見出し画像

泳ぐ

実家では臆面もなく放屁できて、それでひと笑い起こせたり、近所の田んぼの中にある墓石がぽつんと建っている景色とか、その周辺の田んぼに波打つ泥の轍とか、雨風に晒されたせいで褪せた〈川で遊ぶと危ないよ〉の看板とか、七年前から変わらない風情に現在の自分の抱えたしがらみや鬱屈を二重写しにして眺めてみた。その映像は今でも変わらない風景の中に溶け込めず、圧迫するような形のない焦りがちくちくと内臓をつつき回す。
「老けたな」父が云った。テレビ画面を見ていた。昔、アイドルとして活躍していた女性タレントが通販番組で包丁を紹介していたのだった。
『すっごい切れ味です! 信じられない!』大袈裟な声を出す彼女の見開かれた目を見ていると、咎められているような、責め立てられている様な気分になる。
「ポンは、いつまでいんの」どうでもいいみたいな口調で父が云う。父は昔から僕を名前ではなくポンと呼んだ。
「九日の昼までいるよ」と僕は返した。
父はそうか、とつぶやくようにいい、そのまま会話は途切れた。父はくしゃみを二回して、車出してくるわ、と云って部屋を出た。庭に続く引き戸の向こうで、母の干した洗濯物が風に揺れていた。シーツやワイシャツの白さが晴れた陽の熱を燦々に反射して、見つめていた眼に白が灼きつく。
 大型商業施設に敷かれた駐車場には車の群れがひしめいて、その景色を車窓越しに眺めていた。隣町の中華料理店で昼食を摂った帰りだった。注文したチャーハンセットの重たさを腹に抱えながら、バックミラーにぶら下がった小ぶりなお守りが揺れるのを後部座席から眺めていて、父がハンドルを切るたび、それが右に、左に、揺れる。車がガソリンスタンドを過ぎ、立ち並ぶ民家の脇を通り、橋を越え、夏の暑さに赤茶けた道路の色を目の端にして、いつか、週末を迎えるたびに目にしていた景色が記憶の底から立ち昇る。車の後部座席に座る僕の隣で、小学生の姿のままのサクが鼻くそをほじっていた。
 僕とサクはしょっちゅう遊んだ。お互いの家に遊びに行っては、ゲームしたり、田んぼの脇の水路でタニシやザリガニを捕ったりした。サクは僕の一個下でつむじが二つある子で、彼とは親に半強制的に連れて行かれたプールで知り合った。学校も住んでいる地区も違ったけれど、背泳ぎが苦手な二人とコーチに云われたことがきっかけで仲良くなった。毎週末僕らは父の運転するステップワゴンの後部座席に腰掛けて、持ち寄ったお菓子食べたり、寝たりした。あの頃のサクが変わらず横にいる。目が合い、猫のように丸いサクの目を見つめ返した。幼い、けれども長い睫毛がまぶたの際までびっしりと生え揃っている。石のように何も云わないサクの瞳に吸われるままに、当時の白い記憶が熱を帯びる。

 練習コースには僕とサクと女子が数人いて、コーチの指導のもとで四種目泳いだり、ゲームしたりとそれなりに楽しかった。自由時間に二人でゴーグルをつけたまま変顔したり、女子にちょっかいかけたり、クロールの速さを競ったりした。あの頃、プールに行くのがほんとうに楽しかった。
 僕らの間に亀裂が入ったのはサクの背泳ぎが上達し始めた頃だった。いくら教わっても一向に上手くならない僕の背泳ぎに対して、サクはまるでコツを掴んだようにすいすいと泳いだ。サクの上達ぶりにコーチも声を上げて喜んだし、僕により熱心に背泳ぎを教えるようになった。身体の力は抜いて、手は交互に、足が沈みがちなのは力が入りすぎているから、コーチは根気強く教えてくれたけど、そんなことは僕にも分かっていたし、分かっているのに一人だけできないのが悔しかった、恥ずかしかった、惨めだった。
 二人で〈背泳ぎできない組〉だったはずのサクはもうひとりで背泳ぎをマスターしかけていた。憎らしかった、抜け駆けされたようで腹が立った。僕より鈍臭いくせに、頭の悪いくせに、鼻くそ食べてるくせに、一個下のくせにもうチン毛生えてるくせに。苛立ちは渦を巻いて、サクに向ける態度に形を変えていった。
「オレ、上級クラスに行くかもしれない」ある日、ロッカーで水着に履き替えていたサクからその言葉を聞いた時、胸の内に篭っていた熱が火を吹いて頭が煮えそうになった。顔中に熱が集まり、焦りやら怒りやらが一斉に身体の中を駆け巡った。どこか勝ち誇ったようなサクの表情も鼻につき、僕はその日からサクをいじめるようになった。
 プールに通う他の子達はみんなバス通学で、僕とサクは父の車でその子たちより早くプールに着いた。プールの更衣室には少しの時間、僕とサクの二人しかいなかった。
 僕はサクの水着を女子更衣室に投げた。水筒をゴミ箱に捨てた。サクより一回り体が大きかった僕は彼を殴ったりもした。あざはできないまでも、サクは痛がった。痛い、やめて、と云う彼の声を無視して殴った。サクと仲のいい子はプールに僕しかいなかったから、それをいいことに殴った。プロレス技もかけた。背後を取って首を絞めると、苦しい、苦しい、とサクは声を絞った。
 サクはプールに来なくなった。毎週車にサクを乗せていた父は僕とサクのことをどこまで知っていたのか分からないけれど、僕も父も黙ったままだった。

 最後にサクと何を話したのだったか。どこにいたのだったか。何をしていたのか。今となっては思い出せない。けれども拭いきれない曇りが胸の底にこびりついていつまでも取れない。
 実家に着いて自室として使っていた部屋に戻った。六畳の、土壁に四方を仕切られた狭い部屋には物が境なく積み重なって壁に寄せられていた。亡くなった祖父が大事にしていたブルーのキャップだとか、母が銭湯で買ってきた健康器具とか、自室として機能していた頃からは想像もつかないほど物が堆積し、折り重なり、埋没し、それらは記憶の層になって、狭い物置の端に寄せられて埃をかぶっている。古い物置特有の、湿って、乾いてをくりかえした生活の匂いが鼻を抜けた。サクは今、どこで何をしているだろう。窓から差し込む光に当てられて、畳の上を塵が漂っていた。日光は窓の枠を、そして僕の形を真っ黒に切り取る。陽の高さを受けた背に熱がたまる。後悔は影のように足許から離れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?