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『竜とそばかすの姫』 DV親父がすずから逃げ出した理由

出典:竜とそばかすの姫 公式サイト
https://ryu-to-sobakasu-no-hime.jp/


 9月23日、ついに細田守監督最新作「竜とそばかすの姫」が金曜ロードショーで放映された。大方の予想通り、映像や歌を評価する人たちがいる一方で、不可思議な内容への疑問の声が相次いでいる。その中でも最も謎の描写と思われているであろうクライマックスで「すずから逃げ出すDV親父」のシーンについて解説しようと思う。ちなみに私は公開時に劇場で見て、ディスク化のおりには一番高いスペシャル・エディションを購入して自宅でも見ているが、この映画は駄作だと思っている。
 ここからネタバレのオンパレードになるので、読みたくない人は注意してほしい。


女子高生に恐れをなして逃げる父親の謎



 竜とそばかすの姫は、幼いころに母親を失った高校生のすずが、仮想世界<U>での出会いや経験を通して喪失の痛みを乗り越える物語だ。そのきっかけとなるのが仮想世界で竜と呼ばれるアバターを操る少年、恵(けい)との出会い。恵と弟の知(とも)は、シングルファーザーの父親から暴力は振るわれていないものの、人格の否定や恫喝などの精神的虐待を受けており、周囲に助けを求めても解決しなかった経験から人を信じられなくなっている。すずの献身が恵の心を解かすが、虐待の事実が公になりかねない状況となったことで父親が激高し、2人の身を案じたすずが彼らの住む東京へ向かう、というのが大まかな経緯だ。

 ここまでにも数多の突っ込みどころはあるが、すでに多くの人がいろいろな視点で論じているので、今回はその後のシーンについて解説する。東京へとついたすずは2人が住んでいると推測した地域に向かい、ちょうど家の外に出てきた恵と知に出会う。なぜピンポイントのタイミングで外に出てきたのかという疑問はいったん忘れてほしい。おそらく考えても意味がない。
※追記
すずが来ると信じて何度も外に出て確認していたと考えることはできるが、若干苦しい。

 さて首尾よく出会えた3人だが、すぐに父親が出てきて「私たち家族を引き裂く気か!」と激高し、すずにつかみかかる。ほほを爪でえぐられてもひるまないすずを殴りつけようとする父親だが、殴ることができずにおびえたように逃げ去る。おそらく視聴した人の多くが、「なんだこれ?」と思っただろう。このシーンは一応、筋の通る理由付けができる。

すずから逃げ出す恵と知の父親
出典:映画「竜とそばかすの姫」


恵と知の母親はなぜいないのか



 このシーンを理解するには、恵と知の母親について考える必要がある。作中では母がいなくなった理由は明言されていない。細田監督がどこかのインタビュー等で答えていたら申し訳ないが、ここでは作中に描写されていないものはないものとして扱う。その上で、いくつかの描写から推測できることがある。
 一つ目はすずと恵が互いを強く意識しているが、それが恋愛感情ではないということ。一目ぼれではない理由で互いのことが気になるのは、作品のテーマから考えれば「同じ傷を抱えている」からだろう。つまり、恵もすず同様、母親に自分と生きることを選んでもらえなかった、端的に言えば捨てられたという思いを抱いている。仮想世界の竜の城で、母親と思われる女性の肖像画の顔の部分が割られていたことも、この推測を補強する要素となる。

 二つ目は父親の言動だ。子育て情報を発信する媒体のインタビューに「とても仲良しで、母親がいなくても元気いっぱい」と話している。そして、在宅で仕事をしており、子供たちが家の外にでることすら制限している。このことから母親は亡くなったのではなく、出て行った可能性の方が高いでのはないかと思う。3人家族の仲の良さを強調し、母親がいなくても問題がないという趣旨の言葉が、円満な家庭で突然妻を亡くした夫の口から出るだろうか。子供の無断外出を許さないこと、すずへ向けた「家族を引き裂く」という言葉も、死別ではない別れを感じさせる。また、割れた肖像画は恵の母への怒りだと考えると、この推測と符合する。

竜の城にあった顔の部分が割れた肖像画
出典:映画「竜とそばかすの姫」


虐待を正当化するロジック



 では、妻に出ていかれた夫が、暴言と威圧的態度で子供を支配しようとしている、という前提で考えてみよう。彼は子供に対し「お前たちのため」という趣旨の発言をしている。彼にとっての最悪は「家族が引き裂かれる」ことで、そんな事態にならないよう支配することで子供たちを守っているというロジックだ。子供たちを守るためという大義名分で、自分の言動は虐待ではないと自分自身に言い聞かせている状態といえる。もちろん、これは妻と死別であっても成り立たないわけではない。出て行った場合の方が自然というだけだ。

 このことを踏まえて、父親がすずから逃げ出したシーンを解釈するとどうなるか。彼のロジックでは、家族が引き裂かれないためなら、子供たちを罵倒して脅すことは「暴力」ではなく、家族を守るための正当な行為だった。父親はすずが虐待の事実をネット上に流布したと疑っており、ロジックに従うなら家族を引き裂こうとするすずに暴力を振るってでも子供たちを守らないといけなかった。しかし、10代の少女を殴りつけるという最後の一線を越えられるほど彼は狂ってはおらず、自分のしてきたことが虐待であるという事実を突きつけられる形となり、その場から逃げ出した。自分を正当化するロジックが崩れたことで、自分をだまし続けることができなくなったというわけだ。


理由付けできることと説得力は別



 かなり長い解説となったが、このように一見意味不明に思える描写でもなんとか筋の通る理由付けはできたりする。ただ、説得力があるかはまったくの別問題で、もちろん説得力はみじんも感じない。なんなら細田監督がここまで考えているかも怪しい。少し古いアニメでよく見た「女性の決意のまなざしに相手がひるむ」というテンプレ描写を持ってきただけかもしれない。作中の描写から逆算すると、このような解釈をすることもできるというだけだ。
 映画はいろいろな視点で描写を読解しようとすることで、楽しみの幅が広がると私は考えている。しかし、それは読解に耐える構成力説得力があってこそ。残念ながら竜とそばかすの姫には説得力が絶望的なまでに欠如しており、たとえ描写を読み解いて筋の通る答えを見つけたとしても、作品を見る楽しみが増えるとは思えない。この作品が好きな人には申し訳ないが、それが率直な感想だ。

 批判的な内容の記事が続いているので、肯定的なものも書こうと思う。しかし、近いうちに書いておきたい内容もお世辞にも肯定的とは言えない。どうしたものか。


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