本当は裸で生きたい
私がサッカー選手になる選択をする理由は
サッカーは私を裸にするからです
私は多感です
良い意味でも、悪い意味でも
でも、そのほとんどは心で留まります、勝手に
まず、これが私がサッカー選手になった先にある夢の理由です
は?
ですよね。すみません。
何から話しましょう
じゃあ、まず理由と目的って同じでしょうか
私は違いました
そして調べたら、
主語が「私」になっていれば“目的”、それ以外が主語になっているのであれば“理由”と判断することができます
だそうです
しっくりきました
もう一度言いなおします
私がサッカー選手になる理由は、サッカーは私を裸にするからです
そしてここでは初めて言います、先ほども触れました
サッカー選手になった先の夢(ここでは目的とほぼ同じ気がします)は、海外でプレー→海外に住むこと→私のパーソナリティを変化、または拡張することです
この題では、理由なのでサッカー選手になる選択をする理由を述べます
裸とは何か
裸とは、覆うものがなく、むき出しになっていることだそうです
裸でサッカーするわけじゃないですよ
私は
泣きます
怒ります
イライラします
笑ます
喜びます
人間の感情ですよね、普通です
じゃあ、この普通のことをどれだけの人が、人の前で、日々、あらわにしているでしょうか
少なくともわたしは、サッカー以外の日常生活で、このような感情を人前で露わにすることは、多くありません、特にマイナス的な感情を。
これが、先述した、目的にも繋がっていることは後ほどわかると思います
で。サッカーをしているとき、私はこれらの感情をもちろん抑えながらプレーします
平常心を保たないとプレーの波が出ると言われてますもんね
でも、出てしまうんです
それが、サッカーなんです
1人で、泣きながら試合をします
1人で、笑いながら試合をします
1人で、イライラしながら試合をします
1人で、ワクワクしながら試合をします
そして、これだけではありません
私は、積極的に話しかけるタイプではないし、人見知りやし、主張をあまりしてこないし、喧嘩もあまりしないし、頼まれたら引き受けちゃうし、典型的なインキャの良い人みたいな。
サッカーがなければね
でも、それをもひっくり返すのがサッカー。
私は、本当の自分がどっちなのかはわかりません
でも、サッカーをしている時の自分の方が、生きやすいです
例えると、靴下を脱いだあと、みたいな。
例え悪いか、笑
脱がないと気づかなかった、勝手に締め付けられてた感じ、でも別に靴下をいつも履くのが普通やから、めちゃくちゃ嫌ではない、みたいな。笑
サッカーをしているとき私は、
先輩後輩男女関係なく、ものを言います
やって欲しいことがあったら要求します
違うと思ったら違うと言います
良いと思ったら良いと言います
嬉しかったら喜びます
悔しかったら涙が出ます
言い返されても言います
本当の私なんです多分これが
で、サッカーはそれが出来る
だから、その自分をいろんなところで見たいんです、自分で
皆んな、家族って好きですか?好きな人、多いと思います
好きじゃなくても、居心地良いですよね
何ででしょうか?
ありのままの自分=裸でいれるからに決まってます
私にとってのサッカーはそういう場所なのです
日本は特に、大学でも、高校でも、卒業したら働きます
自ずと、仕事だけをする日々になります
だから、私はサッカーをするために、裸で生きるために、サッカー選手になります
しかし、サッカー選手に限らず、スポーツ選手には終わりがあります
引退です
これだけ科学技術が発展している現代でも、身体の機能低下を遅らせることでなく、身体の機能低下をストップすることはできません
じゃあ、私はサッカーを引退したら、再び、裸で生きる場所は、家しかないのか、家族の前しかないのか
私はそれを作りに、海外に行くのが、サッカー選手になる目的です
海外は、自由です
海外は、表現します
海外は、素直です
それが好きです
だから私は海外に住みます
裸で生きます
これが私の、サッカー選手になる選択をする理由と目的
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