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若者の意見文は意見文じゃない?小論文を書く準備って何?(2)「あなた」の具体は具体じゃなくね。

さて、具体例とは何かと尋ねられた場合、何と伝えるべきなのだろうか?

このようにあるサイトでは述べられている。具体例
読み方:ぐたいれい

事実に基づき、あるいは現実の物事に即して示される例。具体的な例示。

weblio辞書より

このような定義を踏まえて、高校生の小論文添削をしてみると面白いことが分かる。

それは「私の中での具体例」がなんて多いことか。

最近、添削を見てあげた高校生であればこのような意見文があった。

私は外国語学習は音の連続体を文節化し、その不連続体となった言語を認識することが大切であることに賛成します。
何故なら、私は外国語学習をしていて音声の区切り方が分からず意味が分からなかったということがあるからです。単語一つ一つの意味は分かっても、流暢な話し方の場合では音声の区切りが分からず、意味を取り損なってしまうからです。それゆえに音声の区切り方を学び、その能力を身につけることが外国語学習の根底にあるのだと私は思います。

生徒の文章表記における誤りは訂正してある。


ツッコミどころ満載で読んでいて面白かったのだが、肝心なのはコレを「具体例」として生徒が認識していることが面白い。
(でも、このような生徒が現代には蔓延っていると考えるとおぞましい。)

何がダメなのか考えてみよう。

(※あくまでも個人の見解に過ぎず、もっとこうしろよ!といった老害発言は求めていないのでご理解頂けると幸いです。)

①自分の実体験に基づいて書いていること

「どのような実体験で、それが根拠になるのかは異なる」と言えば、この話は終わりになってしまう。

じゃあどうすれば実体験をより具体例に見せるようにできるのか。

それは社会と結びつけることではないだろうか。
先の定義の通り、具体例とは事実に基づき現実の物事に即すものである。そうであるのなら、そこから敷衍し社会的事象を結びつけるだけでも、具体例として、自分の意見の根拠として価値を持つはずだ。

例えばこんな感じ

私の愛犬は「ポチ」という名前である。これは私が名付けたのだが「ポチ」という性格を犬が帯びたのではなく、私が名付けた性格が反映されている。このような事象はペットの命名にとどまらない。この名付け親と名前の関係はマクドナルドの限定バーガーやコメダ珈琲の限定シロノワールにも該当する。

お腹すいてるから全部食べ物なのは許して欲しい。


またはこんな感じ

ALTの先生に調子を尋ねられたとき、ふつうと答えたら彼はキレた。どうやら日本人が「普通」という言葉で具体的な自己表現を一蹴することを好んでいなかったそうだ。このような文化における概念と、その概念に付随する価値観は私の周囲だけにとどまらない。
他文化理解を目的としたフィールドワークでも、このような出来事は多々起こるはずだ。

文化人類学あんまり知りません。許してください。


このように、自身の例から社会的事象にスポットライトを照らすことでそれっぽく見えることがある。
この時に「〜にだけにとどまらない」等と書くと効果てきめんだ。
(ちなみに私は大学のレポート等はこれで凌いでいたタイプである。)

②例は1つにスポットライトを当てる。

さっきと言ってること矛盾してるやんと思われたかもしれないが、まぁ読んで欲しい。

そもそも、例なんて1つ挙げるだけで充分だろと私は思うタイプである。
(そうじゃないタイプもいるよね。ね、ハム太郎?)(へけっ)

例が大事なのではなく、
何故その例が主張を裏付けるのか明確化することが大切ではないだろうか。

ひとつの例だけで何か書くのであるのなら、こんな感じ

日本とイスラームの精神構造の類似性という概念はそもそも捉えがたいものだと思う。(ここでは筆者の考えへの疑問というよりも事実に対する異議として提示している。)というのも、イスラーム思想は宗教に強く根付かれた思想である一方で、戦前から戦時中の日本の神国思想は宗教というレベルではなく1つの「国民国家」と呼べるほどのチカラ(ここで「チカラ」と称したのは、それが果たしてpowerとして訳された場合、武力なのか、権力なのか、ここでの文脈では英訳する際にどちらとも該当するほど定義が曖昧だからだ。)を持つ、共同体に埋め込まれた思想であるからだ。
例えば、「国家総動員法」について考えて見るとより具体的になるだろう。国家総動員法とは、その名の通り、非戦闘員である国民を戦争参加することを強制するものだ。現代ではこのような非道な法律は当然ながら存在しない。しかし、このような法律が存在した原因として「国民精神総動員運動」というものがある。これは滅私奉公を軸としたスローガンを掲げ、「カミカゼ」のような精神を我々の心に埋め込むようなものであった。そして、この運動と連動してこのような法律が作られた背景が存在する。このように日本の精神構造には「チカラ」が強く関係しているため、イスラーム思想と混ぜ合わせるのは半ば強引なのではないかという印象がある。このような考えを行うのは、異文化のどこかにオリエンタリズムが垣間見えているからなのかもしれない。

俺の哲学授業で提出した意見文。教授に好評だった。


まぁ、オリエンタリズムの話は蛇足っぽいけど、大筋は国民国家の共同体と宗教的な共同体は異なるという例として日本の国家総動員法を提示しているだけ。

私は特に以上の2つを意識して具体例は書いて欲しいと思う。

余談だが、具体例という表現が悪いとも思うよね。
だってさ、具体って言ったら絶対本論は具体例じゃないと!みたいな固定観念つくし、具体例といって漠然としたもの提示されるしと。色々ある。

では、本論をより綺麗にするにはどうするか。
次回は余裕があったらそこに注目したい。

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