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微妙なハンディキャップ持ちの嘆き

 自分は精神障害者手帳3級を保有する、精神疾患持ちだ。病名はPTSDと不安障害の2つ。けれどその2つを起点として、本当に様々な症状が日常生活の中で顔を出す。
 不眠は薬で対応できるから良いとして、不安な事や怖い事があればすぐにパニック症状が出る。聴覚と触覚の過敏も在り、触覚に至っては幻覚とわかる幻覚症状まで出る始末。
 総括すると、自分の持つハンディキャップというのは『疲れやすい』というものである。


 そう、疲れやすい。これだけだと体力が足りないだけだとか、根性が足りないだとか、まぁそういう風に取られてしまっても仕方がないと思う。諸々の症状や疾患自体が、他人から見て視覚的に分かりやすいものでもない。なので単に「疲れやすい」と言えば誤解を招くし、かと言って自分の事情を一一から十まで説明するのも時間が掛かる。割と厄介な代物だ。
 とはいえ、自力ではどうしようもないハンディキャップであるということも事実ではある。どうにか出来るならどうにかしたかったが、どうにもならないのだ。特に、聴覚過敏と触覚過敏については。

 そもそも自分がPTSDと不安障害を抱え込む羽目になったのは、1年ほどいじめの環境下に放置された上で、年単位で精神科を筆頭としたケアに辿り着けなかったからだ。起点の年から精神科への通院が始まるまで、七年ほどの空白がある。
 いじめの件については性加害以外の暴力行為は粗方コンプリートしているのではないだろうか。一歩間違えればどっかで死んでいたんじゃないかと今も思っている。その中でも苛烈だったのが暴言とシンプルな殴る蹴るの暴力。このうち殴る蹴るの暴力が、おそらく聴覚過敏と触覚過敏の原因になっている。
 視覚外から拳や蹴りが飛んでくる状況に、平日日中のみとはいえ1年間放置されたらどうなるか。自分の場合は聴覚と触覚、より厳密に言えば『音を含む振動全般』に対する感知能力が上がった。足音一つで他者の位置を把握し、空気の振動一つで他者の接近を探知する。
 漫画やアニメのキャラクターの様だと思っただろう。自分でもそう思う。それと同時に声を大にして言いたい。キャラクターの彼らはこれらの探知能力を自己コントロールしてオフに出来るから日常生活が普通に送れるのだと。特殊能力の入手は自分の制御で任意にオンオフ出来るまでが習得だと。
 他者警戒の延長でこれらの感知能力を手に入れてしまった自分は、これらを自分の意思でオフにすることが出来ない。音や振動から自動で周囲の状況を把握するということは、その分得られた情報の分析や予測に脳を使うということでもある。普通に過ごしているだけでも、その分他の人よりも余計に頭とエネルギーを使っているのではというのが大学の臨床心理士の先生と俺の見立てだった。
 厄介なのは音に限らず、音を含めた振動全般から無意識に情報を拾おうとすること。つまりヘッドフォンやイヤーマフで耳を塞ぐだけで解決、とはならない。効果はある。あるが完璧に解決というわけでもない。現状、この厄介な性質とは今後一生おつきあいしていく状態である。
 そんでもって常に警戒状態だからか、甲状腺が暴走状態を起こして気づいた時には平均の上限の38倍のホルモン値を叩き出していた。高校3年に上がる直前の話である。あれから数年、薬の投与でそちらはかなり落ち着いている。ただ本当にメンタル面と関連しているなら、こちらも下手をすれば今後一生付き合っていかねばならないのかなぁと遠い目をしている。

 そんな諸々の後遺症というか、PTSDや不安障害とそれに絡む諸々の諸症状を引きずる羽目になっているわけだが、こう思ってる人も多いだろう。『はよ精神科行けばよかったのでは』と。
 俺もそう思う。俺もそう思うし少なくとも高校の時の保健の先生にはせっつかれたしなんなら中学時代の保健の先生とかにもちょっとつつかれた気はする。少なくとも中学時代の保健体育の教科書には書いてあった。PTSDの疑いがあったらさっさと専門機関を受信しろと。では何故そんなにも期間が空いたのか。答えは簡単である。
 「精神科なんてキチガイの行くところだ」
 母親がこの一点張りだったからである。父親は何か言っていたか覚えていないが、いい顔はしていなかったと思う。割と最近まで、どちらも「精神科では無く心療内科と言え」と言っていたので。自分が現在通院中の所は普通に精神科と書いてあるのだが。

 両親がなぜそう考えているのかは正直知らない。前述の発言の一点張りだったので。ただ希死念慮交じりの本音を零せば「ふざけるな」とか言われていたり、まともに取り合ってもらえなかったりといったこともあったので、そもそも気を引くために言っていると思われていた可能性はある。俺、少なくとも記憶にある限りは気を引くためにそんなこと嘘で言ったことはないんだが。あるいは自分たちはちゃんと育児をしていたんだから、そんなことになるはずがないとでも思っていたのかもしれない。
 ぶっちゃけ両親が何考えてるかなんて今でもわからない。ずっと昔に、両親絡みで色んなことを諦めたからかもしれない。対話をしようとしても、親の琴線に触れると大声を出されたり、「誰が養ってやってると思ってるんだ!」と言われたりする以上、相互理解のための対話のしようがないのだ。どうしろと。
 ただ、最近は物理的に距離があるのもあってLINEでの母親とのやりとりの中に、本音の一部を投げ込んでいる。それに関しては既読がついても今の所返事があることはほとんどない。期待もしていないから構わないが。
 両親に対する期待の無さや信頼の薄さについては深堀りすると呪詛になりそうなのでさらっと書くと、幼少期から親が小学校教員だったことを理由に多忙だったので割とほっとかれがちだった(自分視点)ことをベースに、いじめ時代に教頭に言われたとかで自分を無理やり登校させ続けたこと、そしてその割にケアがろくすっぽなかったことが大きな理由である。ちなみに現在もその辺の間接加害に関する謝罪は無い。土台がボロボロなのだから、その上にいくら信頼を積もうとしても薄氷の如き脆さになってしまう。
 「ああ、この人たちは我が子である自分よりも職を取ったんだな」
 あの日出した結論が、今もどこかで鳴り響いている気がする。

