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「おう」のは夢か、それとも傷か--転職体験記--


皆様こんにちは。こんばんはの方はこんばんは。いくぴと申します。
本日は日本経済新聞様の企画にて、転職にまつわるお話をさせていただきます。


【初めての転職】

--新卒の罠


学卒で入社して1年半、自分が思っていたよりも早く、その時はやってきました。

そもそも就職活動にそこまで力を入れていなかった学生時代。周りに流されるように「そろそろやるかぁ~」と重い腰を上げ、パソコンに向かう私。
当時の自分に言えるなら言ってやりたいです、「グラブジャムンくらい甘い」と。
※グラブジャムン=世界一甘いと言われているドーナツ

連日届くお祈りメール。神にでもなったのかと思いました。
でも神なら就活終わってるよな、ということは神じゃないな。
なんて悠長なことを考えている暇はないのです。いや本当に。

最終面接までたどり着いた企業も、結果はお祈り。手応えあったんだけどなぁ。
さすがに焦った私は、今まで応募してきたジャンルの企業から一転、
全く別のジャンルの企業に応募してみよう!と思い立ったわけです。

新しいジャンルでとても不安な気持ちとは裏腹に、
応募するや否やとんとん拍子で面接日が決まりました。
面接日当日に飛行機が飛ばないトラブルがあり、2次面接からの参加となりましたが、その日のうちに2次、最終と終了し、翌日には採用の連絡が。
さすがに思いましたね、「あれ、私は神かな」って。
段ボールや牛乳パックで色々作れそうなくらいワクワクしていました。

就職したのはTVの制作会社、いわゆるアシスタントディレクター(AD)という仕事です。
大変な仕事のイメージはありましたが、それよりも「芸能人に会える」というなんともニッチな理由が私を突き動かしていました。
輝かしい世界に飛び込んでいくんだ、どんなことが待っているんだろう。
アルバイトしか経験していない私には、「仕事」の本質を理解するにはあまりにも若すぎました。

--大きすぎた壁

入社してすぐ、同期のリーダーに選出され、期待を一身に背負って仕事をこなしていました。今思うとうまく使われたなぁ、という感覚です。
人付き合いは苦手ではなかったので、会社の先輩方にも気に入られるよう社内営業も頑張りました。毎日大きな声でフロア全体に挨拶して帰ってました。よくやってたよ自分。

日数が経つにつれ、任される仕事も徐々に増えていきます。このあたりで私は思うんですね、「想像していた100倍「大変」だ」と。
本当に、本当に100倍の感覚です。今でこそ働き方は変化したのかもしれませんが、当時はいわゆる「激務」でした。
椅子を3つ並べて眠れたら、それはもう贅沢です。すごい。
贅沢の基準が地球の裏側まで落ちていたと思います。落ちすぎて一周回って贅沢だ、みたいな。だから地球は丸いんだ、みたいな。

さらにこの業界、いやこの業界だけではないかもしれませんが
細かな指示がないことが多いんです。「こんな感じ」というニュアンスでそれを受け手が読み取らなければいけない。
最初のころはまだいいですよ、何も知らないひよっこなので分からないのが当たり前ですから。
ですが半年もたてばもう一人前。「察して動く」ということが当たり前の世界に、羽ばたけないヒヨコが一羽、解き放たれたのです。

必死に耐えました。察せない私、察することを要求する先輩。そのストレスに。
うっすらと転職を考え始めたのはまさにこの頃、入社して1年が経つか経たないかくらいの時。
不思議なもので、そういう時って色々なことが「おかしいな」と思い始めるんですよね。

そのうちの一つが「視聴率」でした。
私が仕事をする上で自分のモチベーションとしていたのは、自分の仕事の成果に対する第三者からの評価。世間体を気にするTHE・日本人ですね。
この業界における第三者からの評価、それは「視聴率」です。
私はどうもこれが腑に落ちませんでした。
高視聴率?たまたまでは?ゲストの力では?など。本来喜ばしいことなのは頭で理解していましたが、自分たちが何かをして、それが視聴率という評価で返ってくることに、達成感を覚えられなかったのです。
直接目の前で「ありがとう」という言葉が欲しい。転職への気持ちはここで拍車がかかりました。

