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【小説】この世界で、ゴールデンブルースを聴くものよ:第4話

『――やっぱり駄目だった』

 ピピピピピ――早朝4時半にセットされた目覚し時計を止め、目尻の汗を拭う。2009年7月1日の日付の新聞を玄関から回収して、私の朝は今日も始まった。高校三年生の、夏の朝だった。
 早朝3時前から新聞配達に行っている広大は家にいない。パジャマから制服に着替えて、安い洗濯用洗剤を手に取る。台所から漂う味噌汁の匂いと混じって、家の中は複雑な匂いがした。

『常磐さん、よくやったほうだ』

 肩を叩かれた時の、あの絶望とも後悔とも言えない妙な感覚を未だに覚えている。
 2009年1月に予定通り開催された、『全日本缶サット甲子園、第一回大会』。
 同級生3名と化学の教科担任である小野先生の協力を得て、奇跡的に作り上げたロケットと缶サットを持って大会にエントリーすることができた。私を含む学生4名と小野先生は、理論8割、度胸1割、運1割の技術者の顔をして飛行機に乗り込んだ。内一名が、乱気流にやられて機内で嘔吐した。
 長旅を経て辿り着いた未知の土地、秋田県能代市。さっそく他校の制服が目につく。参加校は、松山五田渡を含めて計9校。当日の朝、ペットボトルのお茶の中に茶柱が浮いていた。その時は、運が自分に味方しはじめているのではないかと思った。
 当日の天候は、晴れのち曇り。

「ちょっといやな感じだなぁ……」

 引率の小野先生が呟いたとおり、まもなく鈍色の雨雲が空を覆いはじめ、強風と共に雨が降り始めた。
 1050グラム以下の重量で作り上げる缶サット。内径φ146mm、長さ240mmの円筒に、パラシュートと共に収納することがルールとされる。共通課題として、缶サットが地上に降下するまで、内蔵カメラで地上に設置された目的物を動画撮影し、その録画時間の長さを競い合う。

「海まで探しに行かせてください!」

 そんな声が聞こえた。私は先に打ち上げた学校の生徒が狼狽する中、合羽姿でカメラの録画機能をチェックしていた。
 当日は悪天候も影響し、多くの缶サットが強風にあおられて荒ぶる日本海に沈んだ。松山五田渡の結果は、4位だった。パラシュートはうまく開いたが、防水対策が甘く、缶サット回収後にカメラの録画映像を再生出来なかったのだ。

「でも、再生できたら一位だったかも」

 私達は、同日夜に実施されるプレゼン審査に期待を掛けた。天候によるアクシデントがなければ、我々の順位はもっと上位でもよかったはずだ。そうした心持ちで挑んだ審査の結果は、散々なものだった。

『良いものを作ったとしても、伝わらなければ意味がないんだよね』

 審査員からの指摘だった。プレゼン審査は――最下位だった。

 パラシュートの形状を工夫し、機体が安定した状態で直進するよう設計したおかげで、大会後に再生できた録画映像は9校中2位の長さだった。松山五田渡は、良い缶サットを作った。それは、紛れもない事実だ。

「でも、それが分かったのは、大会後やったんやろう?」

 悔しくて、悔しくて。ホテルの公衆電話で父に電話した時に返された言葉が、それだった。

「優勝した学校は、回収後すぐきちんと録画を再生できたんやろ。遊びやないけんな。良いものを作りさえすれば認めてもらえるって、過信があったんやないんか。糸」

 うるさい、分かっている。父に八つ当たりをしてから、電話を切った。悔し涙を流したのは生まれて初めてだった。
 努力したのに結果だけで順位を付けられたのが悔しかった――その甘えを見透かされたのだ。
 ようやく自分がお膳立てされた道の上に立っているに過ぎないことを知った。
 技術者は設計図通りに、正しい物を作ればいいと思っていた。そうすれば、事故を未然に防ぎ、エラーを生み出さず、宇宙飛行士だって安全に月に行かせることができるのだと。

「悔しい、情けない」

 部屋に戻り、枕を殴りつける。同級生も起きていたのだろう。鼻を啜る音が聞こえた。
 良いものを作るのは、「当然」なのだ。
 それを他人に伝える的確な表現力、奇抜なアイデアを捻り出す為に最後まで諦めないハングリー精神、自然の力を正しく畏れて人間の不完全さに向き合う謙虚さ。
 そのどれもが私には不足していた。
 日本一を目指すには、もうチャンスがない。高校二年の冬にこの結果で、翌年9月に米国ネバダ州で開催されるARLISへの出場の夢は、当然ながら叶わなかった。学生優待を活かしきることが出来なかったのだ。

