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使命を生きる。

 最近『使命』というワードがよく目に止まるようになった。
 どうしてだろう。
 冥王星が水瓶座に入ったりしてるから、そんな記事が増えた?
 でもYouTubeでオラクルカードの番組を観ているときも、頻回で遭遇する。

 それなら、私が引き寄せてんのかな。

 旧TwitterやYouTubeをぼんやり眺めていると、みんなスピリチュアルに関しての、それぞれが感じたことを確信をもって発信されていて、それがとても眩しい。

 以前にここにも書いたのだけれど、私自身、奇妙な直感から始まった、時間差の不思議な縁に巻き込まれていて ── そこからずっと奇妙な日々が続いておりまして。

 あ、分かりにくいね。
 西洋占星術がわかる人でないと、ちょっと伝えにくいけど、六芒星ができた挙げ句、月が合の相手を見つけてしまった、といえば分かるかな。
 たまたま。
 この『たまたま』ってのがキモで、その方について何故か急に知ってみようと思い立ち、知ったら完全に心を奪われてしまって、何だこれはと思ってシナストリーチャートを作ってみたらこの有り様。
 ざっくり言えば究極の相性を持つひとを、たまたま見つけてしまったということ。

 時間差と書いたのは、その方はもう鬼籍に入られたひとなので、そういった意味で『時間差』としました。

 遥か子どもの頃から、何故か名前だけは知っているひとで(これが本当に何故、知っているのかさっぱり分からない)
 その方に縁のある場所に赴く、繋がることもとても多くて。

 だから、そのときから何か奇妙な縁があったのかな。
 だけどその縁を、未熟者だった私はずっとスルーし続けながら生きてきたのでした。

 思い込みと言われればそうなのかもしれない。
 けれど、一度気がついてしまうと、看過するのは難しい。
 時計をみるとゾロ目。555、2222(今、まさにそれだった)1111。
 最近は繰り返しの番号、ミラーナンバーもよく見てます。1414、1717、1515。1221。
 バッテリー残量が22%。回転寿司に行ったら卓番は55番。御神籤は11番。
 旧Twitterのポスト、表示回数は33回。222回のいいね。リポスト111回。
 一時はもっと不思議だった。
 何故か望めば望んだだけ、そのひとの情報に遭遇する。
 これも引き寄せてる?

 だから何?ってリアリストたちは言うだろう。
 私も元リアリストだ。
 時代と両親の両方から、がっつり唯物主義の洗礼を受けているの、こう見えてね。

 子どものころからいつの間にか星占いには親しんでいた。なんの縁が私を星占いに繋げたのか、それも分からない。
 夜空の向こうには見えない世界があって、木には何かが宿り、月は何かを語りかけていると信じていた。

 だけど時代がそれを否定して、私も洗礼が効いてきたのかな(笑)すっかりそんなものは手離してしまったんだ。

 でもね、ずっと呼ばれている気がするんだよ。
 子どもの頃に感じていた『夜空の向こう』の世界から、こっちに戻っておいでって。

 なにかの歌で『目にうつる全てのことはメッセージ』ってあったよね。
 ユーミンの『やさしさに包まれたなら』だっけ。
 いつか私は多分、メッセージを受け取るのを止めてしまっていたんだろうなぁ。

 これがなにかのメッセージなら、私はそのメッセージを届けようとした誰か(スピリチュアル的にいえば高次元のひととかそういう存在)に本当に申し訳ないことをしたなぁと思うんです。
 長くシカトしていてごめんなさい。
 
 
 前からこういう文章を書くことは趣味で(これも子どもの頃から続いてる)なんとなくやってはいたんだけど、どこにも発信することはなくて。
 誰かに見せる勇気がなかったからね。

 だけど、その『不思議な縁のひと』を知ってからは ── 心に住みついてしまったんだろうか?
 どうしてだろう。
 こうして発信する勇気がもてたんだよね。
 今はこんな不安定な世の中だし、私も今、これを読むあなたも不安だ。
 だけど、こうして何かの縁で繋がってくれたひとには少しでも前向きに、元気になってほしくて、こうして文章を書いている。

 西洋占星術もそうだ。
 今までは、自分のためだけのものだった。
 だけど、今はこれをツールとして使って、誰かの力になれないかなぁ、なんて考えてる。
 まだまだ勉強不足ではあるんだけど……なにせ、独学だからね。
 まだまだ先は長いんだけど……

