超無敵クラスと、僕が映画や漫画や本で泣けない理由
『超無敵クラス』という番組にハマっている。
この番組は10代(主に高校生)に密着したVTRを見ることの出来る、青春ドキュメントバラエティだ。
最近よく見ているのだが、青春のキラキラが自分の胸にとびっきりの勢いで届いてくるから、見ていてとてもワクワクする。
また視聴者の高齢化が進む中で、若者をメインターゲット層にしたテレビ番組も珍しいと思うので、この先もぜひ続いて欲しい。
そんな『超無敵クラス』の1コーナーに、「約束のフリースロー」というものがある。
これは、
「シュートが入ったら付き合って欲しい!」
などと、生徒が胸に秘めた想いを告白し、学校のグラウンドに設置されたバスケのゴールに向かってフリースローをする企画だ。
言わば、『学校へ行こう』の「未成年の主張」に近いフォーマットなのだが、結局こういうのがいちばん面白いんじゃないかという気がする。
なんだかんだドキドキするし、どの生徒のことも純粋な気持ちで応援することが出来るから見ていて気持ちが良い。
成功した生徒にも失敗した生徒にも、
「君は最高に青春だぜ!」
とピュアに思うことが出来る。
フリースローが決まった瞬間に、
「おおうわあああ!」
と声を上げてしまうくらいには没入して視聴しているのだ。
話は変わるが、
この前とある人に、
「最近泣いたのいつ?」
と聞かれたことがあった。
しかし、答えがパッと思いつかなかった。
ということはおそらく、直近半年以内は泣いていないのだと思う。
また、
「映画とか観て泣いたりする?」
とも聞かれたが、
「いや、そういうので泣くことはほぼ無いね」
と返した。
映画に限らず漫画でも本でも、いわゆるエンタメを観て泣くという経験が極端に少ない。
「感動はしてるけど、涙を流すまではいかないんだよね」
そう答えていた。
すると、
「そういう人ってねえ、そもそも感動してないんだよ!だって私は感動したら泣くもん!!」
と強めに言い返された。
なんだコイツと思った。
いや、それにしても、なんで泣けないんだろう?
感動はしてるんだけどなぁ。
そう考えた僕は、「これを観ると泣きそうになるモノ」を思い浮かべた。
涙腺のツボを思い浮かべた。
するとふたつあった。
「青春」と「スポーツ」だった。
まず「青春」だが、例えば、学生が奮闘する作品だったらなんでも好きで、すぐに泣きそうになる。
次に「スポーツ」だが、野球映画とボクシング映画を見ると、まず間違いなく泣きそうになる。
泣くとまではいかなくても、泣きそうになるモノは多々あるな!
では逆に、
「泣けないモノとはなんだろう?」
と自問自答する。
まず、恋愛リアリティーショーではまったく泣けないことに気づいた。
でも不思議だ。
『超無敵クラス』の「約束のフリースロー」では泣きそうになるのに。
素直な気持ちで他人の恋を応援出来るのに。
どうして恋愛リアリティーショーでは人の恋を応援する気にならないのか。泣けないのか。
どうして見ていると少しだけ心がざらつくのか。
なんでだろう?
あっ、不純物が多いからか。
例えば恋愛リアリティーショーで恋に挑む出演者のキャッチコピーに
「SNS総フォロワー数10万人」
とあると、正直すごく冷める。
なんだよそれ。
そんなこと聞いてねぇよ。
数字に恋する訳じゃねえんだよ。
むしろ数字から離れた生身の人間に恋い焦がれている様子が見たいんだよ。
でもそれは出演者が悪い訳ではない(なんなら出演者にはリスペクトの気持ちがある)。
その数字に一喜一憂する受け手が悪いのだ。
受け手が一喜一憂するから、制作者がフォロワー数を基にキャッチコピーをつけるのだ。
キャッチコピーは、数字じゃなくて、その人の魅力を表す言葉にしろよ。
数字は、価値であって魅力じゃない。
『超無敵クラス』に出ていた一般の高校生を数字で測る奴はいない。
インフルエンサーを数字で測るのは良いとして、一般の高校生を数字で測りだしたら終わりだ。
とはいえ、恋愛リアリティーショーの不純物はキャッチコピーだけではない。
下心が透けて見える瞬間とか、
露悪的な演出とか、
金の気配とか、
都会的で洒落た演出を押しつけてくる感じとか、
もう全部。
不純物が匂うな~と勝手に思ってしまう。
きっと僕の鼻が腐っているだけなのだろう。
そういう不純物が涙の邪魔をする。
ネットで軽く調べたところ、何かを観て感動した時に出る涙は
「情動の涙」
と言うらしい。
この涙は、喜怒哀楽といった心が動いた時に流れるもの。
自分の中に湧き上がった感情による涙と、相手の気持ちに共感して流す涙の2パターンがあるらしい。
とすると、逆に言えば、
湧き上がった感情を阻害するものと、
共感を阻害するものが、
涙を止める原因だろう。
そしてそれが、僕が言うところの不純物。
感動して涙を流したくても、出来なくなる要因、不純物が多い。
例えば映画なんかだと、いくら登場人物の思いに共感出来たとしても、演出が肌に合わなければ涙がスッと止まる。
この場合、演出が不純物ということになる。
つまり、感動して涙を流そうと思ったら、まずは心が動くようなものを見つけた上で、そこからさらに不純物が少ないものを探すしかない。
ただ、このことは絶対に押さえておきたいのだが、不純物の存在にたくさん気づく人というのは、よく言えば繊細さんだが、悪く言えば神経質な奴である。
また、自分の心のレンズが汚れているから不純物が多く見えてしまうだけという可能性も高い。
つまり、そもそもの性格や気質を変えないと、涙は流れてくれない。
僕はきっと、早急に精神を見つめ直した方がいいのだろう。
世界が美しく見える人の心は美しい。
世界が汚れて見える人の心は汚れている。
心は映し鏡で、不純物に気づく人の心は、それだけ不純物に溢れているのかもしれない。
僕は、
「映画を観て泣けない」
と漏らした時に、
「そういう人ってねえ、そもそも感動してないんだよ!だって私は感動したら泣くもん!!」
と強めに言い返してきた人に主張したい。
「違うんだよ!感動はしてるけど僕の心が汚すぎて涙が流れないんだよ!」
なんて情けない主張なんだ。
でも、そういう風に考えると、
自分が「青春」と「スポーツ」で泣けるということにしっくりくる。
やっぱり10代はひねくれてない人が多い。
真っ直ぐな背景を感じることが多い。
集中して身体を動かしている時に、余計なことを考える隙は無い。
躍動する肉体を観ると、シンプルに胸が熱くなる。
感情移入しやすくて、余計な不純物が入っていないモノ。
「青春」と「スポーツ」のようなモノ。
そういうモノが泣けるんだなと思った。
そして、そういうモノに取り組む人間の目は大抵良い目をしていて熱い。
結局、熱いモノなら泣けるんだ。
だから僕は、熱いモノが好きなんだ。
青春やスポーツに限らずなんでも、熱い何かに心を惹きつけられてしまう。
そうやって僕は、『超無敵クラス』に惹きつけられたのだ。
『超無敵クラス』のことが好きだ。