「……………」

 コンロの火を消しながら、自分の心の中の情熱の炎も消えかけている事を悟る。
 あの大会で何よりショックだったのは、大会の運営にはじまり、企画から当日の進行、設営、大会後の技術交流会の開催まで、そのすべてを学生自身が取り仕切っていたことだ。開発力、人間力、技術者としての総合力で同年代のライバルから取り残されていた。
 私は日本の中にいて、さらに出遅れていたのである。

 この頃、父は早朝から鉄工所に出勤するようになっていた。私は熱いヤカンとおにぎりを差し入れる為に、エプロン姿のままでプレハブ小屋を三回ノックする。

「ああ、糸ちゃんか! おーい社長、娘さんですよ!」  

 馴染みの社員が振り返ると、椅子に座った父が嬉しそうに手を上げた。

「おう、糸! おはようさん」  

 常磐鉄工所に「株式」の冠がついて、従業員は一人増えた。家計の圧迫は倍になったが、父達は楽しげに仕事をしている。成人男性が空腹を感じないようきつく握った塩むすびを16個、頂き物の青葉焼きの大皿に乗せて古びた机の上に置く。工具が散乱していて食欲をそそる光景には見えないが、ここの人達は本当によく食べる。 

「毎朝ごめんね、糸ちゃん」
「いえ」  

 先日、筑波から佐久間さんが父に話をしに来てからというもの、常磐鉄工所では妙に皆が浮足立っていた。父が喜びそうな話が持ち込まれたらしいことは、その雰囲気ですぐに分かった。
 最近、鉄工所では電子レンジの部品生産と共に、地元企業から大型撹拌機に使用する汎用撹拌翼の生産を依頼されている。日夜電気も付けっぱなしで、人も機械もフル稼働だった。『何か』を作るために、資金を増やしているのだ。
 新しい機械が増えたせいで手狭になった鉄工所内で人が集まると、むっと蒸し暑くなる。差し入れの時間は不規則だが、塩むすびを置いてからものの数分で休憩所に人が集まって来た。最初に現れた長身の人物に、父の隣を譲りながら頭を下げる。副社長で法律の専門家でもある、斎藤さんだ。

「斎藤さん、お疲れ様です」
「ああ、お嬢。いつも悪いねぇ」  

 油や鉄粉で黒く汚れた手と爪で握手を求めてくる。握り返すと、固い掌がざわりと皮膚を擦っていった。

「これぐらいは」 

 新しい仕事も増えましたし、と口をついて出そうになった言葉を飲み込む。

「具も無い塩むすびで申し訳ありませんが」  

 私の言葉に苦く笑ったのは父の方で、「給料なんかあってないようなもんやからな」と3個目に手を伸ばそうとしていた。

「……ちょっと、父さんが食べたら他の人が足りんなるやろ」  

 私がそれを取り上げようとすると、少年のような顔で唇を尖らせる。

「また握ってきたらええやろ?」
「炊飯器の中が空なんよ……それに胃が痛いんやろう。もう、それ置いて」
「ええんじゃ。腹が減ったらええ仕事もできんなる!」  

 減らず口にお灸を据えようとすると、斎藤さんが間に入ってくる。

「まあまあ、お嬢。社長が一番働きもんやからな。新しい機械はもう見たか?」
「いえ、」
「だいぶ形になってきたんやわ」

 〝Vacuum〟と書かれた文字が目に入り、つい目を逸らしてしまった。父さんが大人しく皿に戻したらしいおにぎりに別の人の手が伸びる。作業中だという2名を除いて、5人の社員が12個のおにぎりを食べ終えようとしていた。

「お嬢、あれな、日本初になるかも知れんけんな」
「日本初……」
「ほうよ。天岩戸は必ずひらく」

『真空』を意味する〝Vacuum〟の立て札。宇宙に関係しないはずがない。鉄工所の経営を配慮せずに作っている無用の長物だというのに、誇りに満ちた表情が期待を乗せて口を開く。

「あれが完成したら、真空状態で色んな実験が出来るようになるんや。小さな宇宙が、この田舎の町工場に出来るんやで。設計したのも、組み立てを進めてきたのも社長や。お嬢、いつも社長を支えてくれてほんまにありがとう。あともう少し、あともう3年辛抱してくれ! そしたら、変わる。時代が。一気にこの国の宇宙開発が躍進するけんの!」  

