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「成行庵日乗」「平成日本の幕末現象」「金融ワンワールド「落合莞爾洞察史学シリーズ」「落…

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「成行庵日乗」「平成日本の幕末現象」「金融ワンワールド「落合莞爾洞察史学シリーズ」「落合吉薗秘史シリーズ」限定本の購入は 「桂輪文庫」で検索。https://e-wakayama.net/shop/products/list?category_id=1

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〔144〕満洲問題の本質は地政学

 二十世紀日本の命運を決定的に左右したのは「満洲問題」です。  日本・露西亜・支那三国の緩衝地帯として地政学的に絶対的な意味がある上に天然資源が豊富な満洲は、ここに発祥した満洲族がシナ本土(チャイナ・プロパー)に侵入し、後には逆に漢族がシナ本土から満洲に流入したことで「今日の満洲問題」の原因をなしました。  「今日の満洲問題」とは「次の二つの要因からなる「満洲族の溶解」です。要因の第一は、十七世紀に山海関を越えてシナ本土(チャイナプロパー)に侵入し住民の漢族を征服し満洲族が自

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    • 〔143〕ワンワールド國體の満洲経略の本質

      〔143〕ワンワールド國體の満洲経略の本質  辛亥革命を機に、醇親王が満洲族発祥の故地満洲(清国東三省)の暫定的統治を秘かに張作霖に託したのは、ワンワールド國體の総帥に就いた堀川辰吉郎と合意したものですが、粛親王・恭親王など愛新覚羅氏の中核をなす有力皇族と諮ったものではなかったようです。  孫文の秘書となって革命運動に顔を出していた堀川辰吉郎が中島比多吉の手引きで紫禁城に入ったのは、もとより孫文が計らったものです。  ワンワールド國體隷下のチャイニーズ・メイスン「洪幇」で元帥

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      • 〔142 〕清国は一国両制か同君連合か?

        〔142〕大清帝国は一国両制か同君連合か?  そもそも大清帝国は、満洲に起ったツングース系の女真族(満洲族)が支那本土(チャイナ・プロパー)を支配する漢族が建てていた大明帝国を合併した満・漢の連合王国です。  世界史では征服者(国)が被征服国(民)を隷属させて直接支配する「植民地」の形が普通ですが、被征服国(民)が征服国に比べて物理的・文化的に大き過ぎて、征服者の支配権が及ばない場合があり、この場合は有効な支配のために独得な工夫を凝らします。  その一つは、貿易独占のための勅

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        • 〔141〕郭松齢反乱後の満洲(2)

          〔141〕郭松齢反乱後の満洲(2)    関東軍の介入により動きを阻まれた郭松齢のクーデタが張作霖の部下によりアッサリと鎮定されたのは、大正十四(1925)年暮れのことです。このとき活躍したのが張作霖に護衛隊長として仕えていた伊達順之助です。  五年前の大正九(1920)年一月三十日、上原勇作元帥の大森邸に参上した吉園周蔵が応接室で満鉄奉天公所長蒲田彌助から憲兵司令部副官甘粕正彦中尉を紹介されます。  その甘粕中尉が三月二十九日に幡ケ谷の周蔵宅を訪ねて来、「伊達順之助なる人物

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        〔144〕満洲問題の本質は地政学

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        〔105〕華頂家伝と國體史観の照合(3)

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        〔103〕華頂情報と落合史観の照合(1)8/14 三度にわたり重要加筆

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          〔140〕郭松齢の乱に伴う余談 偽装死概論

           〔140〕郭松齢反乱に伴う余談 偽装死概論  國體舎人から「そもそも張作霖があの列車に乗っていたか?」から検討を始めねばならぬことを教わった落合は、「張悪霖爆殺事件」の俗称を「張作霖座乗列車爆破事件」と変更して洞察に掛かりましたが、結論として「張作霖はやはり死んだ」との見解に辿り着きました。  理由は、落合が〔140〕の末尾で述べる偽装死の要件に当らないと思うからです。  郭松齢のクーデタは、まるで明智光秀の「本能寺の変」のように失敗しましたが、「本能寺の変」の場合はウラが

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          〔139〕郭松齢のクーデタの後の満洲

           〔139〕郭松齢のクーデタの後の満洲  関東軍が奉天軍を支援したことで郭松齢のクーデタが失敗に終わると、奉天政権では楊宇霆と張学良の激しい対立が始まります。  従来の史家のほとんどはこれを権力闘争と見なしていますがが、表向きは権力闘争であったとしても、本質は「辛亥革命の理念」に対する奉天政権の 対応を巡る思想闘争であった、と落合は考えます。  問題は「孫文の革命理念」が、支那本土に流入してきた政治思想すなわち「国際共産主義」と絡んでしまったことです。  「孫文革命」の理念は

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          〔138〕作霖強制下野と学良易幟の真相その2 文章を再度修正したので必ず再読してください。11/4

          〔138〕張作霖強制下野と張学良易幟の真相2  〔137〕で張学良の出自の見当がおおよそ付いたと思います。ということは、張作霖の下野は、本人の望むところでなくとも必ず実行さるべき筋合のものであった、ということです。  本人が望むなら下野は穏便に行われますが、さもなくば強制的に断行さるべきこととなります。「穏便か断行か」は、表向き「父子」とされている作霖と学良の「真の関係」によって定まります。  学良を張作霖の籍に入れたワンワールド國體の意向では、いずれ下野すべき運命の張作霖で

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          〔137〕張作霖強制下野と張学良易幟の真相1