入社して1年経つと、後輩が入ってきます。かわいいです。かわいがりたい派です。
私にも直属の後輩ができました。頑張って仕事を教えるぞ!と。
ですがそう上手くいかないんですね。本当に難しい。
後輩のミスはすべて直属の私の責任。後輩に教えつつ先輩に叱られる。
自分がやった方が早いと思い、全て受けると業務過多。後輩も育たず。
どの企業でもこの構図は同じだと思います。ですが構図は同じでも
教える人・教えられる人が違えばまた違ってくるわけです。
羽ばたけないヒヨコの羽は、大きな壁を目の前に無残にも消し飛びました。

--注ぎ込まれた「転職」

そんなある日。本当に何気ない1日の朝でした。
会社の最寄り駅から地下鉄の階段を上がって地上に出たその瞬間です。
「あ、転職しよう」
全身から力が抜け、魂が抜け、空っぽの「私」という体に「転職」が注ぎ込まれました。あの感覚は今でも忘れられないですね。人体の不思議です。

会社には体の不調を伝え、とりあえず1週間お休みをもらいましたが
私の気持ちはたかが1週間で変わるわけもなく。
次の就職先も決めないまま、会社を去ることにしました。
別れを惜しんでくれる同期や先輩も、ありがたいことにいました。
ですがもう、私の体は空っぽです。突発的な嬉しいという気持ちでは満たせません。
一年半という期間が長いのか短いのか、それは分かりませんが
「体が転職を進めている」ことを察知した以上、それに従う他ありませんでした。
あれだけ察せなかった私が、自分の体のこととなると察せるんですね。なんというセルフ皮肉。

仕事を辞めてから、私の背中の羽は伸びきっていました。羽ばたけなかったヒヨコ時代とは大違い。
約3か月間、休養という名の自宅警備をする毎日でしたが、
さすがの私もそろそろ、と、あの頃のように重い腰を上げて転職フェアへと
向かいます。
そこで出会ったのは、今までとはまた別ジャンルの企業。ここが、わたしの初めての転職。

【2度目の転職】

--「魅力」と「判断」

初めての転職。きっかけは転職フェアで、その年の新入社員の人が声をかけてきてくれました。
説明会ブースへ行くと目についたのは「年間休日」の文字。
あぁ、こんなに休めるんだぁ。その企業への第一印象です。
3か月間、自宅警備しかしてなかったのにまだ休む気かと。それほど体が休みを欲していた、ということですね。無理やりそう認識しておいてください。

休みの件もそうですが、なにより対応してくれた新入社員の人の説明が
なんとも分かりやすかったのが高ポイントでした。
新入社員でここまでしっかりと話せるとは、教育環境がしっかりしているんだな、と。
特に教育関連のことはかなり過敏になっていたので、とても安心できましたね。
他のブース見学もそこそこに、私はその企業へ申し込むことに決めたのです。

今回決めた企業は不動産会社でした。また大変な仕事に、と思われる方もいらっしゃると思いますが、当時の私には年間休日しか見えていなかったのでご容赦ください。

不動産はお客様との対面のコミュニケーションが発生する仕事。
お客様から直接「ありがとう」を言ってもらえる仕事。
まさに私の理想。天職。転職の話で天職とは紛らわしい。

このことは面接でも熱く語りました。業界経験ゼロではありましたが、熱量で何とかなると思っていました。とにかく人に喜んでもらって「ありがとう」という言葉が欲しい。その一心です、と。

結果は採用。ああ、なんで最初からここにしなかったんだ、と
意味のない後悔です。本当に。
初めての転職。不安と期待が入り混じる感情の中で、自分の熱意が伝わったことへの大きな喜びと達成感。
その日の夜は一人で回らないお寿司を食べました。

--高揚、そして・・・

一度社会に出ているため、今回は中途採用・パート社員という採用でした。
雇用形態はこの際なんだっていいんです。私はお客様から「ありがとう」という言葉をもらいたい、ただそれだけ。
主な業務はお客様を物件に案内し、契約をする。いわゆる不動産仲介です。

何かを変えなければ、何も変わらない。
いたって当たり前の話なんですが、「転職」という「職」を変えることで
私は自分を、取り巻く環境を、変えたかったです。
特に私の世代では、「転職したい」という人がたくさんいました。
転職がもはや当たり前の時代になっていました。ですがほとんどの人が
転職という手段を選びません。現状を失うのが怖いから。

