アロマンティックとコンテンツ

 私は恋愛感情が分からない。あるともないとも言い切れない。唯一はっきり言えることは、いわゆる恋愛をする人々とは感覚が違うということ。付き合いたいという気持ちがわからない。

 ここのところ暇だからか、恋愛指向のことばかり考えている。今回は、最近考えている「恋愛」について書くつもり。

自己紹介
 私は四季(しき)。うつで休学中の大学生。バイトを探している。パートナー探しはやめた。

以前にも恋愛指向のことを書いているので、そちらも良ければどうぞ。

彼氏が欲しいってなに?

中学時代の会話

「四季ちゃんは彼氏欲しくないの?」
「ほしいとは思わないなぁ」
「え~!でも高校生になったらきっとできるよ」
「多分できないと思うよ」
「いやいや。それはちょっと変だよ~」

 まあ、よくあることだろう。私は別に傷ついてはいない。その子はそう思うんだな、というだけだった。その時は、「自分は今恋愛に興味がないだけで、そのうち恋人はできるだろう」と考えていた。無意識に人は皆恋愛をするものだと思っていたのだ。

 「今興味がないだけ」というのは結構長い事続いた。その間、私は自分に向いたそれとなく(、あるいは容赦なく)躱す術を身に着けていた。大体興味のない素振りを見せたり、とことんわからないふりをしたりすれば何とかなる。あまり男友達のいない私には、それで十分だった。大人相手には効かないかもしれないけれど。なんでもない相手なのに、「あいつのこと好きなん?」とかって聞かれるのは本当に迷惑だった。どうしろってんだ。
 だいたい、彼氏を作るってなんだ。切って混ぜて焼いたらできるのか。

 本来それが目的であるはずの乙女ゲームでも、それは発揮された。誰とのエンドにも到達しないのである。何故なら、別に誰とも近づきたいと思っていないから。小説や漫画であれば、主人公が勝手にかかわりに行ったり、相手がなんとなく近づいてきたりする。けれど、ゲームだと自分から行かないといけない。それってエネルギーが要ることだ。現実の友人関係についても同じことが言える。根本的に、人と関わろうとするエネルギーが希薄なのかもしれない。

好きなタイプ、好きな芸能人

 この二つの質問は困る。とにかく困る。なぜならいないから。芸能人を好きだと思ったことがない。その感覚がわからない。

 自分の通う学校に、ミュージシャンが訪れたことがある。その人たちは、金管楽器を演奏する団体で、「吹奏楽部以外の生徒は楽しんでくれるのだろうか」、と杞憂したりもしていた。大きなお世話である。結果、そのイベントは大成功で、みんな大盛り上がりだった。「やっぱ音楽の力ってすげー!」と思っていたが、どうやら、女子生徒の多くはミュージシャンの顔がイケメンであるとはしゃいでいたようだった。それが分かった途端、急に気持ちが冷め、地に足がつく感覚がしたのを覚えている。

コンテンツについて

 とはいえ、私は恋愛ソングを聴いたりもする。ポルノグラフィティや back number が好きだ。椿屋四重奏の恋わずらいとかも好き。詩も読むし、投稿されたラブレターをまとめた本なんかも読んだことがある。結構面白かった。恋愛感情そのものというよりは、切ない気持ちとか、温かい愛に近い気持ちに共感するのかもしれない。

 この間初めて恋愛小説を読んでみた。「ホワイトカメリア」という作品。めっちゃよかった。相変わらず恋の部分は分からなかったけれど、愛の部分は感じることが出来た、と思う。共感というよりは、心情を想像して理解しているという感じだ。恋愛感情そのものは分からないけれど、それに付随する「切なさ」「幸せ」「慈しみ」のような気持ちは感じ取れることが分かった。私は恋愛コンテンツを楽しめる。ある程度は。
 おそらく、今回読んだ小説は愛の部分が多かったからこんな感想を抱けたのだろう。恋の部分は本当にわからない。特に、片思いから両想いに向かう過程は、自分では絶対に書けないし、あまり読みたいと思わない。それを通り越した愛情であったり、報われない恋であれば好きだし書ける。好みの問題かもしれないが。

 「初めて」と書いたけれど、一次創作でない恋愛小説なら何度も読んだことがある。そう、夢小説だ。あまり大きい声で言うことでもないが、版権物も生ものも読んだことがある。ただ、主人公に自分を当てはめているかというとそうではない(そもそも大体あてはまらないし)。どうしても、私ならフラグをへし折ってしまうので、そういったことにはならんよなぁと思っている。多分、他の人から見た「その人」を見たいのだ。「こういうシチュエーションでこう振る舞う」が見たい。コンテンツとしてその相手を見ている。それがしっくりくる。現実に恋できる相手としては見ていない。

理想の関係性

 曖昧なまま、相手の特別になりたい。お互いに恋人を作らないまま、ずっと友人でいたい。あるいは、相手に恋人はいるにしても、変わらず友人でいてほしい。わがままかもしれないとは思っている。けれど、そうなのだ。理想くらいは言葉にしてもいいだろう?
 恋人という名前の関係性になるとしても、私は相手と同じ感情を返せないかもしれない。愛せはするにしても、恋は出来ない。それでもいい人と付き合えたら幸運だ。それが一番現実的かな。

アロマンティックなのか?

 私が自分はアロマンティックじゃないかと疑う理由は二つある。

  • 今現在人と付き合いたいと思っていないこと

  • anone, で「アロマンティック・アセクシャル」の診断だったこと

少なくとも、今は恋愛をしたいとは思っていない。これは結構大きな気づきではないか? anone, では何回か診断をしているのだが、うつで休養を取ってからは、ずっとアロマンティックだ。これが何を意味しているかわからないけれど。今は家族以外の人間とほぼ連絡を取っていないので、それも関係あるのかもしれない。

 一方、アロマンティックと言い切れない理由もいくつかある。

  • 初恋っぽい経験があること

  • これからも無いとは言い切れないこと

 初恋と思われる体験をしたことがある。同じクラスの男の子のことが好きだった。恋愛感情かはわからない。相手も自分を好きだといいなとは思っていた。付き合いたいとまでは思っていなかったけれど。今思えば、人として好きというよりは、それもコンテンツに近い形で好きだっただけかもしれない。その時の感情が、今はもうわからない。少なくとも、今はないということははっきりしている。いっそのこと全くなければ楽だったのに。

選んだラベルはコミュニケーションの目的でしか有効ではないのです。

見えない性的指向 アセクシャルのすべて

 確実に、全くのロマンティックではない。それは、はっきりとしている。けれど、全くのアロマンティックかと言われると、それも自信がない。そんな状態でアロマンティックと名乗るのは、アロマンティックの人たちに迷惑なのではないだろうかと思う。以前の note ではグレーロマンティックを自称した。多分、それが一番近いのだろう。グレーはグレーでも、アロマンティックに限りなく近いグレーだ。

 わからないので、ラベルを貼るのは諦めることにした。複雑なものを複雑なまま、「私」として受け入れることにする。

おわりに

 こんな着地でいいのか。いろいろ悩んだところで、結局は「ま、いっか」にたどり着く。どうすることもできないのだ。好きに生きよう。
 ここまで読んでくださってありがとうございました。またこんど!

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