「想いが強すぎる!」
あるコスメブランドのお手伝いをしていたときのお話です。
そのクライアントさんは、プラスチックフリーのエシカルな赤リップを開発されたのですが、何をどう伝えたらその魅力が伝わるのか迷われていました。詳しくお話を伺っていると,
「日本人はエシカルという視点が足りなさすぎると思う。自分が住む地球を大切にするという気持ちをみんなに持ってほしい。実際には,プラスチックごみのせいで年間…」
ととても強い想いをお持ちで、私は純粋に素敵な方だなと感じていました。
しかし、エシカルについての想いが強いあまりに、赤リップそのものの魅力が伝わってこないのが、うまく魅力が伝わらない要因かもしれないと思いました。なぜ赤リップなのかという質問をすると、ふいをつかれたように「あ、ちゃんとそこ考えていなかったかも」という答えが返ってきました。
このようなことは私もよく経験しています。
クライアントさん自身には何の非もなく、ひとつの想いが強すぎるがゆえに、他のことへの意識がどこかへ飛んでいってしまうだけなのだと思います。
想いだけでは形にできない
会社の新人編集者の企画を手伝う機会があるのですが、その際にいつも思うのが「想いだけでは形にできない」ということ。先日、ある後輩が中学生向けの教材を企画するというので、その打ち合わせをしているときのことです。
「中学生には、生きる力を自分で獲得してほしいと思っています。自分の頭で考えて、自分の意見を自分の言葉で表明できるような大人になってほしい。今の日本全体を見ていると…」
中学生にこうなってほしいという“想い”は社内の人間の誰よりも強い印象でした。それ自体はとてもすばらしいことで、その想いをもとに教材作りに挑んでほしいと思いました。しかし、それをどう紙面に落とし込むのか具体的な構想がないようにも思えました。それから数日たって、サンプル紙面を作る気配がなかったため、様子をたずねてみると、「学習指導要領に記載されている内容がよくわからない。これでは、自分で考えることができなくなってしまう」などの話をしていました。
「私たちは、政治家でもなければ文部科学省の役人でもないんだよ。私たちは、教材を作る編集者。少しでも中学生が楽しく頭を使って思考する練習ができるように教材を作ることが仕事。そのためにまずは紙面上で何ができるかを考えて、サンプル紙面を作ろう。想いが強いだけでは形にできないよ。それじゃ,いつまでたっても本はできないでしょ」
このように話かけてはじめて、形にしようというモードになったようでした。
「売れなくてもいい」なんて言っちゃダメ
その後、上記の後輩がサンプルを作ったということで見てみることに。
しかし、出来上がったサンプルは、自分の気持ちや考えを表明してほしいという彼女の想いが強すぎて、記述の問題ばかりになってしまっており、これでは何も書けない子どもがいるんじゃないかと思いました。それでは売れないという話をし、売れるようにするための構成に関する細かい指摘をしていたとき、彼女がふいにある言葉を放ちました。
「売れなくてもいいです。世の中に出すことに意味があると思うんです」
私は、驚きのあまりに唖然としてしまいました。
彼女の場合、想いが強すぎて、“売る”ということがどこかへ行ってしまっているようでした。生きる力を子どもにつけてほしいという想いも、使ってもらわなければ子どもたちに届けることすらできないため、売らなければ意味がありません。また、「売れなくてもいい」と思った瞬間に売れる努力をしなくなり、つまりは使い手のことを考えなくなってしまいます。そのときばかりは、「売れなくてもいいなんて絶対言ってはいけない」と私も彼女に強く言い放ってしまいました。
そもそも、「売れなくてもいい」というのは、経営陣側の判断であり、社員が言う言葉ではありません。少なくとも、ビジネスをする上で「売れなくてもいい」という言葉は絶対に使ってはいけないと私は思っています。
「想い」と「売れる」を両立させる
人にこんなふうに感じてほしい。こんな思いをしてほしい。こんな力をつけてほしい。こんな体験をしてほしいという自分の想いと、人が本当にほしいと思ったり、好きと感じたりいるものはときにちがうことがあります。自分の「想い」だけでは形にできないときもあれば、形にできたとしても売れないことが多いと思います。だからこそ、その人のことをよく観察し、心からほしいと思うものを感じ取り、「売れる」ように形づくっていく必要があると思っています。
「想い」と「売れる」を両立させることの大切さや難しさを、ここ最近、多くの後輩から学んでいます。