 わっと、歓声が上がったような気がして、私は動揺した。心臓がどくどくと音を立てる。入学式の時の天道倭を前にした人々の姿、走る事を再開したと聞いただけで喜んだ母の顔、青春を取り戻したようにただ嬉しそうに笑った父の顔が――。
 ハッとして気を取り戻すと、誰も歓声を上げてなどいなかった。だが、蒸し暑いほどの熱量が工場内を満たしていた。裸電球の下で、大の大人達が熱い眼差しで同じ物をじっと見つめている。  
 喉がカラカラに乾いて、父親の湯呑を借りて麦茶を胃まで流し込んだ。

「無重力実験塔」
「……え?」
「正式な名前はまだ付けてないんやけど……。完成もしてないけんな。糸、お前の判断をいつも父ちゃんは信頼しとる。やから、あと3年、いや2年」
「2年?」  

 これが出来上がるまで、2年? あと2年も、父さんはこんな気が狂いそうになるくらいに忙しく、果ても無く働き続けないといけないの――。
 本音が口をついて出そうになった。私は一度天井を見上げた。

「あと2年も、かかりそうなの?」
「おう。国産ロケットを打ち上げること。そこに人の夢を乗せること……それが父ちゃんの夢やったけど、今は佐久間さんのおかげで視野が広がった。宇宙にチャレンジするんは、ひとりの人間やないんよな。〝人類〟みんなで協力して、そうして人は宇宙に手が届く。父ちゃんはここでそれをやる。無重力実験塔が民間で作れたら、世界一安全な国産ロケットの夢へと日本人全員が一歩近づくはずなんや。技術者が背負わないかん責任……どんだけ孤独やったとしても気張り続けなあかんってことやな。望むもんが多少違っても、同じ夢を持つ者同士はいずれ同じ路に辿り着くけん――」  

 父の言葉は、最後に咳が入り混じった。私は嫌な予感がして、父の湯呑に零れるほど麦茶を注いで、その胸に押し付けてやった。苦笑した顔が、「父親の顔」をしてやさしく苦言を呈する。

「糸、こんなに入れんでも」
「父さん、前の健康診断で……」  

 その時、斎藤さんの手が私の背に触れた。それと同時に誰かの足音が近付いてきた。作業中であった2名の若い社員のものだった。
 味気のない4個の塩むすびに「いただきます」と齧りつく。二人とも、鉄工所に連れてこられた時は中学を卒業したばかりだった。茶色い頭髪は相変わらずで、素行は父そっくりになった。二人は敷地の奥の実験塔を見つめて、嬉しそうな声を上げた。

「社長、結構ええ感じになってきたやないですか!」  

 先日、歯ブラシで爪の間を磨いていて、堪らず新品の歯ブラシを手渡すと面映ゆげに口の中を磨いていた。町田さんは父さんを本物の親のように慕ってくれる、熱き技術者の卵だ。

「おう、そうやろ。撹拌翼の受注を任せっきりで悪いなぁ。完全受注生産やから、仕事に波が出来てしまうやろうけど」
「なんの。部品作りは俺も腕を磨きたいっすから。それにしても、おれらが作ってるとは思えん出来です」  

 斉藤さんが私から離れて、二人の肩を力強く叩く。

「出来上がったら、みんなびっくりするぞ。社長のお宅のすぐ隣が最先端の宇宙開発施設になるんやなんて、一大事じゃ!」  

 若い二人は触発されたように、斎藤さんに調子を合わせて拳を握る。

「ほんまですね! 外国からもたくさん来るんやないですか。見学とか」
「お前、やからかぁ~! 英語の本なんぞ見てたんは。社長! こいつ通訳してくれるみたいですよ、アポイント入ったら全部こいつに回しましょ」
「町田、ほんまか! 通常受注もこなしながら、空いた時間で必死こいて何してるんか思っとったら……」  

 そこで言葉を止め、父は一度大きな咳をする。駆け寄ろうとする私を止めたのは、現場の責任者でもある斎藤さんだった。  
 ここで父の体調の事を話して鉄工所の士気を下げたくないのは分かっている。だが常磐家は今が正念場だったのだ。機械は待ってくれる、だが人の命は待ってくれない。病室で懸命に治療に励んでいる母の病状を、その辛さを、誰より分かっていたのは父だった。私の目を一度じっと見つめてから、がははと大きな声で笑った。

「町田ぁ、お前はほんまに俺に似てミーハーやなあ! うまいこといってNNSAから依頼でもきたら、通訳は頼むでえ!」
「あかんですよ! まだハウアーユーしか言えませんって!」  