          〔137〕張作霖強制下野と張学良易幟の真相1  〔136〕では「ソ連諜報部が実行した張作霖列車爆破を、関東軍高級参謀の河本大作大佐(士候15期)がわざわざ被った(逆アリバイを作った)ことの意味に触れていません。よってここに、その背景に就き、落合の考えるところを簡単に述べます。   関東軍司令官村岡長太郎中将(士候3期)は〔136〕に述べた理由で張作霖支援路線を中断し、「新たに満洲国を立てて傀儡政権を置くことを決めた」と通説は云います。  落合がこれに違和感を有するのは「そもそ

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          〔136〕後藤新平のソ連入りとスターリン支援

          〔136〕後藤新平の「ソ連入り」とスターリン支援  (承前)いずれにせよ、昭和三年のソ連を再訪した後藤新平は、スターリンとの会談において「何事か」を決めてから帰朝しますが、昭和四年四月四日、岡山行の急行列車内で脳溢血を発病し、輸送された京都府立医大付属病院に入院したまま同月十三日に薨去しますが、むろん偽装死です。 「周蔵手記」の「別紙記載」昭和四年条に、王希天と吉薗周蔵が後藤新平の個人付「草」(諜報員)であった藤根大庭を交えて、後藤新平の死について語る場面があります。堀川御所

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          〔135〕張作霖列車爆破の真相

          〔135〕張作霖列車爆破の真相(続き)  張作霖列車爆破についてあらかた結論に達し、それを述べようとして前項〔134〕を書き始めた落合が、たまたま電話していた國體舎人に、ふとその事を告げた処、「そもそも張作霖があの列車に乗っていたかも含めて再検討しなければ」の一言が返ってきたのです。  その時は「張作霖列車爆破の謀主については諸説あるが、「作霖の死去に間違いはなし」との立場だった落合は、ともかく〔134〕を進めながら考え直すことにしました。  そこで初めて読んだ加藤康男氏の『

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          〔134〕張作霖列車爆破の真相が判った! かなり加筆したので再読必須

           かなり加筆しましたので必ず再読してください。南光院敬白 〔134〕張作霖列車爆破の真相がわかった 加藤康男に感謝!  昭和三年の張作霖列車爆破事件については、史家の大半は関東軍の犯行と断じており、これが今日でも史学界の通説です。  落合がこの通説を一般人よりも深く信じたのは、「河本ガヤル」との噂が前年からあったことを「周蔵手記」が記しているからです。  ところが、これを信じながらも落合の心中は微かな蟠りがありました。それは平成十三(2001)年頃から同十七年まで続く「麻布十

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          〔133〕張作霖列車爆破事件の真相はイソノカミ

          〔133〕張作霖座乗列車爆破事件の真相は「イソノカミ」  「張作霖座乗列車爆破事件」の真相に関して、従来の「河本大佐犯行説」に止まらず、「偽装死説」に焦点を当てたのが〔132〕です。  ほかにも「ソ連スパイの犯行説」を挙げましたが、この場合、わが関東軍の行動をどう見るか、ということになります。  ソ連側は「日本軍の犯行にみせかけた」などと云うておるようですが、その場合、関東軍内にソ連スパイが潜入していたことになります。端的に言えば、河本大佐や東宮大尉にスパイの可能性があるとい

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          〔132〕張作霖爆殺に関する中観流的考察  前稿〔131〕は、張作霖と張学良の出自と関係について語るつもりで始めた処、思いもかけず、「明殺と暗殺」および「本当の死と偽装死」に関する解説が肥大化してしまい、張学良に付いて述べる紙数がなくなりました。  原因は、張作霖爆殺犯について対立する「河本大作説」と「ソ連陰謀機関説」について中観流の観法を用いた落合が、前者を正解とする考えにつき、國體舎人の判定を求めた処、「そもそも張作霖があの列車に乗っていたかを含めて・・・」と思いもかけな

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          〔131〕張作霖・張学良とは何者か?

          〔131〕張作霖・張学良とは何者か?  張作霖の出自に就いて、通説は奉天府海城県(現在の遼寧省海城市)の農家に生まれた、とされています。  白雲荘主人『張作霖』は「貧に堪えかね、家族を率いて満洲へ向かった父が病死した後、母が再婚した馬医の義父と反りが合わなかった作霖は、少年時代に旅館の番頭となり、云々」と説いています。  今日の通説もほぼそんなところに固まっていますが、落合は数年前にネットで発見したある記事に頗る興味を持ちました。  内容はうろ覚えですが、何でも「奉天で清朝初

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          〔130〕辛亥革命は醇親王と堀川辰吉郎が計画し、ワンワールド國體が承認し、孫文が実行した

          〔130〕辛亥革命は醇親王と堀川辰一郎が計画し、ワンワールド國體が承認し孫文が実行した  満洲問題は日本にとって過去の問題ではありません。そんなに遠くない将来に必ず起こり、日本も逃れる事の出来ない問題なのです。つまり、来るべき満鮮問題の、日本は当事者なのです。  このことを諸兄姉にお知らせし、かつ考えて頂くために、落合はこのnote を書いているのです。日本はいかに対応すべきか腹案はありますが、まだ固まっていないので、考え巡らしながら進めています。  既に最終段階に入ったウ

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          〔129〕田中義一不自然死事件の考察

          〔129〕田中義一不自然死事件の考察  昭和二(1927)年四月二十日に内閣総理大臣に就いた田中義一予備役大将(旧制8期)は昭和四(1929)年七月二十四日に辞任し、二カ月後の九月二十九日に薨去します。  田中義一の閲歴については周知として割愛し、ここでは田中の急死と上原勇作との関りなどを述べます。    大正四(1915)年に参謀総長が長谷川好道元帥(草創期)から上原勇作大将(旧3期)に交替すると、参謀総長もこれに合わせて明石元二郎(旧6期)から田中義一(士候8期)に交替し

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