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〔220〕日本史の底流をなす二つの「皇統」正統ヤマトと亜流モノノベ          9/28岡田啓介の情報を微修正

〔220〕日本史の底流をなす二つの「皇統」ヤマトとモノノベ
 目下、地球の各所で戦争、事変、および政治的事件が相次いで発生していますが、いずれもただの変事ではなく、人類の今後に関わる重要性を秘めることは諸兄姉がすでにお気づきの所と察します。
 かかる焦眉の急に際して、落合が「大東亜戦争」の解明に拘る悠長を嗤う向きもあろうかと思いますが、「大東亜戦争」を総括しなければ、結局日本近代史の全容を解明できず、これを解明しないでは眼前に迫るWWⅢに備えることができないのです。
 この考えのもとに「大東亜戦争」の総括に取り組んできた落合は、WWⅠの後、日本国家の指導層が一致して総力戦体制に向かう中で、蒋介石が極秘裏に要請してきた張作霖殺害を然諾した田中義一首相、帝国陸軍内で発生した陸軍統制派と皇道派の対立の真相、満蒙工作をめぐる石原莞爾と永田鉄山に生じた齟齬、労使協議体制の進展を図る「国策研究会」を宇垣一成が裏から操縦していた事実、などを発見してきた中で、予想もしていなかった歴史事象にぶつかりました。すなわち「昭和神聖会事件」ですが、その概要についてはすでにこのnote で述べたので、ここは省略します。
 「昭和神聖会」の目的は、大本教信者を大量動員する政治デモの実行で、これを端緒とするテロリズムにより政体を崩壊に導き、天皇親政・祭政一致の新政体を樹立することにあったのです。
 当時の首相は昭和五(1930)年のロンドン軍縮会議に際して帝国海軍内に生じた「条約派」と「艦隊派」の対立を調停したことで知られる岡田啓介大将でした。因みに岡田啓介の義弟の松尾伝蔵陸軍大佐の女婿が瀬島龍三です。因みに岡田啓介の義弟の松尾伝蔵陸軍大佐の女婿が瀬島龍三です。

 折から日本社会に改革の機運が漲り、また大本教がいかに強勢とはいえ、一介の宗教家出口王仁三郎が政体転覆の政治運動を主導するとは前代未聞のことです。おまけに「祭政一致」のごとき時代錯誤の政治目標を公言した「昭和神聖会」と国策研究会が結託したのは大きな謎ですが、この謎を日本近代史に位置付けて解明した史論を、落合はこれまで聞いたことがありません。


 予てからニギハヤヒと物部氏を研究していた落合は、アヤタチ上田吉松とその子槙玄範・上田鬼三郎の異母兄弟が、出口ナヲの「艮の金神」に加わって明治二十五年に起した大本教についてやや知るところもあり、これまでの知見を基に、考察した結果をこのnote で述べてまいりました。
 読者の諸兄姉には御高承のごとく、ニギハヤヒ族(物部氏)およびホアカリ族(丹後アマベ氏、尾張氏)が本邦に渡来したユダヤであることは、もはや疑うべくもありません。
 証拠は、丹後アマベ氏の子孫の外科医渡辺政雄が大正十(1921)年に上田家の伝承に基づいて語り、これを聴取した吉薗周蔵が記録した「周蔵手記」です。他にも上田家に古くから伝来する古文書があったそうですが、近頃巷間に喧しい「ユダヤ渡来説」や「日猶同祖諭」はては「ユダヤ人秦氏説」などと比べて、その信憑性は比較にもなりません。
 この続きは、「二つの皇統」について落合の見解を述べますが、例によって有料領域とします。

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