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社員戦隊ホウセキ V/第108話;社内コンペからの稽古

前回


 六月三日の木曜日、新杜宝飾では八月の展示即売会に向けた会議が行われた。営業部にデザイン制作部の数名が加わり、社長も交えての会議だ。内容は、即売会に出す新作の最終決定だ。
    この会議には十縷と和都も出席していて、緊張した面持ちで臨んでいた。

(アレキサンドライトのブローチ。僕の案、採用されるかな?)

 新杜宝飾は今年の三月にアレキサンドライトを再現した人工宝石を入手しており、これを使った商品を八月の展示即売会までに創る方針は早いうちから固まっていた。十縷にとって、この商品のデザイン案が入社後の初仕事となり、なんとこの案が幾度かの修正を受けて最終選考まで残ったのだ。彼にとって、こんなに嬉しい話はない。

 そして今日、十縷は営業部の前で自身のデザイン案について説明する為にこの会議に出席していた。

(どうなんだろう? やっぱり、まだワットさんには勝てないかな?)

 対抗馬として最終選考に残っていたのは、和都の案だった。親しい先輩との一騎打ちとなり、入社三か月目して早々の大舞台だ。緊張と興奮の中、十縷はプレゼンを始めた。

「宝石は5カラットのものを真ん中に置きます。マーキースブリリアントカットで、横向きにして目新しさを出したつもりです。縁取りはアレキサンドライトの色を打ち消さないように、シルバーの艶を落としてもらう予定で…」

 多くの人が守る中、パワーポイントに表示された自分のデザイン案について語る十縷。途中、営業部の方から何度か質問があり、少々狼狽えながらも十縷はこれに答えた。
 ライバルである和都も、祈るような思いでこの様子を見つめていた。

(頑張れ、ジュール。今のところはちゃんと喋れてる…)

 なお、十縷の次には和都が喋る予定だ。和都の案は十縷と似ていて5カラットの宝石を使用するが、ペアシェイプブリリアントカットを斜め向きにして、縁取りには金を用いて、十縷の案よりも派手さを強調したものになっていた。この点について、和都はプレゼンの番が回ってきた時に、このように説明していた。

「ロシアの皇太子の名を冠した宝石ですから、王族を意識して豪華さを押し出しています。縁取りのモチーフは樹氷で、ここもロシア押しです」

 十縷と和都、二人のプレゼンを受け、社長や営業がいろいろと議論した。そして最終的に選ばれたのは…。

「アレキサンドライトのブローチには、伊勢の案を採用する」

 全員の意見を統合して、社長の愛作がそう決定した。かくして十縷は敗れ、ほろ苦い経験となったのだが、その表情は非常に爽やかなものだった。


 会議が終わり、大会議室から社員たちが出ていく。十縷と和都もその流れに乗じる。

「やー、負けちゃいました。さすがワットさん。僕ではまだまだです」

「お前のも悪くなかったんだがな。だけど、強度の問題とかで修正入れまくって、最初の方針からちょっとズレたからな。だけど、凄ぇよ。俺の一年目、酷かったから」

 十縷と和都は互いを称え合う。ちょっと美しい光景だが、長々とは続かなかった。
    というのも、社長の愛作が声を掛けて来たからだ。

「熱田。この後、ちょっと時間貸してくれるか?」

 いきなり後ろから声を掛けられ、しかもお呼び出しだ。社員戦隊の仕事で愛作と関わる機会が多いとは言え、それでも相手は社長。十縷の背筋が伸びない筈が無かった。
「悪い話じゃないから」と言いながら愛作は十縷の肩を叩く。という流れで、大会議室のある四階から、十縷は愛作と共に社長室のある五階への階段へと、和都はデザイン制作部の部屋がある三階への階段へと、それぞれ分かれた。

