見出し画像

私の日曜日

近くのコンビニまでコーヒーを買いに出かけるとお久しぶりの猫に遭遇した。

舌を鳴らして呼んでみると、
ニャゴニャゴ言いながら来てくれた。


(しょうがないねぇ)
(来てやったわよっと)
(これで満足?)


はい。満足です。
この肉付き、毛並みの良さは
きっと誰かの大切な人(猫)なんだろうね。

ふかふかの冬毛にムチッとしたお腹。
そこに顔を埋めたい衝動に駆られたけど
さすがに我慢した。




夕方はいつもの神社にお参りして
その足で散歩。

昨日と今日ほぼ同じ時間
ほぼ同じアングルで写真を撮ったのに微妙に違う。


昨日


今日


当たり前だけど
今日と明日は同じではない。




過去されたことを思い出して
なぜ、どうしてと責めてしまうような気持ちになることがある。

あの言葉が心に刺さったまま抜けなくて
今もこんなに辛いのよ。
そのせいで不幸なのよ、と散々独りごちて

現実のものたりなさとか
至らなさなどを全部そのせいにして
自分をケアしたくなる時がある。


するともう一人の自分がそっと呟いてくる。
「じゃああなたは完璧なの?」

「その人にとってあなたは完璧な人間であったと言える?」

「相手が欲しい言葉を投げかけられた?」

「正しい人間であったと言えるの?」

それでグッと口籠ることになる。
他人を計った物差しで、また自分も計られるのだ。



社会で生きることは
何かしらの役を一つや二つ、
場合によってはそれ以上こなしていくことだと思う。

全ての役を適切に正しく演じられる人間なんていないだろう。

役割以前にその人だって
たくさんの欠けた部分を持つ
ただの人間なのだ。


ちがう親から生まれていたら
ちがう自分になれたという

だけどやっぱり きみはちがうよ
そしたら きみはいなくなる

私をたどる物語
熊木杏里




この時間帯のこの景色をみると
心に吹き荒ぶ風が
シンと静まるのを感じる。

ぎりぎりマジックアワー


ずっとこの景色をみたまま
過ごしていたいけど
お腹が減ってきたし家へ帰ろうか。




夕飯は八宝菜を作った。

やっと白菜が安価で手に入るようになってきたのでうれしい。

一人暮らしなのに
いつもデデンと一株丸ごと買ってしまうが
おいしくて、あっという間になくなってしまう。


ちょっと豪華にしたくて
うずらの卵を入れたら
ものすごく豪華な八宝菜になった気がした。

たった150円程で手に入る贅沢感。
しあわせしあわせ。
美味しいもの食べてる時が一番幸せ。



今週は木曜が祝日なので
水曜は華金みたいなものだし(?)
金曜は金曜で華金なのでうれしい。

来週もぼちぼち行こっか。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?