白頭狸

「成行庵日乗」「平成日本の幕末現象」「金融ワンワールド「落合莞爾洞察史学シリーズ」「落…

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〔220〕日本史の底流をなす二つの「皇統」ヤマトとモノノベ

〔220〕日本史の底流をなす二つの「皇統」ヤマトとモノノベ 目下、地球の各所で戦争、事変、および政治的事件が相次いで発生していますが、いずれもただの変事ではなく、人類の今後に関わる重要性を秘めることは諸兄姉がすでにお気づきの所と察します。  かかる焦眉の急に際して、落合が「大東亜戦争」の解明に拘る悠長を嗤う向きもあろうかと思いますが、「大東亜戦争」を総括しなければ、結局日本近代史の全容を解明できず、これを解明しないでは眼前に迫るWWⅢに備えることができないのです。  この考

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    • 〔219〕アマテラス史観とモノノベ史観の対発生 9/24に表現をかなり改善いたしましたので、三読をお願いします。

       〔219〕アマテラス史観とモノノベ史観の対発生  日本民族の成立を巡って「アマテラス史観」と対発生したのが「モノノベ史観」です。そのあらましを〔218〕で述べましたが、今朝読み返してみると、結構複雑ですから、諸兄姉の中にはピンとこずに当惑なさる向きもおられるかと思い、落合説を噛み砕いて述べた一文を以下に掲げます。    高天原から葦原中津国に降った「天孫降臨」に随従した神々が「天神」ですから、これに加わっていないニギハヤヒの末裔モノノベ氏は「天孫」ではなく「国津神」ですが、

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      • 〔218〕スサノヲ出雲族、ニギハヤヒ物部族、ホアカリ海部族とアヤタチの関係 【9/21朝に重複部分を削除して重要事項を加筆しましたのでお見逃しなく】

        〔218〕スサノヲ出雲族、ニギハヤヒ物部氏、ホアカリ海部氏とアヤタチの  の関係   政権与党の自由民主党は目下総裁選挙を前にして騒いでいますが、現在の政権は自民党の単独政権でなく、創価学会の実質下部機関たる公明党との連立政権が平成十一(1999)年以来続いています。 落合がこれを見て思うのは、神武天皇のヤマト政権が天孫族の単独政権でなく、「物部氏との連立政権」だったことです。  いわゆる「神武東遷」については、その存在の有無をも含めて様々な憶測が巷間に溢れていますが、

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        • 〔217〕皇道大本と道院紅卍字会の関係および創価教育学会の発祥 加筆訂正したので請再読

          〔217〕皇道大本と道院紅卍会の関係及び創価教育学会  〔216〕では、「道院紅卍字会」が関東大地震の見舞い品を届けるために日本に派遣した使節の一人が綾部の大本本部を訪れて王仁三郎と会見したところ意見が一致して意見が一致して、「両教提携の約」が即刻成ったことを述べました。  大正五、六年(1916~7)年ころに中華民国山東省濱県(現浜州市)で始まった宗教団体「道院」は、その付属施設の慈善団体「世界紅卍字会」が大正十(1921)年に民国政府の認可を受けて正式に発足します。  

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        〔220〕日本史の底流をなす二つの「皇統」ヤマトとモノノベ

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        • 〔218〕スサノヲ出雲族、ニギハヤヒ物部族、ホアカリ海部族とアヤタチの関係 【9/21朝に重複部分を削除して重要事項を加筆しましたのでお見逃しなく】

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          〔216〕皇道大本と道院紅卍字会の提携 9/15大幅に加筆しましたので是非ご再読ください。

          〔216〕皇道大本と道院紅卍字会の提携 〔215〕ではそれまで「大本教」を布教していた出口王仁三郎とナヲが、大正五(1916)年に「大本教」を改称して「皇道大本」とした所以を述べ、これが時を同じくして中華民国山東省に「道院紅卍会」が興ったことと密接に関係している、との落合の洞察について述べました。 因みに落合は「道院」にいささか関係があります。  最初は昭和五十二(1977)年のことで、当時野村證券事業法人部業務企画課長の落合が「赤井電機」創業者の女婿林溥氏の依頼を

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          〔216〕皇道大本と道院紅卍字会の提携 9/15大幅に加筆しましたので是非ご再読ください。

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          〔215〕王仁三郎の玉言に見えるその史観 9/8改定