 階段を下る和都は、一瞬だけ階段を上ってく十縷の方に目をやった。するとそこで、和都もまた別の人物に声を掛けられた。

「ワット。良かった、捕まえられて」

 それは時雨だった。営業部の彼は、先程の会議に出席していたのだ。時雨が話し掛けてきた内容は、八月の即売会に関するものではなかった。

「ジュールなんだが、今日の夕方は俺に稽古を付けさせて欲しい。どうしても、あいつに伝えたいことがあってな。ジュールには社長の方から伝えて貰う」

 これは愛作からの提案なのか、それとも時雨が愛作に持ち掛けたのか? どちらにせよ内容が意外で、和都は目を丸くした。
 それが気になって、時雨は「何か問題があるか?」と訊ねたが、和都はすぐ首を横に振った。

「いえ、何も問題ないです。それならそれで、お願いします」

 とは言ったものの、やがて和都の表情は驚きから心配に変わっていった。

「あの件、やっぱり気にしてるんですか?」

 和都には凄く心当たりがあった。時雨は和都の考えを察し、偽らずに深く頷いた。

「あいつには、伝えられることは伝えておきたいんだ。聞く耳はあるからな。あいつは悪い奴じゃないが、足りない部分もある。尤も、俺が言えた立場かという話だが」

 時雨が表情を変えずに話すのは、いつも通りだ。対して和都は、安堵しているのか心配しているのか、複雑な表情をしている。

「宜しくお願いします。俺はその手の話、苦手なんで」

 和都のこの言葉で、この会話は終わった。かくして和都は階段を降りて行き、時雨はエレベーターホールの方へと移動した。


 さて、愛作によって五階の社長室へと連れて来られた十縷。この部屋に来るのは入社式の日に呼び出された時以来、二回目だ。初めてではないとは言え、社長室という名前が彼を緊張させる。

「まあ緊張するな。あんま大した話じゃないから」

 愛作はそう言いながら、十縷を窓側の応接用の机に誘導した。十縷は固い動きで誘導されるままに座り、愛作と向き合う形になった。そして、愛作は喋り出す。

「入社早々、通常業務に加えて社員戦隊の任務まで負って貰って、本当にありがとう。本当に大変だと思うが、よく頑張ってくれてる。頭が下がるばかりだ」

 今更ながら、愛作は改まって礼を述べてきた。余り想定していなかった展開に、十縷は少々狼狽える。それから愛作は本題に入った。

「主な話は、今日の仕事終わりは剣道場に行って欲しいって話だ。北野がお前に稽古を付けたいみたいで。祐徳と二人で俺の所に言いに来た」

 軽い感じで愛作は言った。なのだが十縷の方は、少し怖がった様子を見せていた。

(隊長が僕に稽古を付けたい? しかも祐徳先生も同意? 何?)

 何故こんな話になったのか? 十縷には心当たりがなく、困惑していた。
 そんな彼を和ませる為か、愛作は「伊勢には北野から言ってあるから」と一見どうでもいい話をした。ところで、このまま十縷を帰すのもなんだと思ったのか、愛作は話題をもう一つ提供した。

「あと、会社の話もあるぞ。確定じゃないんだが、近いうちに仕事を制作の方に回って貰うことになるから、そのつもりで頼む」

 この唐突な話に、今度は別の驚きに見舞われた十縷。すかさず「どうしてですか?」と訊ねると、愛作は至って平穏に返した。

「勉強の一環だ。寅六とらろくさんも言ってたが、俺も今日の会議に出て同じことを思った。お前は面白いデザインができるが、金属の強度とか宝石の光り方とかの知識はまだ足りない。その辺の知識がついたら、もっと良いジュエリーをデザインできる筈だ。その為には、実際に金属や宝石を加工してみてるのが一番だからな」

 どうやら、勉強の為の一時的な配置換えらしい。十縷は胸を撫で下ろした。ついでに愛作はこうも付け加えた。

「伊勢はまず制作で勉強してから、デザインの方に回ったんだが、聞いてないか? 人によっては、営業で勉強してからデザインに回って貰うこともある。求められる物を創る為には、顧客の声を聞くのが一番だからな」

 話は非常に筋の通ったもので、十縷は納得できた。

(成程ね。まあ、ずっとデザイナー一筋で頭でっかちになってもなんだからね。制作の勉強は為になるだろうし、営業もやってみたら面白いかもな)