 ん?
 使命って、これかい?
 なんか今、ピンときたけど……
 
 
          ❦❦❦
 
  
 今のところ、この(いわゆる高次元の)ひとたちが私に伝えたいことの全容は正直、よく分からない。
 自分自身が持てる何かをツールとして誰かのために役立てる。
 それは分かったけど、多分そんなもんはメッセージ全体の一部でしかないんだろう。

 スピリチュアルは好きだ。
 だけどそれを確信をもって受取り、発信できるだけのなにかが多分、私には足りなくて。

 だけどそこは、その『不思議な縁のひと』から学べということなんだろうな。
 それも含めて、きっとこのシナストリーは『作らされた』んだって思った。
 何故か、いま。
 それがきっと、正解なんだろう。
 

 
 残念だけど、私はこれまで目上の人物には恵まれてこなかった。

 正直言って、母は自分自身と自分自身によく似て生まれた私の弟君にしか興味のないひとだだったし、父に至ってはギャンブル依存症だ。
 同居の祖母も外孫にしか興味がないし、祖父は既に鬼籍に入っていたし。

 昭和の教師たちはみな乱暴で、依怙贔屓などは通常運転のうち。
 中学時代はあまりにも担任教師が無能すぎて完全に学級崩壊を起こしていたし、教科担任に至っては殴る、女子生徒の手を握るものまでいた。

 その流れのまま成長し、就職活動の時期になったら、今度は就職氷河期。

 そんなこんなで、とうとう尊敬できる目上の人物には誰ひとりとして巡り会うことはできなかったのだ。
 あ、でもちゃんと礼は尽くしてますよ。
 社会人だからね。
 仕事も教えてもらえば、ちゃんと感謝しますし、お礼も申し上げます。
 ただ、それとは別の『人間性として』って意味でね。
 こう書くと怒られるかもしれないけど……

 だから私は『反面教師』としての学びしかしてきていない。多分。

 こうしたくない。
 このやり方はだめだ。
 これは止めよう。
 こうするとうまくいかない。

 じゃあ一体、どう生きればいい?

 その解があるのが、もしかしたらそのひとなのかもしれんよね。
 
 
          ❦❦❦
 
 
 で、さっきの一連の『不思議な縁のひと』とのシナストリーと、それ以降の出来事の話に戻ってくるのだけど。
 そんな出来事といい、この私の行動といい。 
 スピリチュアル的な観点から調べていくと、必ず引っかかってくるのが『ツインレイ』

 うそーん。

 今のところ、それしか言えない。
 突飛すぎて……

 ただ、自分の内的世界に籠りがちだった私が、今まさにここでこうして発信しているように、外的世界に向かう勇気?をもらったのは確か。
 前の私なら逃げていたり、避けていたりするようなことでも、退かなくなった。
 うーん。
 人間の『心』を何か行動を起こすためのエンジンに例えるなら、もうひとつ、小さい補助エンジン?がついたような。
 そんな心境なんだよね。

 一般的に、そういう『ツインレイ』なる者と奇跡の再会を果たせたひとたちは、例外なくそういった自身の『使命』に目覚めて、迷わずに真っ直ぐに生きていくものらしい。

 私は、うーん。
 確信が持てないから、だから ──

 冒頭で書いたように、真っ直ぐに確信をもって発信していくひとたちが、羨ましくて眩しい。

 そもそもそんなもん、存在してんのか。
 
 だけど、結果的に迷いが消えたならば。
 何をするべきかが見えたならば。
 その関係性につけるラベルは何であれ、なにか大切なものなのは間違いなくて。
 だから大事に温めて生きていけたらいいよなって思う。
 月並みな表現だけど。

 そういう意味では『メンター』に近い位置づけなのかも、このひとは。私のなかで。
 だけど感情、星回り、ともに全てをこの『メンター』のラベルひとつで表せるわけもなく。
 かといって。

 いや、もういいんだよね。
 ラベルを無理に当て嵌めて貼り付けようとするから、おかしくなる。

 いいじゃない。
 待とうよ、何らかの確信がもてるまで。
 宙に浮いたままのひとつの存在。
 ひとりくらい、そんなのが心のなかにいたっていいだろう。

 ともに手をとって進んでみよう。
 それが使命なら。
 それが、私のこの人生の学びなんだというのなら。
 
 
 読んでいただきましてありがとうございます。
 どうぞ善き一日がありますように。

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