          〔215〕王仁三郎の玉言に見えるその史観  国策研究同志会の背景と活動を調べるうちに、永田鉄山から「昭和神聖会」ときて出口王仁三郎にたどり着きました。  横道に踏み込んでしまいましたが、ここまで来たからには、王仁三郎が実質上建てた大本教(正式な教団名称は「皇道大本」から改称した「大本」ですが、一般名詞として誤解されやすいので、落合は敢えて俗称の「大本教」とします)を掘り下げて煮たいと思います。  昭和の終わり、馬野周二博士を通じて「八幡書店」の武田崇元氏と知り合った落合は、

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          〔215〕王仁三郎の玉言に見えるその史観 9/8改定

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          〔214〕大東亜戦争の総括(4)9/6加筆しましたので再読をお願いします

          〔214〕大東亜戦争の総括(4)  昭和九(1934)年に「昭和神聖会」を創った内田良平と王仁三郎は以前から親しい関係でした。  福岡藩士の子息に生まれた内田は、国事結社「玄洋社」の創立に関わった叔父の平岡浩太郎に倣い、国事を心がけますが、ロシアに注目して東京外語学校の露西亜語科に学んだ後、明治三十四(1901)年に「黒龍会」を創立します。  欧米植民地となったアジアの独立を念願とした内田は、同じ願いを持つ朝鮮の両班李容九とともに「日韓の対等合邦」を主張しますが、結局は「日

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          〔214〕大東亜戦争の総括(4)9/6加筆しましたので再読をお願いします

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          〔213〕大東亜戦争の総括(3)    9/2大幅に改定しましたので冒頭からの再読をお願いします。

          〔213〕大東亜戦争の総括(3)  〔211〕から書き始めた「大東亜戦争の総括」が予想より内容が膨らんできましたので、その(2)を書いて〔212〕としましたが、これも書ききれなくなったので、文中の「下記の一条」に関する解説を〔213〕に回し、その他と合わせて「大東亜戦争の総括」(3)といたしました。  折角ですから〔212」の「下記の条」を、『新月のかげ』292頁の原文に戻して再掲します。   外国と交際する間は金がいるから、大本検挙は〇〇〇〇の命令であって其事はシンガポー

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          〔213〕大東亜戦争の総括(3)    9/2大幅に改定しましたので冒頭からの再読をお願いします。

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          〔212〕大東亜戦争の総括(2)  8/21に無料領域を改変しましたので再読を願います。

          〔212〕大東亜戦争の総括(2)  〔211〕が紙数不足のため切り上げたので、その続きです。  昭和六(1931)年六月、予備役に編入した陸軍大将宇垣一成(1期)は朝鮮総督に就任しますが、同時に現役復帰したのは朝鮮総督の要件が現役の陸海軍大将とされていたからです。  昭和二年四月に政友会内閣を組織したかつての盟友田中義一から陸相を嘱望された宇垣は、これを辞退して朝鮮総督臨時代理に就き十二月まで勤めましたから実質的に再任ともいえます。  宮内省が定めた「宮中席次」によれば朝鮮総

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          〔212〕大東亜戦争の総括(2)  8/21に無料領域を改変しましたので再読を願います。

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          〔211〕大東亜戦争の総括

          〔211〕大東亜戦争の総括  八月十七日です。当家の盂蘭盆会の法要は菩提寺の日蓮宗法相山本光寺の野田住職を迎えて十三日に終えました。  このところ蝉時雨の下で老残の身を励ましてパソコンに向かう落合ですが、この暑さのために知らぬ間にうとうとしてしまう始末で、何事にも集中できません。一昨日は、角野政彦さんが「洞察帝王学講座」の録画撮影に来てくれました。この講座は定例として、落合が直近(同日の朝まで)の研究で得たものをとりあえず発表することにしていますが、立秋このかた数日間に渉り研

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          〔210〕第三次世界大戦の開幕に当たり現状を認識 8/11項名を改定し誤字を訂正したうえ数行追加

          〔210〕第三次世界大戦の開幕に当たり現状を認識  一昨日の八月七日の立秋を以て今年の「夏安居」が明けました。  この十八日間すなわち「夏の土用」を南光院の狸庵で(表向き)蟄居していた爾應法師は昨日、和歌山市内の某病院において検査を受けました。  ここは一月七日の夜に落合が救急車で担ぎ込まれた病院ですが、その時とは別の病気で七月初めに手術を受け一週間で退院しましたが、本日はその術後一か月の検査を受けたのです。  救急診療を機に断酒して七か月、その好影響を期待していましたが、検

