宿題て意味あるの?

学校や家で子供たちはよくこんな言葉を耳にするだろう「勉強しなさい」「宿題は将来、嫌なことでもしっかりやる訓練なんだ」「勉強をすればそれだけいい会社に入って安定した収入が得られる」
こんな言葉、正直我々も子供の頃何万回と聞いてきた言葉だろう。そして、それを言われる風景もそれを声高らかに演説している教師も何万回も見てきただろう。
しかし、私は、これを見ていつも疑問に思う。なぜ、勉強をすれば収入高くなるのか。なぜ、嫌なことをしなければならないのか。そもそもなぜ、勉強が苦手なのか。
よく、勉強は苦手。苦しいもの。と言われてきた。しかし、もし本当に勉強が苦しくてきついものならテレビのクイズ番組や情報系番組、勉強・教育系youtuberが流行ることもトレンドに載る事もないのではないだろうか。
しかし、クイズ番組ではみんな食卓を囲んでクイズの内容に対して「この問題はこれが答えだ!」とか、「お父さん、これわからんの?」のような会話を繰り広げられる。そのクイズのお題が歴史は歴史でも大学入試レベルであったりする。また、勉強・教育系youtuberのコメ欄では「この内容わかりやすい!」「聞いてて面白い!」という言葉が溢れている。そして極め付けは、オリエンタルラジオの中田敦彦さんの動画では「あっちゃんの授業しか勝たん」というコメントで溢れる。
でも冷静に考えよう。
彼は、、、芸人だ。
そして彼の顔を見るとエンタの神様に出演していた時よりも楽しそうなのだ。
さらに、youtubeのみでもしっかり勉強ができるのにも関わらず中田敦彦さんやdaigoさんのオンラインサロンに課金をしているのだ。それも苦手な勉強のために。

人には本能の欲求として、知的好奇心がある。これを燻られると嬉々として人は勉強をする。学ぶ。しかし、逆に人には防衛本能も備わっている。つまり、自分にとって身体的・心理的・社会的にデメリットが生じるようなものは全てブロックするのだ。
もし、あなたの目の前に1週間風呂に入ってないデブで髪の毛が汗だくのバーコードのようになっていてよだれと鼻水ダラダラにした裸のおっさんが5人もいたらどうなる。おそらく男女関係なくその場から脱兎の如く離れるだろう。そしてその時あなたの身体は全身から震えが込み上げてきて顔は青ざめているだろう。これが拒絶反応というものだ。このように、人には自分を守るための防衛本能が備わっている。
だから、勉強において苦痛と感じるようなものが強くなると防衛本能が働き拒絶するのだ。

そして、宿題はその防衛本能を働かせる上では最高のツールだろう。
しかし、その宿題を持ってきた先生は「嫌でもそれをやるんだ」「社会にでたらこんなことばっかりなんだぞ」と生徒に言ってくる。

確かに、社会にでたら多少の嫌なことはしなくてはならないかもしれない。しかし、この世はゲームと一緒である。
これは、私の持論であるが、これは真意であると考える。皆はポケモンやドラクエ、モンストなどをプレイしたことがあるだろうか。
これらのゲームはやればやるほどモンスターやポケモンのレベルも上がり、姿が変わり、かっこよくなりどんどん面白さが増していく。しかし、モンスターやポケモンのレベルを上げるためにめんどくさい経験値稼ぎもしなくてはならないだろう。けど、そのめんどくさい経験値稼ぎはきついものだろうか。嫌なものだろうか。そうではないはずだ。私もモンストを友達とプレイしている時一度やったステージをみんな「よし勝てた!もう一回だ!」と何度も何度も同じステージを遊んでいた。それはなぜか。そのモンスターを運極にしたかったからだ。そのためなら、何度も同じステージをやっても苦にならなかった。そして、それを4人で運極にしたとき止め処もなく嬉しかった。脳汁が溢れ出た。
しかし、側から見れば「なんで同じステージ何十回も回れるんだよw」という意見があるだろう。それだ。それである。これが、この世がゲームと同じであるということなのだ。
モンストをしててわかると思うが、ゲームとしては何度もステージをしても飽きないように工夫に工夫が重ねられている。例えばモンスターのバリエーション、ステージの仕掛け、モンスターの特殊能力、そして他のアニメとのコラボ
これで飽きないはずがないのだ。

しかし、宿題はどうだろうか。同じ漢字や英単語を繰り返して書くだけ。なぜか、毎日ノートで勉強する教科の指定。苦痛にしか思えないような理科と社会の用語の暗記。
そんな宿題で勉強が楽しくなると思うか。
もし、大人になって同じ漢字をノートにびっしり書いてくる人がいたらどう思うか。子供の時英単語何度も書いて覚えてきた今、社会人全員、親も教員も外国人としっかり話せるか。今日この教科やりたいけど毎日ノートで教科を指定されることでそのやりたい教科ができない子供の気持ち考えたことあるのか。用語だけ覚えてどうして理科と社会が楽しくなるのか。

断じて、そんなわけないのだ。
そしてこれらのことは「嫌いなこと」でもやるのではなく「無意味なこと」をやるなのだ。

そして、無意味であることがわかっていてもしその宿題を出しているならそれは生徒の時間を浪費させている。つまり、金を浪費させている詐欺師か悪徳なホストやキャバ嬢と同じだ。

では、どうすればいいのか。どうすれば生徒たちが勉強してくれるのか。それは、勉強に工夫をして楽しくさせればいいのだ。クイズ番組や教育系youtuberのように授業を構築・ゲームのように宿題を何度もできるように考えて作り上げる。
これが、我々教育者の仕事ではないだろうか。我々にとって生徒はゲームで楽しんでもらうための消費者だ。そして消費者がそのゲームを楽しんでもらわなくては意味がない。そのゲームを苦痛に感じてしまっては意味がない。
何故なら、我々はゲームメーカーなのだから。


そして、ゲームはする側も楽しいが作る側の方が100倍楽しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?