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〔209〕張作霖爆殺を要請した蒋介石と引き受けた田中義一

〔209〕ウクライナ事変と満洲事変は逆転相似象
 昭和三年六月四日の柳条湖における張作霖爆殺事件は、WWⅡが終わるまでは「満洲某重大事件」の名で真相はおろか事件の概要さえ秘密にされました。
 理由は勿論、外国の有力政治家たる張作霖を帝国陸軍が殺害したことを、日本政府が認めたくないからです。戦争中とか国交断絶中ならばともかく、日本と特別な友好関係にある「奉天政権」のトップである張作霖を不法に殺害したとあらば犯罪以外になく、謀主の河本大作大佐と実行者の東宮鉄男が軍法会議に付されるのが筋合ですが、帝国陸軍の特務機関は犯人を革命党員と偽り、買収した阿片患者を殺害して犯人に仕上げたのです。
 これがWWⅡ終焉までの「柳条湖事件」に関する日本政府の公式見解で、、真相が明らかになるのは、WWⅡの終焉後、東京国際裁判の中で田中隆吉少将(6期)が暴露したからです。
 河本大佐は、事件後の昭和四年に第九師団付に転じたもののすぐに停職となり、待命を経て予備役編入となりますが、昭和七年に満鉄理事に迎えられたのは相当の優遇とみて差し支えないのです。
 昭和十一(1936)年に山西軍閥の総帥閻錫山の顧問となり、日支提携企業の「山西産業」の社長として重きなした河本は、戦後は国民党軍に参加して共産軍と戦いますが、国共内戦で国民党軍が敗れると共産軍の捕虜になり戦犯として抑留され、昭和三十年に獄死したことで終にの詳細を語る事がなかったのです。
 最近になり、ロシアの歴史作家ドミトリー・プロホロフが、張作霖爆殺事件は河本でなく、「ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)が首謀した」と主張しています。有力ではありませんが傾聴すべき点を感じる落合は、この項〔209〕に紙数があれば、末尾に自分の考えを述べることにします。
 以上が「柳条湖事変」について目下公開されている史実と情報ですが、落合の主張が抜けているのが遺憾です。落合の主張とは、〔208〕で述べたように、そもそも「柳条湖事変」の淵源が「青山会談」にある事です。
 孫文の反清独立革命を継承した蒋介石は、革命後支那世界の各地に盤踞する軍閥を討伐して支那世界の統一を目指しますが、張作霖が事実上の独立政権を立てた満洲(東三省)との間には、満鉄付属地を守備するための帝国陸軍独立守備隊が駐在していて、蒋介石の率いる中国国民党の越境を許しません。
 帝国陸軍が満洲に駐在していたのは、戦後の史学者やメデイアがいうような帝国主義的野心に駆られたものではなく、愛新覚羅家の首長醇親王と京都皇統の当主堀川辰吉郎が建てた秘密計画に基づくものですが、これを十分承知している蒋介石が「形だけで良いから北伐の完成に協力して貰いたい」つまり、「満洲に独立政権を立てている張作霖を抹殺して欲しい」と懇請してきたのです。
 張作霖が奉天に居座っていては、形式的にも東三省の中華民国への統合ができないので、支那世界の統一を図る蒋介石は「張作霖を日本軍が始末してくれる」ことを交換条件に「当分の間、満洲の日本統治を黙認する」と首相田中義一に持ち掛けたのです。
 これを実行してくれたら、当分の間(支那流で期限は明定せず、半永久的にと解釈できます)は「満洲をそちらで御統治なすってください」という事なので、満洲問題の具体的重要性を重んじる田中義一は、{満洲は本来、愛新覚羅氏の宗主権のもとにある」という名分よりも、「形式的には満洲が中華民国領内でも、実質的に日本が統治できればよい」との実質主義を採ったのです。
 この浅墓さは日本人のうち、とくに弥生文化系倭人が備える気質ですから、如何ともしがたく、田中義一の突然死の原因にも繋がるものと落合は感じております。 

 戦後になって柳条湖事変の犯人が河本・東宮ら帝国軍人であったことが東京国際裁判で暴露されましたが、この計画の淵源が「青山会談」における田中=蒋の秘密合意にあることは、取り上げられないままでした。
 平成十九(2007)年に落合が『新潮45』で論拠を挙げて、この事を発表したにも関わらず、十七年経った今日まで、賛否いずれにせよ、誰一人論じた人はいません。(この論文はCini iとされ、国立情報学研究所のデータ・ベースに保存されています)。
 というわけで目下のところ、柳条湖事件は「日本(の軍部)が独自の利益を求めて他国の有力政治家を殺害した事件」と認定されていて、これに異議を唱える歴史学者も評論家は一人もいません。
 蒋介石との取引で田中義一が実行したとして「柳条湖事件」が殺人事件であることに変わりはありませんが、問題は「張作霖殺害に到る帝国陸軍の動機」です。帝国陸軍の軍人が「欲得」にかられて行ったのと、「一国の代表者同士の密約」で行ったのでは国際政治上の意味が全く異なります。

 殺害行為そのものは関係者が刑法で裁かれなければなりませんが、「柳条湖事件」は単なる殺人ではない所から、その責任は帝国陸軍を通じて日本国にも及びます。同じように、殺害を田中義一に要請した中国国民党を通じて中華民国にも及ぶのです。そのことに言及した人は落合の見聞した限り、支那人は云うまでもなく、日本人の中にもいません。
 ことの真相を「青山会談」の記録から洞察するのは、そんなに難しいことではないのに、日教組や大学教授をはじめ日本の史学界はこれを怠り、あまつさえ、あらゆる論者が口を揃えて「日本帝国主義の野望による蛮行」などと囀っているのです。
 一般国民は戦後に発表された「柳条湖事件の真相」なるものを信じる以外にないところから、よほど洞察力を備えた人を除き、99%以上の日本人が、「日本帝国主義の野望による蛮行」と信じ込んでいます。
 落合が最も憂うるのは、この浅墓な思考が、石原莞爾など先覚が主唱した「大東亜共栄圏」の理念を大きく汚し、光芒を失わしむる事であります。
 この後は有料領域ですが、ウクライナ事変と満州事変(北大営事件)が逆転相似象である所以を解説したいと存じます。
 

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