいたのだろう。
そして、いつになくケイは饒舌で、こんなことも私に言った。

「お前、性悪女かと思ってたけど、実は世話焼きなのかもな? ちょっと見直した。今日は本当にありがとうな」

私は感謝される形になったのだけど、性悪女という言葉は気に入らなかった。
私が眉を顰めていると、ケイは補足説明のように言ってきた。

「この前、俺のことバカにして笑ってたの、その顔じゃなかったら殴ってたからな」

この時、ケイは真顔だった。
数日前、「走ってるんじゃなくて早歩き」とケイが先生に言い訳したのを、私がいつまでも笑っていた件だと、私は少し時間を使わないと判らなかった。

「何? 早歩きとか走ってないとかのこと? まだ根に持ってんの?」

取り敢えず、ケイは私の返答に頷いた。
小っちゃい奴。私は思わずケイにそう言いたくなかったが、言わなかった。
ああ、実際に私より10 cmくらい小さいもんね。
なんてことも思ったが、それを肉声にするほど私も性悪ではなかった。

それはそうと、ケイの言葉には一部、私には理解できない点があった。

「“その顔じゃなかったら殴ってた”って、どういう意味?」

これだ。本当に判らなかった。
私が問うと、ケイはさらりと答えた。

「お前、アイドルで通用しそうな顔してるじゃん」

私は呆気に取られた。
容姿を誉められることには慣れていた。私は生まれてこの方、いろんな人から可愛いと言われてきたから。
それこそ私が幼稚園児の頃、母は私をアイドルにしたいと思っていたくらいだし。

だけど…ケイみたいな陰キャが、こんなこと平気で言うの!?
このギャップは私のツボにハマった。気付いたら私は、またバカ笑いしていた。

(何なの、こいつ!? 面白すぎるんだけど!!)

バカ笑いする私を、ケイは不思議そうに首を傾げて見ていた。


この日以来、私は【まりか】っていう平仮名の名前が好きになった。ケイが姓名判断の話をしてくれたお蔭だ。

気付いたら、ケイは私が一番よく話す男子になっていた。
だけど、私がケイを異性として見るようになるのは、もう何年か経ってからだった。

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