私が目指す「いいもの」とは
■高いワイン=美味い?
私はワインエキスパートという資格を2017年に取得しました。
そもそも、なぜワインの資格を取ろうと思ったか。
ビジネスで使えそうという考えもありましたが、一番は思い出に残るワインが1980円で買えるワインだったことがきっかけです。
会食でワインを頂く機会が増え、美味しいワインを多く飲んできました。
やっぱり高いワインは美味しい!みたいなバイアスがかかります。
もちろん、高いワインは美味しい確率が高いのですが、
こんな手頃なワインでも、こんなに美味しいのか!というインパクトがすごくて、 そこからワインを勉強してみようと思いました。
味覚の好みも十人十色。
その時の雰囲気や、自分の体調、誰と飲んだかなど、環境によって味も印象も変わります。 高かろうが安かろうが、飲んだ人が満足して楽しめることが一番だなと思います。
ワインエキスパートを取って一番良かったなと思うことは、
自分が選んだワインを美味しいといってくれることです。
そこに根拠があるだけで、またひとつお客さまが喜んでくれます。
■いいものって何?
ここからが本題です。
弊社ホームページのステートメントには、
と書いています。
私は「いいもの」という定義を
「クオリティ」「コスト」「成長」「サービス」
の4つの要素が全て叶えられているものだと思っています。
会社を作るにあたって、最初に考えたことです。
1. クオリティ
「いいもの=ハイクオリティ」
モノづくりにおけるすべての工程に対して、妥協しないプロダクションワークが、これを実現する唯一の方法だと信じています。
ただ、クオリティという言葉自体が漠然としています。
クラフトを担うプロダクションとして、わかりやすく言うなら、
細部にまでこだわって作られているか。
お金がかかること・かからないことに関わらず、「もっとこうしたらいいんじゃないか」という、関わる人たち全員の思いが詰まったものは、必然とクオリティが上がります。
お金がかかっているから、必ずしもハイクオリティになるとも限りません。
もちろん予算が大きければ、その可能性は広がります。
が、予算の大小に関わらず、丁寧な仕事とスタッフの思いがあることが、(予算の範囲内で)クオリティを最大限に上げられる要素だと思います。
2. コスト
赤字を出して「いいもの」を作っても、それは「いいもの」とは言えない。
なぜなら、広告はビジネスであり、誰かが無理をして作ったものはどこかで歪みが生まれるから。
良いプロデューサーは、1000万の予算を3000万の予算に見せる手段を持っています。 昨今の制作費削減の流れからも、低価格でもハイクオリティを追求できるかどうかが、プロデューサーの腕の見せ所。
ちゃんと関わる人全てにとって、利益がでる仕事が「いいもの」の条件だと思っています。
(戦略と覚悟をもって、投資として赤字でもやる仕事は例外ですが。。)
3. 成長
クライアントにとっては、投資した広告費に見合う成長(売上)が期待できるものかどうか。
広告会社にとっては、パートナーとなるプロデューサーが横にいることで、いいものを作って、自身も成長できるかどうか。
そして、プロダクションとスタッフにとっても、いいものをつくることが成功体験となり、もっとスキルを磨きたいとおもうかどうか。
一方で、成長とは逆の部分。
制作過程において過労で倒れた人がいたとか、ストレスで病んでしまったなど、 誰かの犠牲の上でできた「いいもの(に見えるもの)」は違う。
視聴者にはわからない部分ですが、その人にとっては成長と無縁のことになります。 ここを無視して「いいもの」と言ってはいけない。
誰かの自己満にならず、ちゃんと関わる人全員が成長できたかどうか。
その成長=結果は「いいもの」かどうかの大事な視点ではないでしょうか。
4. サービス
プロダクションの仕事は、サービス業である。
「いいもの」を作り出すためのマインドです。
お客さまひとりひとりに順応し、期待を超えるサービスを提供すること。
「感動してもらう」というソフト面での「いいもの」にあたります。
ただ、美味しい料理を提供するだけではなく、そこには最高の接客とサービスがあって、初めて感動を与えられると信じています。
ここも視聴者にはわからない部分ですが、そこを蔑ろにしない。
広告制作に関わる人全員が、気持ちよく仕事ができたかどうかも
「いいもの」の条件だと思っています。
ここはホスピタリティという視点で何度か書いていることです。
■CM1本100万円から!を考える。
前回のnoteは「クリエーティブの力を信じている」というテーマでした。
大きくは、「1.クオリティ」と密接に関わる部分でしたが、 今回は、
「2.コスト」と「3.成長」に関して、最近気づいたことを書いてみます。
タクシーなどでよく見かける、効果測定×低価格を売りにしたCMに関して。
プロダクションで働く自分にとって、最初は 「CM1本100万円から!」と言われて、正直辛いなあと思いました。
もちろん、その予算で制作することも可能ですし、私自身も今、多くの低予算の仕事をしています。ただ、年々下がる制作費によってプロダクションもスタッフも、無理をして苦労しているのも事実です。
そこに追い討ちをかけられたという気持ちになりました。
また、ある種の型(フォーマット)にはまったCMも多く、クオリティの点で気になることもありました。さらにコストを低く抑えたCMは、その先にいるスタッフがきっと無理してやってるんじゃないかと、勝手な想像をして、見るたびに残念に思っていました。
ちょうどその会社に転職した後輩がいたので、この辺の話をきいてみました。
その後輩が言った一言。
「広告(CM)で多くの人を助けたい」
この言葉でハッとしました。
そういったCMのクライアントは、スタートアップの企業が多く、
すぐに結果が必要です。 長い目でみる体力はありません。
