見出し画像

そのプライドは、アカン

 アカンに愛を込めて5回目です。こんなアカンを読んでいただきありがとうございます。

  私は小説投稿サイトで小説を書いているのですが、サイト内のコンテストに参加した事はありませんでした。
 連載させるのに情熱を注いで満足していたのです。
 それはそれで楽しいのですが、自分の書いた小説ってどうなんだろ?って、知りたい好奇心もあります。

 自分は全く判断できません。書いた作品は我が子のようで、親心フィルターがかかっていますから正常な判断は難しいです。

 昔はガチ公募に未熟な作品を出しまくりました。「若さ」と「情熱」だけが武器で、助っ人は「身の程知らず」でした。
 
 通信教育で児童文学小説の勉強をしたり、読書数ヤバイみたいな熱量でした。
 通信教育の先生、これでもかと赤ペンで注意をしてきます。覚えているのは……。

  • 物語の設定が個性的過ぎる

  • 世界観がわかりにくい

  • 主人公が現実離れし過ぎ

  • 落ち着こう

 文法とか児童文学とは、って部分よりも、物語の奇抜さにダメ出しされたアカン私。
 その当時の美しくもあたたかい物語、仲間と助け合い苦難を乗り越える少年少女観から遥か遠く離れた変なおもろい物語。

 今なら言える「先生、ごめんなさい」私はとんがり過ぎていたアカン生徒でした。

 あの時以来のコンテストチャレンジです。もう昔とは違う。私だって少しは成長したと思うってまたまた勘違いしているアカン私。

 昨年の春以降から、サイト内コンテストにチャレンジ開始しました。
 毎回お題がありまして、8000文字の新作短編小説を創ります。
 初めてのチャレンジは、箸棒(箸にも棒にもの意味で、クリエイターさん悲しみの隠語)でした。

 結果発表される日って、吐きそうなほどソワソワドキドキです。
 で、ない……名前ない。
 小説書きは、完結させた時点でその作品は自分史上最高傑作なのです(笑)
 ほとんどの小説書きは、落選したら毒づきます。プライドって怖いしアカン

 でも、時間が経つと冷静になり、血反吐の反省会へと突入するのです。
 大賞や入賞した作品を読んで、色々と知るのです。傷口抉られますが、コレをするとしないとでは大違いなのです。お勉強大事。

 夏の公募に落選した時、大賞を受賞した作品について考えました。
 私が経験できない特別感がありました。
 いつもならば「特別な経験ってやっぱり強みだなぁ」って捻くれるのが精々ですが、この方にとっては特別ではなく、日常の1ページなんだと思えました。
 ずっと背負ってきた日々の中の1ページ。
 心から素晴らしいなって思いました。未熟な私が少し成長できた落選でした。

 チャレンジは、自分の中に新風を吹き込んでくれます。新しい勉強が追加されたり、新しい出会いがあったり。たとえなかなか入賞できなくても、前には進んでいると思うから。
 自尊心はいいけど、他者と比較して上やら下のちっぽけなプライドは、ほんまにアカンかもしれません。
 それをしてしまうと結局自信をなくしたり、意欲が削がれたりして自分に悪いように返ってくるから。
 今はコツコツと続けていくプライドを楽しんでいます。悔しい気持ちから生まれるものもたくさんあるから、ガス抜きも忘れずに。

 今日はいくつかな?10アカン達成でしたね。
 

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?