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          〔209〕張作霖爆殺を要請した蒋介石と引き受けた田中義一

          〔209〕ウクライナ事変と満洲事変は逆転相似象  昭和三年六月四日の柳条湖における張作霖爆殺事件は、WWⅡが終わるまでは「満洲某重大事件」の名で真相はおろか事件の概要さえ秘密にされました。  理由は勿論、外国の有力政治家たる張作霖を帝国陸軍が殺害したことを、日本政府が認めたくないからです。戦争中とか国交断絶中ならばともかく、日本と特別な友好関係にある「奉天政権」のトップである張作霖を不法に殺害したとあらば犯罪以外になく、謀主の河本大作大佐と実行者の東宮鉄男が軍法会議に付される

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          〔208〕勧進および「落合流相似象観」について 9/2に白頭狸の用語取り違えによる誤りが見付かりましたので訂正しました。再読お願いします。

          〔208〕勧進および落合流相似象観について  七月も末日となりました。立秋を七日後に控え、鷹匠山南光院での夏安居も週日を残すばかりです。  入院中に二十年ぶりで「敗戦記」を紐解いた落合は、改めて光陰の経過と、その間における自分の見識の充実を実感いたしました。 当時、訳の分からぬままに読み流した「敗戦記」の意味が、今はほとんど一語一句にいたるまで、ハッキリと見えてきたからです。  夏安居を「敗戦記」の解読に終始した爾應法師は、その間托鉢に出ることもならず、鉄鉢が空になり

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          〔208〕勧進および「落合流相似象観」について 9/2に白頭狸の用語取り違えによる誤りが見付かりましたので訂正しました。再読お願いします。

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          〔207〕紀州徳川家の宝物をめぐる荒木/貞夫と貴志重光の動静 7/31判りやすくするために大幅に修文したので是非再読をお願いします

          〔207〕貴志彌次郎の養子重光と荒木貞夫の徳川家宝物を巡る関係 「敗戦記」の実質第一章は中途半端なまま〔206〕を以て終わり、〔207〕から実質第二章が始まりますが、このまま「敗戦記」を続けます。  「敗戦記」続き(承前) 直前文「荒木閣下はそのためにドイツからイギリス見学を申し出たらしい」。 明けて30年になった正月7日、珍しい人がこの侘び住まいまでわざわざ訪ねてきた。この人物とは二、三度顔を合わせたことがあるだけで、そう親しくもないのに、訪ねてくるとい

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          〔207〕紀州徳川家の宝物をめぐる荒木/貞夫と貴志重光の動静 7/31判りやすくするために大幅に修文したので是非再読をお願いします

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          〔206〕グローバリズムの淵源は「ユダヤ」思想  7/29に主旨を明確化し、修文しましたので必ず読み直してくださいますよう。

          〔206〕「ユダヤ」思想=グローバリズムとなる所以 〔205」は「敗戦記」の途中で終わりましたので、以下はその続きです。  「敗戦記」続き(承前)  直前文「つまり自分の手を汚さないということか、あるいはそこを目立たせない手法であろう。  △甘粕の動向を見定める限り、ユダヤの目的は日本も満洲も自滅させようとの算段なのであろう。そして甘粕は、抜かりなくそれをやっているのであろう。甘粕さんのやっている事は、何一つ満蒙のためにも、日本のためにもなっていない。人間の主軸を幾つかに切

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          〔206〕グローバリズムの淵源は「ユダヤ」思想  7/29に主旨を明確化し、修文しましたので必ず読み直してくださいますよう。

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          〔205〕中野正剛が抱いた甘粕疑惑 7/26 重要部分を大幅に加筆したので是非再読してください。

          〔205〕中野正剛が抱く甘粕疑惑  「敗戦記」もいよいよ面白くなってきましたので、引用を続けます。  「敗戦記」続き(承前)   直前文「思い立ったら待ちもせず、来たのであろう」  父は所番地とは違う、北沢五丁目の通りから一本狭い筋奥の目立たない所にいた。然し、中野は真っすぐにそこにきたのである。  また、父は中野に対しては、その愛人だった女を助け、然し利用し、その時点でもケシ作りを頼んだりしていたのである。  正直、父は女を信用していないから、中野はおそらく、その女の事

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          〔205〕中野正剛が抱いた甘粕疑惑 7/26 重要部分を大幅に加筆したので是非再読してください。

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