CMを流すのは、制作費も媒体費も結構なお金がかかります。
だから、なるべく最小の金銭リスクで最大の効果をだすために、
調査をかけて、一番効果的なCMを採用します。
その結果、同じようなフォーマットになることが多い。
つまりわかりやすい(構成やキャッチーなポーズなど)=結果に即つながるCMが多くなります。
スタートアップ企業のそういったバックグラウンドを知らなかった自分は、価格インパクトが強かったせいで、「効果を可視化する」だったり「TVCMをもっと身近に」という部分に気づきませんでした。
後輩曰く、低価格な制作費だけでは利益はでていないと言っていました。
お願いするスタッフにも申し訳ないと。
ただ、ちゃんと同じスタッフにお願いして少しずつ利益を還元していると、誠実に話してくれました。
※今は、制作費の低価格訴求をしていないことも、付記させて頂きます。
利益構造としては、クライアントに対して、TVCMですぐに結果をだして、TVCM自体の価値を知ってもらう。そのあと、パートナーとなって、徐々に利益を出していく公算だと言っていました。
TVCMがオワコンと言われている時代でも、ちゃんと結果(成長)がでることを知ってもらう。それは、自分が今メインでやっているTVCMの価値を上げるものだとも思いました。
結果がでる。売り上げが上がる。
それこそが広告の本質だと思いますし、その企業の立場に立てなかった自分は未熟だと反省しました。自分本意でイメージだけが先行して、ネガティブな印象しかうけていませんでした。
クライアントが成長できるものが作れれば、それが「いいもの」である。
広告がクライアントにとって投資である以上、
作り手のエゴで、プライオリティが逆転してはいけない。
理屈上では正しいし、自分も共感できます。
ただ、、少しだけ寂しい気持ちにもなりました。
広告はそれだけではないところもあると思うからです。
■CMは投資手段であり、多くの人が命をかけて作った映像でもある。
私が広告業界に入って20年。
広告が本当に元気だった頃を知っています。
みんなの記憶に残るような名作CMに憧れ、広告業界で働くことに喜びと誇りを感じています。
以前の投稿でも、「広告は文化を作ってきた」とも書きました。
昔はTVでしか流れないマス広告(CM)の威力が大きかった時代の話。
今はデジタルを含めた媒体も広がり、映像制作のフローも効率的になっています。
どんどん手段としてのCMが増えていく。
クリエーティブで印象に残るCMは減っていく。
この流れはこの先も変わらないと思います。
極論のような書き方になっていますし、この分け方が暴論であることも理解しています。
どっちが良い悪いとか、正しい正しくないという議論ではなく。
ただ、プロダクションとして、どちらも「いいもの」の条件を満たすための努力を諦めてはダメで、その先にいるスタッフが命をかけて映像を作り上げていることは変わりません。
「いいもの」の条件に「成長」を掲げているのは、
その広告映像が、クライアントだけが成長するものではなく、制作に関わった全ての人が成長できる仕事こそ、「いいもの」を作るモチベーションを保ち、この先の広告業界をキラキラさせると思っているから。
大規模でクリエーティブなCMは、制作側の醍醐味も当然あります。
ただ一方で、小規模でありきたりなCMを、制作側も面白くないと思うのは、 クライアントの立場にたつと不誠実です。
どんなに安いワインでも、作り手がいて少なからず手間暇がかかっている。
安いワインが不味いのではなく、適当につくられたワインが不味いのであって、 高いから美味しいわけではない。
(むしろ高い方が、その手間暇を省略したり誤魔化したりもできます、、)
映像制作も同じで、広告がクライアントの投資という原点を忘れずに、
私たちプロダクションができることは、作り手が一生懸命、ひとつの方向を向いて制作に携われるか。
仕事に優劣をつけず、全ての仕事に対して「いいもの」を作るためのモチベーションを保つことが、いま、求められていると思います。
そもそも、「いいもの」を成立させるための努力が楽しいと思うから、この場所(プロダクション)にいるはず。
私たちプロダクションの人間も、この原点を忘れてはいけないと思います。
■おわりに
なんだか、今回はすごいグチャグチャしてしまいました。。
まとめると、、
・低コストで規格化されたCMを提供して短期的な利益に繋げることは、
これはこれで必要なことであり、広告の原点であること。
・一方で、前回noteに書いたような強制視聴のCMにおいて、秀逸なクリエーティブで売り上げを一気にジャンプさせたり、人々の記憶に残る・感動させることも必要なこと。
・このバランスを理解し、どちらが良い悪いではなく、プロダクションとして目指す「いいもの」は共通であること。
・特に「成長」という文脈で、作り手側のモチベーションを、プロダクションが先頭にたって高めていくこと。そこに映像の優劣や規模感は関係ない。
という感じです。。
今回は、自分が考える「いいもの」という考え方を、低価格CMをきっかけに書いてみました。
と同時に、低価格CMに対して、ある一定の誤解もあるんじゃないかなと。
どうしても、制作費やクオリティに対して不満をよく聞くからです。(自分もそうでしたが、、)
CM自体が多様化していて、媒体も様々。昔に比べて手段がたくさんある中、 クライアントの立場を理解しながら、自分が大事にしている「いいもの」を共存させていけるように、プロダクションもトランスフォームしていくことが必要だと思います。
「映像で人々を幸せにする」というプロダクションの本質を忘れずに、
自分が大事にしている「いいもの」を守り続けたいと思います。
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