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〔211〕大東亜戦争の総括

〔211〕大東亜戦争の総括
 八月十七日です。当家の盂蘭盆会の法要は菩提寺の日蓮宗法相山本光寺の野田住職を迎えて十三日に終えました。
 このところ蝉時雨の下で老残の身を励ましてパソコンに向かう落合ですが、この暑さのために知らぬ間にうとうとしてしまう始末で、何事にも集中できません。一昨日は、角野政彦さんが「洞察帝王学講座」の録画撮影に来てくれました。この講座は定例として、落合が直近(同日の朝まで)の研究で得たものをとりあえず発表することにしていますが、立秋このかた数日間に渉り研究を怠っていたために直近の研究成果がなく、今回の講座(九月一日発表)の内容は、夏安居を機に仕上げた(つもりの)「大東亜戦争の総括」すなわち「真相の解明」といたしました。
 その内容は〔210〕で述べたものですが、頭のどこかが鈍っていたのか論述がスラスラと進まず、言いたいことの半分で所定の時間が来てしまい、「後半部は次回に」という次第になりました。
 というわけで鈍っていた落合の頭脳も、鷹匠山に吹き始めた秋風とともにややマシになりましたので、〔211〕では、〔210〕を再検討しながら、謂い忘れた所を補い「総括」することとします。
 まず「大東亜戦争」を総括すれば、「大日本帝国の臣民が大航海時代以来西欧人の植民地奴隷とされてきたアジアの有色民族を解放する目的を掲げて欧米植民地勢力と戦った戦争」であります。
 つまり「大東亜戦争」の根本目的は一にかかって「東南アジア諸国の欧米植民地からの解放」にあり、次いで「共産主義ソ連の南下防止のための緩衝国家の樹立」でありますから、この二つを達成するために、帝国陸軍と帝国海軍は、植民地主義勢力を相手とする軍事行動を起こしたのであります。
 昭和十六年にハワイとマレー半島で英米軍と戦端を開いてより三年有余、日本の主敵たるアメリカ軍は、東京大空襲と広島長崎に対する原爆投下により、国際法に真正面から違反する非戦闘員の大量虐殺を実行したうえで、ポツダム宣言に従うよう日本に要求してきました。
 本土決戦を叫ぶ軍人が多数を占める中で、ポツダム宣言の受諾か否かを決断できない老臣らから聖断を求められた昭和天皇は熟慮の上で受諾を決断され、ここに日本の無条件降伏により大東亜戦争は終わったのであります。
 この時の「無条件降伏」に関しては『田中清玄自伝』に、元日本共産党中央委員長で、テロ事件で無期懲役に服しながら獄中転向して釈放された後、山本玄峰和尚の住する三島市の龍澤寺に寄食していた田中清玄が、玄峰和尚から「無条件降伏じゃ。今すぐ参内してこれを伝えてこい」との命を受けて急遽参内したところ、直々に引見された昭和天皇にその趣旨をお伝えすることが出来たとありますが、これはさすがに事実でしょう。
 この「無条件降伏の示唆」は玄峰老師が堀川辰吉郎から告げられたもの、と落合は聞き及びますから、「國體天皇府」から昭和天皇への通知であるとみて間違いはありません。
 終戦に際して生じた幾つかの謎が未だに解明されないのは周知ですが、「無条件降伏」の過程が解明されないのは、取りも直さず「大東亜戦争の総括」が全くできていないからであります。
 これを解明するのは「國體天皇府」の存在を正しく認識し、國體天皇堀川辰吉郎の役割を理解する以外にありません。
 今時そのことを知るものはごく少数で、不肖落合はその一人ですから、口幅ったいとは思いますが、諸兄姉には落合史観を通じて、國體天皇府の事を学んで頂くべき筋合いであります。

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