転職という手段を選ぶ人は、「現状に納得できないから」という理由が多数かと思います。私ももれなくその一人です。
私にとって、当時の現状を失うことは何も怖くありませんでした。
転職をして良かったかそうではなかったか、それは転職を経験した人しか語れません。

前置きが長くなりましたが、私の初めての転職は「成功」です。
仕事の内容に苦戦することは分かっていました。必死に食らいつきました。
周りの先輩の真似事から始め、フィードバックをもらう毎日。
徐々に自分の味も付け足せるようになり、「契約」という成果が出る。
優しい先輩方、そして何よりお客様からの「ありがとう」の言葉。
初めて私の案内で契約してくれたお客様を、私は今でも忘れません。

それからは自分磨きの日々。やってみては反省、やってみては反省の繰り返し。
自分の中でやりたいことと、お客様が求めているものとの差を出来るだけなくして
どれだけお客様に寄り添った提案が出来るか。慣れるまでとても時間がかかりました。
ですがその努力が報われ、正社員へ昇格することが決まりました。
本来であれば資格を持っていないと正社員になれないところ、実績を考慮して推薦していただいたのです。
自分のやってきたことが結果として見える。これよ、こういうことよ、と。
その日は回らないお寿司を食べに行きました。私は嬉しくなったらお寿司を
食べに行く習性があるようです。

そんなある日。
店長の異動が発表されました。
いつも突然にやってくるんですね。
さらに。
同じ店舗でやってきた人達全員の、異動。無論、私も。
約2年。あまりにも早すぎた環境の崩壊に、私はなす術がありませんでした。これがサラリーマンの宿命。
私の高揚は約2年で落ちました。紅葉のように。そんなこと言ってる場合じゃないんですけどね。

--異動の先にあったもの

ずっと同じ仲間で最後まで続くとは思っていませんでしたが、こうも早いと頭は混乱します。異動先でうまくやっていけるのか、など。
さらに私を不安にさせたのは、異動先。
同じ会社内ではあるものの、普段から行う業務がほとんど違います。
分かりやすく言えば、「お客様に接する機会が圧倒的に減る」環境になりました。
私がモチベーションとしていた「ありがとう」と言われる機会が、減ることになります。
やる気はもちろんありました。純粋に頑張ろうという気持ち。
ですが不安は拭いきれません。

そんな中迎えた異動先への挨拶。
私の不安はどこへやら、迎えてくれる人たちはとても優しく、風通しのいい環境でした。
これならなんとかやっていけるのでは、と私は期待を胸に新天地で頑張ることを、改めて決意したのです。

業務内容はやはり今までと違い、同じ会社なのに別会社へ来たような感覚でした。
慣れるまでに一苦労。さらに在籍人数も多いため情報共有が少しでも漏れると大変なことになる。神経も使いました。
「ありがとう」と言われる機会は減りましたが、こなせばこなすほど給料はよくなる店舗。これには文句も言えません。

一緒に業務をこなす相方の存在も非常に大きく、私が不足している細かい部分をフォローしてくれ、業務もこなす。業務量は多かったですがかなりストレスフリーで仕事ができていました。
ここまで来てお気づきの方もいるかと思います。
私の気分が高揚した時、それは破滅へのサインである、と。

--いなくなる「人」

業界的に繁忙期と言われる冬、11月頃にそれは突然やってきます。
頼りにしていた相方の、長期休暇。職場復帰は早くて1年。
繁忙期を前に、私の気持ちはどんよりします。
何とか1年乗り切れば帰ってきてくれる、そう信じて業務をこなすしかありませんでした。
ひとりで迎える繁忙期は、今までで一番過酷でした。
業務過多による疲労、それに伴う細かなミス。全てが負の連鎖です。
かといって人手不足でもあるため、フォローに回ってくれる人はいません。
異動した当初のキラキラした目が、生気を失っていました。

とはいえ乗り越えなければいけません。仕事は待ってくれません。
部署の違う相方が、自分の業務も多い中手伝ってくれたりもしました。
本当に人に恵まれた環境であったと、心から思っています。
心では思っていても、体はついていくことがありませんでした。
業務過多の環境が変わらないまま、新たに打ち出される会社の施策。
一度疑念を持ってしまうと、そうやすやすとは変わらない。
私の脳裏に「転職」の文字が浮かんできたのはこの頃からです。

