見出し画像

通勤電車

前職の時、通勤は自転車で片道1時間ほど
ただし通勤路は河川敷で、行きつく先は海への河口ということで、実に楽しい通勤だった。

通勤時間というのはどの職種でも実に憂鬱なものだが、あの頃は通勤する時間が楽しくて仕方なかったものである。

そして現職はどうなのかというと、総武線と山手線という通勤地獄の王道みたいな通勤路になってしまった。
自分はもともと閉所恐怖症な部分があり、満員電車に乗るとわりと過呼吸など起きやすく、もう二度と通勤電車になんか乗りたくないと思っていたが、こればかりが仕方ない。
そうはいっても週に2、3回はリモートなのだからぜいたくは言ってられない。

そんな通勤電車に約1時間ほど揺られるわけだが、そこでどう過ごすかというのが40過ぎると結構重要に感じてくる。
この1時間、復路を考えると2時間、スマフォを眺めてくだらんニュースサイトのクソコメを読んで「そうだそうだ!」とやじうまみたいな生活を送るのか、なにかしらの教養を得ようと読書なりするのかで結構違ってくる。

自分の場合は忙しい時とそうでないときに差はあるが、基本的には朝の通勤では今日やる仕事の準備がメイン。
会社についたら間髪入れず業務に入れるよう必要な資料等の確認と、今日の動きを30分単位で再度設計し直しを行う。
この動きがあるだけで、会社ついてからの作業スピードがまったく違ってくる。
帰りは読書。
とにかく気になった本は買って読む習慣をつけている。これは教養のためというよりどちらかというとデジタルデトックスの習慣みたいなものだ。

こうすることで電車で無駄にスマフォの通信容量を消化することもないし、特に帰りにスマフォを見始めると家でも見てしまい、この時間が実に無駄なのだ。
この無駄な行為により睡眠時間まで削られるのはほんともったいない。

まあともかくこれが今の通勤時のルーティンである。
そしてこれがルーティン化して気づいた事。
朝はいい状態で仕事に入れるし、帰りは読書による何とも言えない充実感で夜を迎えることができている。

そこで思ったのは、通勤時間は無駄な時間と思っていたが、こうやってうまく使えれば、実は長時間通勤もありなんじゃねーか?
特に最近は1時間の通勤ではちょっと足りなくなってきており、朝は早めに出て、途中のカフェなどで仕事したり、帰りも電車を降りたら読書が終わるのがもったいなくて途中カフェによって読んでいたりと、もしかして長時間の通勤の方が俺には合うのではないだろうか?と最近思い始めている。

ただ通勤の時間を耐えるのではなく、その時間を仕事に活かし、帰りは良い睡眠を迎えるために活かし
活かし方次第でこの時間は無駄ではないし、強制的にこの時間を作るために会社から離れたとこにあえて住むのもありだなと思った今日この頃

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?