 とはいえ、親が多忙だったことは嘘じゃない。昨今ようやく知られるようになったブラック現場の筆頭公立小学校である。まぁ疲れて帰ってきて対話を「後にして」と言われたりもしていたが。「自分の教え子に顔向けできないから」とか言われて他の子どもたちは平気でやっていることを禁止されたりもしていたが。
 両親がそんな感じだったので、とにかく良い子であることを多分求められていたし望まれていた。母親に関しては何故か『普通であること』に固執していてそこもまぁ闇深いのだが置いておく。とりあえず、自分は結構良い子だったと思う。逆に言えば良い子だから放っておかれた。放っておいても死なないから。
 小学校でもまぁ多分放っておかれた方だった。目を離しても死なないから。いじめ期間に関しては両親が教員職だったのと自分が良い子してたのもあって、圧掛ければ丸め込めるというか黙って通わせられるし、新年度のタイミングで担任変えればいいなと軽んじられてたなとも思っていた。つまるところ対応を放っておかれた訳である。あの頃に自分が自殺なんなりなんなりしていたら、校長教頭担任あたりの首は飛んでいただろうし、ついでに両親の首も飛んでいたかもしれない。メディアがあまりにも好きそうな題材だ。【教頭が保護者である他校の教員に圧を掛けて、いじめ被害者を無理やり学校に通わせていた】だなんて。隠蔽だなんだとあまりにも騒がれそうである。もう十年以上前の話だが。
 中学高校も多少は触れられたがまぁまぁ放っておかれた。事情を開けたらちょっと手に負えない感じでした、的な放置の仕方をされた。
 ようやく支援らしい支援に在りつけたのは、ヘルプコールにちゃんと応えてくれたのは大学が初めてだった。
 総括すれば自分の人生、大体本来ケアやサポートするはずの人や機関から軒並み放っておかれている訳である。それは多分「良い子だから多少放っておいても大丈夫」「あの先生のお家の子だから、放っておいてもきっと大丈夫」の積み重ねで、放っておかれて、なぁなぁにされて、後回しにされて、そして忘れられてしまったんだろうなぁと思う。そしてそれが納得できるくらいには、学校の先生という職業が忙しい事も、生徒の怪我やトラブルと隣り合わせの職業であることを知っている。ちょっと目を離しただけで生徒が怪我をしたりクレームが飛んできたりするのだから。そりゃ忙しさで多少優先順位が出来たり、その基準がバグるくらいするだろう。

 そんな放っておかれがちな自分の人生、割と現在進行形だったりする。おかしいな、放っておかれて放っておかれて、そして取り返しのつかないことになったんだがな。
 前述の通り「疲れやすい」というハンディキャップを持っている自分は、今のところは親からの仕送りで生活が出来ているし、大学にもちゃんと通えている。故に3級の手帳なのである。
 ただ、昨今の値上げ物価高は容赦なく襲い掛かってくる。別に化粧品も服も買ってないし、頻繁に遊びに出ている訳でもない。それでも家計がカツカツになるようになった。親に事情を話してヘルプコールを出しても、父親が定年退職で再任用で給与が半分だとか、妹が今年高校受験で夏期講習や模試の費用だとか、実家のコンロが壊れたとかで無理だと言われてしまった。また仕方ないでほっとかれるんか俺は。
 とはいえ前述の通り仕方ないで放っておかれることにはまぁ慣れてしまった。ということでなんとかバイトを探してみたものの、自分にとっては他の人よりもスタートラインが遠くてハードルが多いのである。
 まず疲れやすいために長時間勤務は厳しい。できれば週二日以下で3時間前後で働きたい。遠くまで行ってバイトするのも難しい。そして肉体性別の関係で深夜まで働くのも難しい。ついでに今年大学4年で卒論がある。
 そんな都合の良い美味しいバイトがあるかと思っただろう。俺もそう思う(2回目)。
 けれど俺だって欲しい物くらいあるし、最近はメンタル面が落ち着いてきたのか欲が増えた。まだ化粧は怖くて手が出せないが、お洋服くらいなら少し好みのものに手を伸ばしてみてもいいかなと思えるようになったし、スープ類が好きなのでミキサーが欲しい。あと本が色々と欲しい。その内デスクトップのPCだって欲しい。
 就労の意欲は多少あるのだ。働ける雇用が非常に限られるだけで。まぁそれもこれも、ぶっちゃけ出費が減れば貯蓄できるのだ。
 比較的健康でちゃんと生活できて就学できて、親からの仕送りで一応生活できている自分が利用できる制度はほとんどない。放っておいても早々死なない人間というものに対する支援が後回しにされてその内忘れられるというのは今までの人生でよくよく知っている。
 なので。とりあえず政府が減税してくれればそれだけ微妙なハンディキャップ持ちの自分には支援になる。減税してくれ政府、頼むから。

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