--予期せぬ決定打

周りの人の助けもあり、どうにか繁忙期を乗り越えた私。
ほっと一息つく間もなく、私の耳に飛び込んできたのは
「繁忙期に支えてくれた別部署の相方の、退職」

「えっ」「うわ~」そんな気持ちでした。声にも出ました。
そして「もうだめだ」という気持ち。
春には新卒が入ってきていました。よし、これから業務を叩き込んで
稼ぎ頭になってもらおう!そんな意気込みが
「私が辞めるまでに教えられる全てを授けよう」に変わったのです。
相方の退職は夏。話を聞いた春先には、転職の準備を始めていました。

時間が過ぎるのは本当にあっという間で、相方が退職する夏になりました。
名残惜しくも、新天地で頑張ってほしい願いを込めて送り出しました。
私ももうすぐいなくなるけどね、と心の中で呟きながら。

送別からほどなくして、私は一人ひとりに直接退職の件を話しました。
ありがたいことにみんな残念がってくれましたが、もれなく背中を押してくれました。
気持ちが多少揺れたのは事実です。ですが。
さすがに業務過多すぎる。私一人では到底こなせない仕事環境を
鑑みてくれない会社にはいられない、そう決断している以上
私が辞めるという決断を曲げることはありません。

新卒には大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。
しっかりと育てきれなったこと、直属の先輩である私が突如いなくなることで
不安な思いにさせてしまったこと。これは今でも心残りです。
ですが、ごめん、私の人生なんだ、許してくれ。
猛暑が落ち着き、木枯らしが吹き荒れる頃、私は木枯らしとともに
颯爽と会社を後にするのでした。
これが、私の2度目の転職。

転職が教えてくれたこと

さて、先にも述べましたが、転職してよかったかどうかは転職した人しか語れません。
そして、転職してよかったかどうかは、転職した後の自分次第という面もあります。
結果として私は2度の転職を経て、現在自営業をしています。
今は、苦しいです。ゼロから何かを始めることの難しさ、人を雇うことの難しさ、色々あります。
サラリーマンの方が楽だった、そんな気持ちは常に芽生えます。
ですが決めたのは自分。責任は自分。全て自分の行ったこと。
だったら、自分でこの転職をいいものにしたい、今はそんな気持ちです。

私は人から「ありがとう」と言われたい、喜んでほしい、それがモチベーションになる人間です。多少の自己犠牲はいとわない覚悟です。
無論、自分の好きなことだけをやっていれば人生は楽しいのでしょうが
そう簡単にはいかないのもまた人生。嫌なことだってたくさんありますし、
それをやっていかなければいけない。
どこかの会社に属していれば指示をこなせばいい。これほど簡単なことはありません。
その環境を捨て、自らイバラの道を進むことを決意しました。決意した以上は最後まで頑張りたい。
もがいて、苦しんで、その先に人の笑顔があったとき、私は心から笑えると思っています。
転職を良いものとするかどうか、それは転職したあとの自分の行動で全てが決まります。

仕事は3つの要素でなりたっていると言われています。
人間関係・お金・環境(業務内容)
このうちの2つが欠落した時、それは転職の合図です。
私の場合、業務内容が突飛してしまいましたので若干の例外はあると思いますが、大体の人はこのパターンに当てはまります。

転職に踏み出す勇気、最初は怖いです。ですが決してマイナスなことではない。
そこに踏み切った人にしか見えない世界がある。転職をした人にしかわからない考え方がある。
転職は、知見を広げてくれます。自分に覚悟を持たせてくれます。
いいか悪いか、ではなく、やるかやらないか。
それを良いものとするか悪いものとするかは、転職した後の自分次第。
転職という決断をした自分を責めることはないと思います。むしろ、よく決断した!羽ばたいた!頑張れよ!と褒めてあげてください。
せめて自分だけでも自分の味方であってください。

転職するかしないか、大いに迷うと思います。それでもいいです。
しっかり迷って、考えて、転職という決断をしたのなら、私はその人を応援したい。環境を、自分を変えたい!という思いで動いたのだろうから。

転職が教えてくれたこと、それは
「私に責任を負う覚悟があること」です。

私はこれからも夢を追います。傷も負います。
二兎をおって、その先に数えきれない兎の笑顔があることを信じて。

拙い文章で恐縮ですが、これにて私の転職体験記とさせていただきます。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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