見出し画像

笑顔のマジック

高校生の頃、物理の先生が授業で横道にそれ、こんな話をしてくれた。

空港でアジア人を見分けるには、その人の目を見るといい。目が合ったときに、こちらをにらむのは韓国人、微笑むのはタイ人、目をそらすのは日本人……。

よく聞く話ではあるが、高校生の自分は「へえ」と思ったものだ。実際のところ、これまでに韓国人とおぼしき人と目が合ってもにらまれたことなどはないが、恐らく悪に対して毅然とした態度を取る、ある種の厳しさを持つ国民性を表しているという意味では、まんざら間違いでもないかもしれない。

タイは「微笑みの国」と呼ばれるだけあって、彼の地で人と目が合えば微笑みが返ってくる。にっこりとまではしなくても、その人の目は笑っている。タイの知人たちは皆、いつ会っても笑顔だし、タイを訪れるたびに人々の表情が穏やかであると感じる。

さて、日本人はどうだろう。ウィーンの街で同胞らしき人と目が合っても、見てみないふりをされることがほとんどだ。外国にいると警戒心が働くのか、緊張しているからなのか、理由はわからないが、確かに目をそらされてしまう。日本でむやみに微笑むと、逆に怪しまれるからかもしれない。

そういえば、中学に入ったばかりで友だちも少ない頃、朝礼で整列していたときに、前の子がぱっと振り向いた。何だろうと思い、にこっと微笑みかけると「なに、ニヤニヤしてんの?」と言われ、ちょっとショックを受けた。自分はチャーミングに微笑むことができないので、その不気味な表情が誤解を招くのだろう。笑顔は自分も周りも幸せにするというが、そうでもないこともあると知った瞬間だ。ちなみに、その子とは後に仲良くなった。

この春、オーストリアでは例年になく暖かい晴天の日が続いている。この国の人々は、お天気だと機嫌がいい。逆に寒くて暗い冬の日などは、口を一文字に結んで、うつむき加減になる。非常にわかりやすい人種だ。その昔、ウィーン大学の某教授が「ウィーン人はいつも機嫌が悪そうにしている。元気かと聞かれても、ああだこうだとぼやいて、素直に元気だとは言わない。地下鉄に乗れば、への字の口をした老人ばかりだ。笑ったら損だと思っている」と、自嘲ぎみに話していた。

今や地下鉄の乗客は自分のような外国人ばかりで、オーストリア人が目立たなくなったせいもあるが、以前よりも不機嫌な人が減った気がする。とくに若い人は総じて愛想がよく、勤め先でも笑顔を交わすことが前より多くなった。知らない相手とでも、だ。グレーだったウィーンの街が、今ではクリーム色に見えるようになったのと同じで、人々も明るくなった。気候変動で年間平均気温が上がり、晴れの日が増えたからだろうか。

昨日もずっと快晴で、暖かな一日だった。起きたときに天気がよいと、朝が苦手な自分でさえ「今日はどんな日になるかな」と、自然に口元がほころぶから不思議だ。その日、スーパーへ買い物に行った際に、カートを押すお年寄りと鉢合わせになった。にこっとして道を譲ると、相手もにっこりした。帰り道には、十字路で左からやってくる老婦人とかち合いそうになった。道を譲ろうと相手が立ち止まる寸前にこちらが止まり、「お先にどうぞ」という感じで笑いかけた。それまでは硬い表情で一歩一歩慎重に歩いていた婦人は、うれしそうにうなずきながら微笑み返してくれた。バスの車中でも、荷物を持った年配の女性が乗り込んできたので、席を譲ろうとすると「一駅だけだから、いいわよ」と、これまた可愛らしい笑顔だった。バスを降りてふと空を見上げると、お日さまも笑っていた。

やはり天気と笑顔は相関関係にあるらしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?