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お正月の思い出を語りつつ、わけわからん着地点にだどりつくはなし

ー私の育った田舎での思い出をひとつ。

 お正月やお盆、葬式などは本家へ親戚一同が集まるのが恒例だった。田舎だからなのか、今もそうなのか知らないけど、集まらないという選択肢はなかったように思う。

 両親と妹と出かけていって(弟の記憶がない…)、1〜2時間滞在していた。おじさんたちがワイワイ話したり、酔っ払ったり、ヒソヒソ話したり、子供達にちょっかいを出したりそれはそれはうるさい集まりだった。
私はとてつもなく人見知りだったので、本当にほんっとうにこの集まりが嫌いだった。

 その中に一定数、大人の集まりにはあまり入らずに子供にちょっかいを出したり、からかったり、自分では楽しく過ごしているつもりのおじさんがいて、私のようなおとなしくて言い返せない子供はよく捕まってはめんどくさく絡まれていた…。こういうおじさんは「あるある」なんだろうか…、今もどこかでこういう種類のおじさんが生息しているのだろうか…迷惑だが今ならうまくあしらえるだけの社会性を身につけたと思うのでいつか対面したいところだ…話が逸れてしまった。おとなしくて、何か言われてもにこっと笑ってスルーしようとしたり、父親の影に隠れたり、そんな子供だったから結構しつこく追いかけ回されたし、絡まれてたな…

 ところで母親たちはどこにいたかっていうと、台所に集まって男性陣に出す料理やお酒の準備をしていた。わぁ典型的な男性社会、女性が男性を立てて当たり前、女性が家のことを切り盛りして当たり前みたいな、ひとことで言うと昭和の香りがするね。一応、平成の話だけどね。だから、母親に助けを求めることはできなかった。台所に行っても忙しそうだったから。それに台所はとても寒かった。今思えば、田舎ならではの車社会。あんなにベロンベロンに酔っ払って、運転して帰るのも奥さんたちの役目だったんだね。ほんっと大変…。

で、だんだん何が話したいのかわけわからない感じになってきたけど、今わが家は、the核家族!挨拶に行かないといけない親戚は近くに住んでいない!正月だろうが、我が家のスケジュールでタイミングで過ごせる幸せ!あの頃のお母さん大変だっただろうなぁ、私は大人になっても親になっても、地域の風習にもめんどくさい人間関係にも巻き込まれずに、自由に生きてしまっているなぁ、家のために生き、地域の中で生きていたかつての女性たちの生き方ってすごいなぁ、というぼんやりとした郷愁のような、哀愁のようなわけわからん心境に、この正月になりましたという報告です…笑

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