 そんな感じで、十縷はいろいろと想像を巡らせて、楽しい気持ちになってきた。十縷の精神状態が平穏に戻ったと見ると、愛作は呟いた。

「人って、ちょっとした切欠で簡単に変わるからな。性格も一言で言えるほど単純なものじゃなくて、かなり複雑だ。人の心ほど、難しいものは無いからな…」

 これは十縷に向けた言葉ではないが、どうしてこんな展開になるのか不可解だ。十縷も明らかに不思議がったので、愛作は少し慌てて「ただの独り言だ」と説明した。



 かくして伝達すべきことは伝達し終わり、十縷は社長室を後にした。
 部屋に残った愛作は、応接用の机から社長用の大きな机に移動し、今度は心の中だけで言った。

(ザイガ、お前はどうしてそう変わったんだ? 何がお前を変えたんだ? クソ真面目で馬鹿真っ直ぐ。そんな一言で話せるほど、お前も単純じゃなかったんだな……)

 兄夫婦の首を一年近くも保存し、わざわざ姪の前で破壊してみせたザイガ。十縷を激高させたあの凶行は、愛作にも強烈な衝撃を与えた。
 あの日からもう四日が過ぎたが、この衝撃はその程度の時間では治まるものではなかった。


 時計の針は五時半を回ると十縷と和都は職場を発ち、会社の体育館へと向かう。もうすっかり日常になったこの流れだが、今日は少し違う。

「ほんじゃ、今日は隊長と頑張れよ。筋トレが終わったら、一応剣道場に顔出すわ。まあ、流れ次第では、隊長と一緒に飯ってのもあり得るだろうしな」

 体育館の中に入ると、和都はトレーニング室の方へ、十縷は剣道場の方へとそれぞれ別れた。
    一人で剣道場に向かう途中、十縷は心拍数の増加を強く感じた。

(隊長と二人っきりなんだよね? そう言えば、隊長との絡みって意外に少ないんだよな。なんか、怖いなぁ…)

 元々、十縷は時雨に対して良く言えば威厳、悪く言えば軽い恐怖心を感じていた。
   また、時雨が何の目的でこんな提案をしたのかも見当がつかず、それも恐怖心を増大させていた。


 剣道場に着くと、そこは無人だった。
    どうしたものかと暫く立ち尽くすこと数分、時雨はいきなり現れた。

「ジュール。すまない、待たせたな。早速始めよう」

 ボーっとしていたら、唐突に後ろから声を掛けられた十縷。しかも、時雨は気配を絶って接近するのが得意で、声を掛けられるまで十縷はその存在に気付かなかった。だから声を上げ、大袈裟に驚いてしまった。
 そんな十縷の反応には頓着せず、時雨は徐に竹刀を渡してきた。十縷はこれを受け取り、一先ず息を整える。

「そう言えば、剣の振り方しか話してなかったからな。今日は所作について話そうと思っている」

 時雨は無表情のままそう言った。思わず、十縷は首を傾げた。

(所作って、剣道の試合のお作法? それって、実戦に必要なの?)

 そんな十縷の疑問を他所に、時雨は本当に試合の所作について説明し始めた。
   かくして十縷は、礼と蹲踞を繰り返しやらされた。「礼の角度が悪い」などとの指摘が何度も入った。どうしてこんなことをしているのか、十縷は理解できなかった。
    ある程度所作が良くなってきたと判断されると、今度はひたすら素振りをやらされた。

「まあ、こんなところだな。そろそろ無心になってきたか?」

 時雨のその一言で、素振りは終了となった。この時、時刻は既に午後六時を過ぎていた。十縷は疲れて床にへたり込み、時雨はその十縷にペットボトルの水を渡した。礼を言いながらそれを受け取った十縷は、ある程度口を潤すと時雨に訊ねた。

「確かに、気付いたら無心になってた感じですけど…。今日の企画、どんな意図があったんですか?」

 最も訊きにくかった内容だが、勢いで訊いてしまった十縷。問われた時雨は怒る様子などなく、十縷の隣にしゃがんで静かに語り出した。


次回へ続く!


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