母親(毒親)との関係のこと①
母とのこと
私の母親はいわゆる毒親と呼ばれる類の人でした。
今まで、母やうちの家族が普通だと思って、仲良し親子、普通の親子を貫くために必死に自分の感情を押し殺して、「私は幸せだったんだ」「私は家族に愛されて育ったんだ」と自分にそう言い聞かせてきました。
実際は私の父親(母からしたら夫)の愚痴、私の妹に対する心配事、会社の人の愚痴、ご近所の人の噂話や愚痴、ニュースに対する批判、全て「自分がいかに正しいか、他の人は何が足りてないのか」をずっと力説していました。物心ついたときから私に対して母はそのような話ばかりしていたように感じます。
私が学校であったこと、日々の生活の中で感じたこと、今日あったうれしかったこと、悲しかったことを話しても、「お母さんはこんなことがあった」と話題をすぐに母親自身のことに変えられたり、私の感じたことが母親の感じ方と違うので「そんなふうに感じるあんたがおかしい」「あんたは優しい子なんだから、本当はそんなふうに思ってないはず」と感情や感性を否定されました。
小さい頃(小学生ぐらいまで)は母の感情の衝動のままによく叩かれたりしました。その行為は、子ども心にも「しつけ」「叱る」とは全く異なるものだと感じていました。母親のその日の機嫌によって、怒りのスイッチが入るともう止められず感情の波が収まるまでの数分間私は顔や頭を叩かれ続けました。泣いても嫌だといっても感情を逆撫でするだけだとわかっていたので、私は泣き喚きもせず、その数分間を無言で、嗚咽もせず声を押し殺して、泣きました。
私は至って優等生で、宿題を忘れることもなく、学校に忘れ物をすることもなく、先生には毎回褒められ、テストではほとんど100点に近い結果を全教科とっていました。友達に嫌われたりいじめられたり、いじめたりすることもなく、平和な学校生活をしていました。
母が私に怒る原因としては、ランドセルを玄関やリビングに置きっぱなしにしている、ご飯食べ終わるのが遅い、連絡帳を出すのを1日忘れてしまっていた、そんなようなことだったと思います。毎回怒られるのではなく、いつもは何も言われず、母親の機嫌の悪い時にだけ急にそのことについて怒られるので、驚きと共に恐怖を感じました。
中学生になってからは母が専業主婦からパートを始めたことをきっかけに母親自身のストレスのためか私へのあたりが強くなりました。その頃の私は「なぜ母親から言われたとおりに自分はできないのだろう」「どうして忘れてしまってできない日があるのだろう」と自分を責め、どうにか母親の望む完璧な生活態度ができるように日記をつけるようになりました。「今日はパジャマを脱いだ後、ちゃんと自分の部屋に持っていってから学校にいけたか」「洗面台はきれいに使えたか」「母に口答えしなかったか」「学校の荷物は全て寝るまでに自分の部屋に持って行けたか」そんなチェックリストを日記として○×をつけていました。日記には、今日はできなかった事柄に対して、自分で「自分はなぜできないのか」「そんなことでは社会ではやっていけない」「どうして母を怒らせたり傷つけるようなことができるのか」そんな自分を責める言葉で埋め尽くされていました。
中学3年生の時に1度、私の塾の迎えの帰りに車で激怒していた母は、深夜まで車を山まで走らせ、ある程度車で山を登ったところで携帯とバックを置いてここで一人で降りるように私に言いました。塾の迎えで私が車に乗り込んだ時には母親は無言で怒っていたため、「なぜ母は怒っているのか」も検討がつかず、母からその理由も告げられることなく、山に捨てられることになりました。
幸い、その時、深夜の山の上にも関わらず、黒光りした高級車が後ろからやってきたため、母も「これはさすがに怪しい、危ない」と判断したのか、私は車から降りる前に母は慌てて車を走らせ、山を降りました(笑)
高校、大学生となるにつれて状況は悪化していきましたが、書けば長くなるし、気持ちも持たないので、今日はこのへんで止めておきます。
「こんなことは他の家庭もそうだろう。」「うちはまだ幸せで子ども思いの母親なんだ」そう思い込んでいました。そう母親からも聞かされていましたし。「こんなことはおかしい」と泣いて反抗しても、「あんたいつも被害者意識が強い、悲劇のヒロインで、自分がかわいそうで泣いてるだけ」と言われていたので、今でも私の感性がおかしくて、みんなこんなようなもんでそこまで悲しんだり、苦しむことに値するほどのことでもないのかと半分ぐらいは思ってしまいます。
みなさんの家庭はどのような感じでしたか?普通の家庭、普通の親子、母娘関係ってどんなものだと考えられていますか?
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