 豪快な笑い声がいくつも重なって、その賑やかさは熱と夢を乗せてさらに盛り上がっていった。早朝の空には白い満月が浮かんでいて、私は鉄工所の壊れた窓からそれを見上げる。空になった大皿だけを抱えて、誰にも気付かれないようにその場を後にした。  
 
 父が倒れたという報せが高校の職員室に届いたのは、この日から四ヶ月後のことだった。


◆◇◆


 2009年、冬。  
 結果的に、株式会社常磐鉄工所が辿った道は「経営破たん」だった。これ以上事業が立ち行かなくなったのだ。  

 理由は積み上げてゆくとキリがなかったが、大きな痛手となっていたのは撹拌翼の受注だった。接着剤ほどの高粘度の製品からミクロン単位の物質を撹拌させる翼を作るためには、毎度のテスト施行が必要だった。撹拌槽と中に入れるミキサーの役目となる撹拌翼はすべてオーダーメイドだ。この「テスト機」が厄介だった。顧客が納得いかなければ、改良を続けて何度も作り直さなければならない。技術肌の父には目先の利益よりも「よりよい製品を」という欲が勝ってしまった。  
 結果として、こだわりが強い父の仕事ではひとつの受注に倍の費用が必要になってしまった。銀行も首を横に振り、経営は破たん。父は過労の結果、脳梗塞で倒れた。胃潰瘍もやっていたというのに。  
 人生には色々なことが起こると言うが、こんな時でも毎晩死にかけの倭は夢枕に現れた。  

『――やっぱり、駄目だった』  

 秒速465メートル。
 この速さで回りつづける青い地球に、倭の手は届くことはない。夢の中の彼も、どうにもならないことがあるということを分かっているようだった。夢はいつも最悪な場面で幕を閉じる。
 時速にすれば、1700km/hの回転。ぐるぐると振り回されている地球の中で、私達は平気なふりをして今日という日を健気に生き続けている。倭は18歳の冬になっても、日本に帰国することはなかった。

 天道倭がいないまま高校の卒業式は終わり、あのお節介な館長の佐藤さんが「惑星直列は今夜かもしれんな」と言って星になった日も、奇跡の天体ショーが起こることはなかった。人生には色々なことが起こって、付け加えて言えば、奇跡なんてものは滅多に起こらない。
 甘い宇宙色の生活なんてものが遠いところへ行って、彼が松山に戻ってくる約束を破ってなお、夕方の6時を5分だけ過ぎた頃には『Hello?』の声が聞こえた。  
 実家の黒電話にじゃない。今度は、私がアルバイトで貯めたお金で買ったプリペイド式の携帯電話にだった。

「……ああ、そうなの、」  

 自然科学系の大学にあちらで進学することが決まった――と、その日の倭は言った。
 もう今は三月だ。言うのが遅すぎる。私だって来週筑波に行く。
 言いたいことは山ほどあったが、私は涙声にならないように「おめでとう」と言った。本当の別れのような気がしたからだ。  
 いずれ、大人になっていく内に別々の人生を歩んでいく。そういうことがぼんやりと分かっていた。倭の隣にいられること、その時、父や母や広大が3人で見守ってくれて、これ以上ない幸せに満ち溢れていること。そういう未来が幻であると、もう気付いてしまった。

「ああ、大丈夫……うん、うん、それじゃあ、うん……元気で」  

 あの散り際の桜の木のそばで。もし、体育館の正面入り口でこちらを見つめていた倭に駆け寄り、「宇宙なんてろくでもないから、健康で長生き出来る人生を選びましょう」と抱き締めることができたなら。小さなプラネタリウムの月を見て、あんな場所に行けるわけがない、と笑って言えていたならば。
 でも、もうそんな人生はやってこない。過去は戻って来ず、人生は一度きりしかないからだ。

 アメリカから掛けてくれていた倭の電話は切れていて、私は必死に涙を隠しながら玄関先で待っている広大に声を掛けた。姉が男友達にフラれて傷心だと気を遣ったのだろうか。私は味噌を取りに台所に入り、冷蔵庫に手を伸ばす。  
 やらなければならないことは、今だってこんなにも目の前にある。

「広大、居間で父さんが腹筋しよる。はよ、殴ってきて」  

 焦ったように私の横を通り過ぎる広大のいがぐり頭を見送って、私は手の甲を唇に押し当てた。買い足したばかりの薔薇の香りの洗濯用洗剤だけが私を慰めてくる。父の命はしぶとかった。だからきっと、この世界は大丈夫なこともある。

 私はそれだけを頼りにしながら、味噌を生温いお湯の中へと沈ませる。涙はひどくしょっぱかった。



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