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お金になるということ

畑が好きでお借りしているのに、「畑の草取りはお金にならないけれど」と嘆いている自分がいた。

大学生の娘、私立高校生の息子にお金が掛かることを嘆いてしまうのは、私自身が稼げていないからかもしれない。

もし、夫の収入が果てしなくあったとしても、きっと私は経済的自立ができていないことに不足感を抱くだろう。

もう直ぐ40代後半に差し掛かる私は、一人前に稼げるようになりたいと、ずっと思って来た。
一方で、「稼ぐ」という言葉に罪悪感も感じる。
ピアノのレッスン代は、稼いでいるというより、「頂いている」ものである。

「稼ぐ」という言葉には、仕事をしている間、自分を犠牲にして働くというイメージがないだろうか。家族が生活できるように、家族との時間を犠牲にして働く、これは特に出稼ぎのイメージから来るのだろうか。

そして、「稼ぐ」という言葉は、仕事の結果ではなく、報酬自体を目的とし、自分や家族のために仕事をするイメージがないだろうか。

自分を犠牲にしている一方で、自分のために働く。労働がお金になる。

逆に、「お金を払うということは、自分に解決できない問題を他人にパスしているだけ」(朝日新聞 折々のことば 2024年5月30日)。

誰かが支払ってくれるから、お金を受け取ることができる。受け取ったお金で何をするかと言えば、(貯金するにしてもいずれは)誰かに支払うのだ。

自給できる部分が多ければ、生活にお金は掛からない。しかし、学校教育については自給できない。ホームスクーリングと学校教育の大きな違いは、共に過ごす友達の存在ではないだろうか。

学校外で友達と会うと、お金が掛かることが多いのは、誰かに食事や娯楽の手助けをしてもらうためにお金を払うから。

さて、お金にならない大切なことには、どんなことがありますか?
範囲を区切った方が良いかな?
ご回答、募集中!!

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