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【書評】死の枝

 久しぶりに松本清張の短篇集を読んでなかなか面白かったので、感想を書き残しておきたい。

 本書には11篇入っていて、そのほとんどがいわゆる倒叙推理である。違うのは冒頭の「交通事故一名」、それから「家紋」「不法建築」ぐらいだ。「不在宴会」は犯人視点ではないので厳密には倒叙ミステリとはいわないだろうが、ある関係者が警察に隠している秘密を暴かれないかとヒヤヒヤする展開はまるっきり倒叙ミステリそのもの。しかも事件の犯人は結局最後まで分からないという、珍しいパターンだ。

 そして他の短篇はすべて、偶然思わぬところから犯罪が露見するスタイルの倒叙ミステリである。しかも非常に特徴的で、これはミステリ・ファンなら間違いなくロイ・ヴィカーズの迷宮課シリーズを連想するに違いない。感触がそっくりなのだ。

 倒叙ミステリというと、刑事コロンボや古畑任三郎みたいに慧眼な刑事が登場して鋭い推理で犯人を追い詰めていくスタイルを思い浮かべる人が多いかも知れないが、迷宮課シリーズにはそんな名探偵など出てこない。犯人自身がついやらなくてもいい余計な行動を取ってボロを出してしまうのが特徴で、そのアイロニーが結末で強烈な余韻を残す。代表作「ゴムのラッパ」では犯人逮捕のシーンすら出て来ず、ただ警察が偶然手がかりを掴むところで突き放されたように終わる。本書の収録作も、そのアイロニーと結末の突き放し方がそっくりだ。松本清張はヴィカーズのファンだったという噂もあり、もしかしたら意識したのかも知れない。

 したがってヴィカーズの倒叙ミステリが好きな私にとっては愉しめる短篇が多かった。たとえば「古本」。ある老作家が埋もれていた文献を見つけ、誰も知らないのをいいことにそこに書かれているエピソードをそのまま時代小説として書くと、それが評判になる。「過去の人」扱いされていたのに、一躍現役の一流作家として注目を浴びることになる。ところがその秘密を知っている人間が現れ、ゆすってくる。で、やむなく殺人をもくろむ。

 ありがちなパターンだが、しかしこの老作家の行為が果たして殺人と言えるかどうかは微妙だ。というのも彼のもくろみは必ずしも殺人に直結しない、いわゆる蓋然性の殺人なのである。という点もユニークで面白いが、この短篇の最大の面白さは殺人の露見よりも、作家としてパクリがバレる方がはるかに恐いという点にある。そしてこの点の捻り方がなんとも見事なのだ。せっかく脅迫者が死んでホッとしたというのに、その後唖然とする皮肉な展開になる。老作家に感情移入して読んでいると、かなりしびれる結末だ。

「ペルシャの測天儀」も強烈にアイロニカル。犯人はきちんと自分に結びつく証拠を隠滅しているのである。どこにも手抜かりはなく、警察は何の手がかりも握っていない。本来ならこのまま完全犯罪だろう。ところがあちこちに出入りしている間抜けな泥棒がいたという、ただそれだけのためにバレてしまう。読み終えてから黒い哄笑がこみあげてくる。身から出たさびとはいえ、これじゃ犯人にとってあまりに不条理だとすら思える。

 前述した「不在宴会」もよくできた一篇で、会社の接待といういかにも身近な題材がどんどんおかしな方向に転がっていく。そしてついに警察がやってくるが、何の証拠もなく、警察に疑われているわけですらないのに、やましさのあまりつい余計なことを口走ってしまう。おまけにそれが、相手に先回りしてものを言ってしまう役人としての癖だというのだからたまらない。ラスト、余計なことを口走ってしまったあとのこの男の心境は想像にあまりある。

「土偶」も同じパターンで、まあお分かりかと思いますが、ここまでくると作者のこの意地悪っぷりが読んでいて快感になってくる。何の証拠もない犯罪で、何年間もバレず、疑われることもなく、完全犯罪としてすっかり終わっていたのに、しなくてもいい妙な行動を取ることにより自分で墓穴を掘ってしまう。これなど迷宮課シリーズのテイストそのもので、犯人が取った余計な行動は犯罪そのものとは何の関係もないのである。ただそれが奇妙な行動なので、たまたまそれを聞いた刑事の印象に残ってしまう。そしてこの刑事がたまたま並外れた記憶力の持ち主で、昔迷宮入りした犯罪のディテールとこの行動を何の根拠もなく、ふと結びつけてしまう。それでバレる。

 どれもこれも犯人たちの天を呪う声が聞こえてきそうだが、こういう意地悪な倒叙ミステリの愛好家は多いんじゃないだろうか。私も大好物だ。これらを読むと、犯罪というものはどれほど時間がたって風化したように見えても、ふとしたきっかけでまた自分のところへ舞い戻って来るものなのだ、と作者が言っているように思える。因果応報というか、人間の宿命みたいなものを感じる。

 そういう意味でも、非常に感慨深く読み終えることができた短篇集だった。松本清張が書いたヴィカーズ風の倒叙ミステリ、他にもあるならぜひ読んでみたい。

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