〔136〕後藤新平のソ連入りとスターリン支援
〔136〕後藤新平の「ソ連入り」とスターリン支援
(承前)いずれにせよ、昭和三年のソ連を再訪した後藤新平は、スターリンとの会談において「何事か」を決めてから帰朝しますが、昭和四年四月四日、岡山行の急行列車内で脳溢血を発病し、輸送された京都府立医大付属病院に入院したまま同月十三日に薨去しますが、むろん偽装死です。
「周蔵手記」の「別紙記載」昭和四年条に、王希天と吉薗周蔵が後藤新平の個人付「草」(諜報員)であった藤根大庭を交えて、後藤新平の死について語る場面があります。堀川御所