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「フェミニスト・シティ」感想 誰にとっても暮らしやすい街の実現は難しい

レスリー・カーン著「フェミニスト・シティ」の感想です。

筆者が主張するには、現代の都市はデフォルトマンによってデフォルトマンのために作られているそうです。
機能的な面で言えば、道の幅や交通機関、導線が女性・高齢者・障害者など男性以外の人には使いづらくできていると筆者は言います。
妊娠〜出産までの筆者の体験とともに語られるこの主張は、カナダのことだとしても、現在の日本の読者でもそう違和感なく読めるのではと感じました。

筆者のあげる都市の特徴は、

  • 健康的な人が歩くか、車に乗るのに適した道幅、交通機関の作り

  • 家と職場の往復を効率よくこなすための作られた交通機関

  • 窃盗、痴漢といった犯罪を防ぎづらい

  • 住人の社会階層が固定化され、マイノリティが排除される

それによる弊害として、筆者が挙げているのが、

  • バリアフリーに作られていないことから、妊婦や子連れ、障害のある人は移動をしづらい

  • 働きながら子育てをすることを考えておらず、保育園、役所と家や職場のアクセスが悪い

  • 収入の低い人の移動の手段が確保されず格差が広がる一方

  • 職場と家の往復または家でケア労働にかかり切りになりがちで、家族以外との交流が難しい

といったものがあります。

この本で列挙される問題点は、少子化に陥っている日本においても重要なものだと思います。
なぜなら、街の作りがケアと労働を同時にこなすことを妨げているからだ、と筆者は言っているからです。
介護や子育てといったケア労働のために余計な労力をかけ、労働との両立ができなくなるとすれば、人口が少なくなっている日本にとって痛手となることは間違いありません。

また、身の回りを振り返ってみても、ベビーカーの人の歩きづらさ、公共交通での車椅子・ベビーカーの敬遠のされやすさなど、街が子育てに優しくないと感じることは多々あるかと思います。
交通機関になんて乗らなくてもいい、車に乗れば人に預ければいいと思う人もいるかもしれませんが、それは車を買えない/免許を持っていなくて車に乗ることができない人や配偶者が忙しかったり親が遠くに住んでいて預けられない人を無視しています。
このような制限が積み重なっていることも少子化の一因と言えるのではないでしょうか。

私自身は少子高齢化の解消にはそれほど興味はありません。(子供を産む/産まないは個人の自由だし、社会保険・年金の制度は子供を増やす以外の解決策を検討してもよいと思うから)
しかしながら、前述の通り少子化の解消には間違いなく役にたつと思うので、こういう切り口も面白いと感じました。
また、高齢化という観点から言えば、健康な男性以外でも街を利用しやすくするというコンセプトを実現には、高齢者が暮らしやすい、高齢者をケアしながらでも暮らすことのできる街が実現できるということになります。
少子高齢化に悩む日本にとって、「フェミニスト・シティ」というまちづくりは処方箋になりうる可能性があると思いました。

前述の通り、「フェミニスト・シティ」が達成されて得をするのはケア労働の多くを担わされている女性に偏っていますが、介護を担わされている男性、子育てに参加したい男性、障害者など、女性に限りません。
フェミニスト・シティと謳ってはいますが、これが意味するものは女性が暮らしやすい街というだけでなく、誰もが暮らしやすい街ということになるでしょう。

そもそも、解決の際には全ての女性が同じように苦しんでいるわけではないという交差性の問題について常に考えなければならないとも筆者は繰り返しています。
障害のある女性、貧困に陥っている女性、シングルマザー、トランス女性、あらゆる属性を持つ女性について、排除をしていないか考え続ける必要があります。
それゆえ、フェミニズムは女性以外にも開かれた学問とも言えることは確認できました。

一方で、「フェミニスト・シティ」の実現は難しいようです。
都市計画者にジェンダーの専門家を入れることが解決策の一つだと筆者は言いますが、それだけで女性が被害者となる犯罪が減るわけではないし、前述の交差性の問題もあり、全ての人に対する適切な処方箋があるわけもないからです。また、都市が整ったからといって経済格差のような問題も改善するわけではありません。

都市計画だけでなく、個人個人の差別感情をなくすような文化的な対策や経済的対策も必要となるため、実現は難しいと言えるのでしょう。
しかしながら、都市の改善も必ず弱者の権利実現のために必要なピースであるということも間違いなさそうです。





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